真夜中の出来事
真夜中 ――
見かけ無造作に互いの官能的な肉体を堪能しつくした二人は、その余韻に浸りつつ抱き合い寝転んでいた。
南国発祥のホモサピエンスに似た動物そっくりの容貌を持つ男は、さっきまでしどけない声を上げていた隣の男の髪をなでながら、その感触に夢の時間を重ね合わせる。もう一人の男の方は彼よりもやや現実に近いところにいた。その愛撫を受けながらも、心は既に自らが数年来馴染んだ寝具へと飛躍していた。
「赤木、オレそろそろ帰らねえとヤバいんだけど。出席日数ギリギリだし」
夢の時間はそう長くは続くものではない。夢見がちな少年というには容姿は少々老けていたが、年齢的にはまだ十七歳の少年である。普段ことさら大人ぶって見せる彼は、自分の幼さを心の中で反省した。そして、傍らの少年に熱い口付けを贈ると、立ち上がって少年を抱き起こした。
「ああ、送っていこう三井。ずいぶん遅いようだからな」
互いの服を間違えぬよう注意しながら身につける。この場所は暗かった。窓の外からの街灯のあかりで辛うじてものの区別がつく程度の明るさだ。この時間とこの場所を選んだのは赤木の方だった。彼らにとっては情事の場所を選ぶことも、官能の世界へいざなわれるための一つの手段だったからだ。
「出席日数もだが、成績の方はどうなんだ? 授業は判るか?」
赤木のこういう保護者的なものの言い方を、三井は好まなかった。ぷいと横を向く。
「最大限の努力はしてるぜ。……せめて眠らねえようには」
「困った奴だ。オレが教えてやるから今度うちに教科書持ってこい」
二人でいる時間を勉強なんかに使いたくはない。それが赤木には判らないのか。時々三井は赤木をうとましく思う自分を感じていた。着替え終わるとさっさと部室をあとにしていた。
「こら、三井!」
一歩遅れて赤木も部室のドアを出る。そのとたん ――
すってん!
あまりの音に驚いて三井が振り返ると、赤木のその大きな身体は床に情けない格好で転がっていた。ドアに頭をぶつけたらしい。三井は今まで自分がそこねていた機嫌のことなどすっかり忘れて、思わず吹き出していた。
「なにやってんだよ。ったくみっともねえな」
「床が滑ったんだ。見ろ、濡れてる」
三井が膝をついて覗き込むと、確かに床は濡れていた。ここだけ水をこぼしたかのように。
「赤木、そういえばオレ、こんな話聞いたことがあるぞ」
声を落として、三井は言った。その中にほんの少しからかうような響きが含まれていることを、赤木は聞き逃さなかった。
「あるタクシー運転手が真夜中、橋の上で女の人を乗せたんだ。暗い女で、目的地を告げたあとは一言もしゃべらねえ。だけどいざ目的地についてみると、女の人はいなくなっていて ―― 」
「シートがグッショリ濡れてたというんだろう。使い古された怪談でおどかそうとしてもダメだぞ」
「だけどオレ、あのとき一瞬だけど視線を感じた気がしたんだ。やっぱ、幽霊が来てて覗いてたんじゃねえのかな。昔ここで自殺した水泳部の奴かなんかがいて、それで……」
赤木は呆れたように三井を見たあと、立ち上がって身繕いを整えた。怪談など信じる赤木ではない。まして、幽霊など。
「おおかた誰かがバケツの水でもこぼしたんだろう。明日奴らによーく言ってきかせてやる」
結論を出すが早いか、赤木がすたすたと歩きだした。しかたなく、三井も遅れないように歩き始める。本当にこの男は自分の見たものしか信じようとしない。それも赤木のいいところの一つなのだと苦笑しながら、三井は釈然としない思いを心の中で呟いていた。
(だけどあんなドアの前に水たまりがあったら、来たときに気付いたはずだよな。でもそんなこと言っても今の赤木が聞く耳もってるとは思えねえし……黙ってるしかねえか)
「三井、早く来い!」
「ああ、判ったようるせえな」
何だかんだと言っても惚れた弱み。赤木にはさからえない。あれでも赤木は自分を心配しているのだと思うと、三井は本気で怒ることさえ出来なくなっていた。
先ほどの情事をまざまざを思い浮かべながら、三井は赤木の背中を追って、足を早めていった。
その後しばらく、三井は桜木の執拗な視線に悩まされることになる。
が、それはまた別の物語である。
おわり
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