AMBIVALENTS



  次元回廊

   四十一

 次元回廊を開いて闇の世界へと旅立つ日の六日前、光の塔の内部でアンケートが行われた。それらはすぐに集計され名簿が作られる。一人一人が熟考して決めたそれぞれの運命がそこにあった。人々はこのときはっきりと二つに分かれたのである。
 僅かな可能性に賭けて闇の世界へ行くか。或いは、残された二期の時間を有意義に過ごすか。
 結論を言うならばそれで約四割の人間が闇の世界へと旅立つことになった。多くは十期から二十五期程度までの若い世代だった。彼らには次の世代に命を繋ぐ可能性がある。そしてこの結果は洋平達空間物理班と言霊使い達への信頼度の高さをも示した。
 しかしこの名簿の中にリョータの名前はなかった。
「洋平!」
 アンケートの集計を終えて名簿をチェックしたシュスがまっさきに洋平のもとへ駆け寄ってきて言った。
「なんでお前の伴侶の名前がねえ! 判ってるのか? 離れ離れになったら二度と会えねえんだぞ!」
 そういうシュスも名簿に名前を連ねてはいなかった。洋平はむしろそのことを意外に思った。
「リョータが自分で選んだんだ。光の塔は個人主義だろ」
「お前、まさかまだ伴侶と仲直りしてねえんじゃねえだろうな」
 これはシュスの誤解だった。以前洋平がふてくされたときの科白と今の答えとが似ていたため、シュスが勘違いしたのだ。
 光の塔では個人の幸せがすべてに優先される。絶対多数の最大幸福を基調とする民主主義の理念とは明らかに様相を異にしているのだ。
「リョータは性ホルモン班の研究者なんだ。自分の研究で子を授かった人間達に責任がある。だから残ることを選んだ。それで理由は十分じゃねえの?」
「納得できるか! 伴侶が離れ離れになるなんて!」
「……なに怒ってんだよ」
 洋平は納得していた。リョータは洋平が闇の世界へ行くことを知っていてなおかつ自分は残ることを選んだ。むしろ洋平はリョータを尊敬すらしたのだ。洋平の選択に流されて主体性を失うようなリョータならば、洋平は身体を許したりはしなかっただろう。
 リョータは洋平の伴侶だった。洋平にとっては最高の、唯一信頼できる伴侶だった。
「リョータとオレには別々の運命がある。オレはリョータの英断を支持する。シュス、ただ子を作るだけが伴侶じゃねえって事だよ」
 この洋平の言葉にはシュスも脱帽しない訳にはいかなかった。十五期を越えた洋平は、シュスよりも数段上手の大人に成長していたのである。

   四十二

 シュスは伴侶との間に子を一人しか儲けることができなかった。コモンの第二世代は最高六回の出産に耐えることができたが、光の塔の人間達はみなホルモンのバランスを崩していたので、記録によれば三回の出産を行った者が最高だった。シュスの子は十期を迎え、闇の星へゆく事を決めた。シュスは自分の夢を子に託したのだ。
 旅立ちの三日前、洋平は再び塔の外に出て、コモン達に演説を行った。光の神が心を変えなかったこと。このままでは地上は闇に包まれ星の生物は死滅すること。洋平自身が光の神を見捨て、闇の星へ行くこと。それらを報告して、洋平を信じ、共に旅立つ者を募った。洋平を信じる者は三日後に塔の回りに集まるようにと。
 その日、リョータは生まれて初めて塔の外に出た。洋平はリョータに外の世界を見せてやりたかった。次に太陽が廻ってくる時は、地上は灼熱の地獄になる。これが光の大地の最後の見納めの時だったのだ。
 リョータの目に映る地上は、赤い広大な大地と不吉なまでに真っ赤に染まった空と落日。美しくも絶望的な星の終末の姿だった。そして、神の遣いのように佇む洋平は、まるで闇世界の使徒のようにリョータには思えた。
 あの夜、リョータが決めた洋平との決別。今、洋平を見て改めて思った。洋平は最初からリョータの腕の中にいるべき人間ではなかったのだと。奇跡という名前の少年は人間の理を超えて存在する。人にはない特別な運命を持って存在する。
 神事室に戻った洋平をリョータは抱き締めた。
「リョータ……?」
 心の中で、リョータはすべてのものに感謝した。洋平を生んでくれた洋平の両親に。自分を生んでくれた自分の両親に。洋平と出会わせ同じ時を過ごさせてくれた神に。そして、自分を伴侶と呼んでくれた洋平自身に。
 言葉にはせず、ただ洋平を抱き締めた。
「リョータ、あの赤い大地を見たか?」
 声を出すことを恐れるようにリョータはこくんと頷いた。
「初めてあの赤い大地を見たとき、オレは星の生命力を感じた。すごくきれいで、生きているものはすべてきれいなんだってことに気付いた。人間を含めたすべての生命は星に命を与えられる。命はきれいだリョータ。あの赤い大地をリョータに見せたかった」
 星よりも何よりも洋平が一番綺麗だとリョータは思った。
「リョータ。星はまだ生きてる。命は光だ。−リョータ」
 洋平はリョータの腕の中から抜け出して、リョータを見た。最高に光輝く笑顔で。
「二期後、もう一度次元トンネルが開いたら、その時は ―― 」
「……ああ、約束する」
  ―― しかしその約束が果たされることはなかった。
 光世界からの第二陣が洋平達第一陣の待つ闇世界に来ることは永久になかったのである。

   四十三

 闇世界へ旅立つことを決めたのは、大部分が洋平と同じ第一世代の双子達だった。親達にあたる第四世代はあと二期のうちには寿命が尽きる。新しい時代を作るのは新しく生まれた者達の役目だった。そしてコモンの第一世代とは砂漠へ旅をする者達のことなのだ。
 光の神に見捨てられた者達は、守護神の代わりに光の護符を洋平から受けた。それは光の塔の者達が自らの不安を紛らわせるために手作りした品だった。原形は神事の際に神殿の者達がつける太陽の紋章をあしらった神具。コモン達の心の道標になることだろう。
 光の存在しない闇の世界。不安は全ての光の者達の中に等しくある。光の塔の者達も、コモン達も、もとは同じ光の民なのだ。
 闇の世界に行っても光の民は光の民のままでいられるのだろうか。
「洋平、トンネルを抜けた直後の最終的な生存の確率は一割未満と出た。生きて辿り着くのは千人を割ると思え。五体満足で辿り着く奴は更に少ねえ筈だ。お前も覚悟して行け」
 神殿長のものより動き易い、だが十分に人々を魅き付ける衣装を着けて最期の打合せに臨んだ洋平に、シュスが言った。言霊使い達も準備を整えている。彼らは全員でトンネルを開き、そのうち約半数は全てのコモン達が通過したあと、最後に闇の世界に旅立つのだ。
「必ず生きろ、洋平」
 旅立つ者達は、残る全ての者達の希望をも背負っている。
「オレは死なねえ。……シュス、オレはシュスが言った通り、ずっと闇に憧れてた。最初に闇の存在を知った時から、いつかこの身で闇を実感したいと思ってた。オレの憧れはいつの間にか愛情に近い執着になってたような気がする。……シュス、オレは闇を愛している。だからぜったい闇にも愛される筈だ」
 光の存在でありながら闇を愛する。それが洋平の奇跡の正体なのだと、シュスは知った。そして洋平は必ず闇に愛されると確信した。光に愛されたように、闇にも愛されると。
「時間だ、洋平」
 頷いた洋平は既に未来しか見ていなかった。
 未知なる闇の星。闇によって生み出された生命が息づく星。善の反因子、悪の蔓延る星。想像することすらできない、想像を超えた星。
 自分の中の感情の高まりを意識した。もしも星の崩壊がなくとも、洋平はいつか闇の星へと旅立っただろう。それは未知のものを知りたいという終わりのない知識欲。今滅びを迎えようとしている人間の、どう抑えることもできない絶望的な欲求だった。
 しかし人間は欲するのだ。命を得た瞬間から、滅びを迎えるその時まで、先へ進むことをやめない。いつか宇宙の真理を知り尽くすことを求めずにはいられないのが人間なのだ。
 その絶望は、洋平の中で希望になった。



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