純白の塔


 第5話 信念のままに

 僕の部屋に入って、部屋の中央に座りこんだ。僕は、父さんの言葉を反芻してみる。僕が思い到らなかった答えが、その中にあった。イーグルの塔の権力者たち。その言葉は、僕に新たな想像を掻き立てていた。そうだ。イーグルの塔は、一つの生き物ではない。その中に一万人の人々がいるならば、おのずと上下関係が現われてくるだろう。とくに、政治を行う者たちは、自分がその中で力をつけることにより、火の国を自分の思ったとおりに作り直すことができるのだ。それが、イーグルの塔の権力者だ。火の国の政治は、その権力者の手に委ねられている。イーグルの塔の権力者は、僕達がイーグルの忠実な下僕であることを望むだろう。そうすれば僕達は、争うこともなく、反乱を起こすこともなく、ただひたすら働きつづけるからだ。イーグルの塔についてなに一つ知らない僕達は、知らない権力者のために働きつづける。交易のための食料やコンピューターや、そのほか諸々の製品を作って、その僕達が作ったものを、外国に売って利益を得ている。彼らは、このおとなしい火の国を変えようとは思わないだろう。良くしようとは思わないだろう。それよりも、自由にならない外国を相手に、より有利な交易をしようと力を尽くすだろう。そのために僕達は働かされ、多くの子供を残すこともなく死んでゆく……
 それは何という不公平だろう。全てを知る権利が、僕達には与えらえないのだ。僕には知りたいことがたくさんある。僕達の自由を束縛するものの存在を、このまま許していいのだろうか。僕には知る権利がある。僕は、知らなければならない。
 僕はこの時決めていた。イーグルの塔に行こうと。父さんは、ここに残ることで、自分を見出そうとしていた。父さんの姿勢はすばらしいと思う。僕もそうやって自分をためすことができるようにも思える。それでも、僕は思うのだ。もっと広い世界を見たいと。火の国より広い世界。この、広い地球の、数百の国々。僕は広い世界に関わって生きてゆきたかった。それが、僕の新しい夢となった。それが僕の選ぶ道だ。例えイーグルの塔で殺されようとも、今のままで生きてく事なんてできはしない。殺されるか、世界を見るか、どちらであっても後悔なんかしない。
 そうだよ、僕は、父さんを超えようと思ったんだ。父さんは立派な人だ。尊敬している。僕は父さんと母さんの子供で良かった。僕にとっては最高の両親だった。だからこそ僕は思うんだ。僕は、父さんよりも遠いところに行く。父さんにできなかったことをして見せる。父さんがしたくてもできなかった夢を、僕が果たしにいってくる。僕は、父さんを踏み台にして、もっと高いところに登り詰めて見せる。
 これが僕が父さんと母さんの子供に生まれた意味だと思うんだ。二人ともきっと判ってくれる。僕の門出を喜んでくれる。それが例え、殺されに行くのだとしてもだ。殺されたとしても、僕は一つの真実を掴むことができるだろう。誰に伝えられなくても、真実の追及のために死んだ僕を、自分で誇りに思うことができるだろう。僕にはもう迷いはない。だからきっと、後悔もないのだ。
 そうやって僕が心を決めてからも、時間は順調にながれた。昼の食事をとるときも、僕は父さんと母さんになにも話さなかった。夜になったら話そうと思っていた。夜になれば、渉が帰ってくる。渉は僕にとってなくてはならない兄だったから、渉になにも話さずに事を決めてしまうことはできないと思ったのだ。
 僕が夜までの時間を自室で過ごしていると、渉は帰ってきた。渉一人ならば僕は話そうと思っていた。しかし、渉は一人ではなかった。渉と一緒に入ってきたのは、慶だった。
「慶。どうしたんだ?」
 慶の様子はおかしかった。少し怒っているかのようにも、困っているかのようにも見えた。
「裕と話がしたかったの。悪いんだけどあたしたちの話を聞いて」
 渉はばつが悪そうな顔をしていた。この分だと、渉は今日も失敗したらしい。僕はうなづいて言った。
「いいよ。とりあえず座りなよ」
 僕達が三角形に座ったあと、慶は幾分落ち着きを取り戻して言った。
「渉があたしと結婚したがってるって話は聞いてる?」
「渉から聞いたよ。慶の返事のことも」
「それなら話は早いわ。あたしは、渉のことを友達としか思えないの。これは、あと二年たったところで変わらないわ。そのことを、裕から説明して欲しいのよ」
 突然にこんな事を言われたからと言って、僕に満足な説明ができるはずはなかった。何故ならば、僕は慶の気持ちについて、なに一つ判らなかったから。判らないものを、どうして説明できるだろう。
「慶に説明できないことを、僕ができるはずはないだろう? そんな事言うなよ」
「説明はできるわ。言い方が悪かったのね。あたしは裕に、渉を納得させてもらいたいの。あたしがどうして渉と結婚できないのか」
 説明と納得と、どこが違うのだろう。そんな事を考えながら、僕は慶に言った。
「つまり、どうすればいいんだ。僕は渉のことをいい結婚相手だと思ってるから、そのことについてはなにもいえないよ。渉に悪いところなんか見つけられないんだから」
「じゃあ、言うわね。例えば裕、あたしが裕と結婚したいと言ったら、裕ならどうするかしら? 二年後の結婚相手として、あたしのことを真剣に考えられる?」
 慶の言葉を聞いて、僕ははっとした。もしも慶が僕と結婚したいと言っても、僕だったら、慶をそんな風には思えなかっただろう。僕にとっての慶は、いい友達だった。子供のころから一緒で、頭も良かったし、友達として僕は慶を好きだ。慶を信頼していたから、慶が悪いといって僕をたしなめたら、僕は慶のいうことを考えたし、逆に慶が悪いことをしていたら、僕は慶に嫌われるかも知れないなんて事は考えずに、慶を叱っただろう。慶が困っていたら僕のできるかぎりの力を貸して助けるし、僕が困っていると知った慶は、僕のためにできるかぎりのことをしてくれただろう。僕は慶にたいして嘘をつくようなことはしなかったし(もちろんいたずらは山ほどやった覚えがある)、慶も、僕をないがしろにするようなことはなかった。僕にとって、慶は親友だった。それが、もし結婚となったら……
「渉、ごめん。僕はもう、渉の味方にはなれないよ」
「裕」
「判ってしまったんだ、慶の気持ちが。慶は渉を結婚相手として見ることはないよ。慶が僕と同じ気持ちなら、慶は渉のことを親友だと思ってる。親友の気持ちは、二年たっても親友だよ。僕は、親友が最高だと思ってる。だから、親友が結婚相手に変わることはないんだ。渉は諦めなければならないよ」
「そうなのか? 慶」
「裕のいったとおりよ。渉が親友だから、渉とは結婚できないの。気持ちが嬉しかったのは本当よ。同時に寂しい気持ちがあったのも本当。あたし、渉にあたしの結婚を喜んでもらいたかった。それとも、二年たったら渉の気持ちが変わるかしら。あたしの選んだ人と、友達になってくれるかしら」
「裕、悪いけど席を外す」
「うん」
そうして渉が出ていって、僕と慶が残された。
「裕、あたしももう帰るわ」
「その前に、少しだけ僕の話を聞いて」
おそらく、慶と話ができるチャンスは、もうやってこないだろう。だから僕は、一番最初に慶に聞いてもらうことにした。僕の決心のことを。
「僕はもうしばらくしたら、ここを出てゆくことにしたんだ。だから慶と話ができるのは最後かもしれない」
「そうなの? どうして? 渉はなにも言ってなかったわ」
「渉には話してない。今夜話すつもりだけど、聞いてくれるかな。どうもさっきの様子だと、立ち直るのにしばらくかかりそうだ」
「あたし本当は、渉ではいけない訳なんかないの」
「うん」
「あたしね、兄さんがいるの。あたしが生まれたころにはもう結婚していて、あたしよりも一つ年下の子供がいるの。結婚してからもときどき遊びに来ていて、あたしよく兄さんに遊んでもらった。その兄さんの家庭が、すごく楽しそうだったの。可愛らしい奥さんがいて、子供がいて、その家庭があたしの理想だったの。兄さんは中央管理局での紹介の結婚だった。恋愛結婚もあるけど、見合いの結婚の方がうまくいくって、兄さんたちは言ってて、実際、兄さんたちの幸せな様子を見ていると、あたしも見合いをして幸せになりたいって、そう思うようになったの。いまでも兄さんたちは幸せそうで、あたしに恋人はいないのかとか聞くようになったけど、あたし、恋愛は結婚してからでもいいような気がしているの。だから、本当は、渉が悪い訳でもないし、それに……」
「渉は判ってくれるよ。渉が一番望むのは、いつだって慶の幸せなんだから」
「あたしも、裕が新しい生き方を全うすることを望んでいるわ。もう会うことができないのは、ちょっと寂しい気がするけど」
「そうだな。幸せになった慶を、僕も見たかった気がするよ。一時は僕の姉さんになるんじゃないかって期待したんだけどね」
「もう忘れてよ。あたしはあたし、渉は渉、裕は裕でしょう」
「そうだね」
 僕達は、一回握手をしてから別れた。慶はきっと、イーグルの塔のことなど少しも気にとめずに生きてゆくだろう。だから、僕がどこへ行くかなんて、知らない方がいいことだった。僕の、親友との別れは、見事にクリアしたと言っていいだろう。
 そろそろ夕食が近いころだったので、僕は下におりていった。渉のことが心配だったこともある。近くにいた母さんに、僕は聞いた。
「渉は?」
「父さんと話してるわ。渉はどうかしたの?」
「慶に振られたんだよ。そういう事もあるって」
「あらそうなの? 慶さんのような人がお嫁に来てくれたら、母さんも楽しかったのに」
「僕もだよ。でも、仕方がなかったんだ」
 渉と父さんが部屋からでてきた。渉は泣き晴らしたような顔をしていた。
「裕、慶は帰ったのか?」
「いましがたね」
「僕は慶のことを忘れないよ。慶のことをずっと好きだって意味じゃなく、ただ、慶のことは忘れられないよ」
「ひっかかりはなくなった?」
「ああ、なくなった。裕よりは遠まわりしたけど」
「僕は、遠まわりできた渉が羨ましく思うよ」
 やがて、四人で食事をとった。誰もなにも言わず、ただもくもくと食べつづけていた。その時僕は考えていた。食事のあと、僕が決心の話しをしたら、三人はなんて答えるだろう。どんな反応を示すだろうって。そう考えて、僕は少し悲しくなった。渉がなんて言うだろう。渉は、僕を許してくれるだろうか。自分一人で決めてしまった、僕の事を。
 僕は、渉に反対されたら、決心が鈍るような気がしていた。それは気のせいかも知れない。僕の決心は固いはずだから。
 そして食事が終わったあと、僕はみんなのいる前で言った。
「父さん、母さん、渉、僕の話しを聞いて」
なにも言わずに僕を見つめる三人の視線のなかにいて、僕は口を開いた。
「僕は決めました。僕は、イーグルの塔に行きます」
 父さんと母さんは驚かなかった。渉だけが、驚いた顔をしていた。だけど、なにも言わなかった。
「僕のわがままのためにみんなに迷惑をかけてごめんなさい。だけど、行くことに決めました。許して下さい」
僕は父さんに向かって頭を下げた。父さんは僕の肩をたたいて顔を上げさせたあと、言った。
「裕、それをわがままと言う人もいるかも知れないが、父さんは言わない。そういう時は、別の言葉を使うんだ」
「別の言葉?」
「『信念』だよ。裕は信念のために行くんだ。それは誰にもとめられはしない。裕、貫き通すだけの信念を見つけた人は幸せだ。裕の信念は、それは私たちの希望とは違うものかも知れない。それでも、裕は行かなければならない。裕の道は、自分で切り開いてゆかなければならないんだ。
 裕、親は、子供の人生を邪魔してはいけないんだ。何故ならば、子供とは、親を乗り越えてゆくものだから。裕はきっと、父さんが辿り着けないほど遠くへゆくだろう。そして裕の子供は、更に先を目指してゆくだろう。その子供はその先へ。そうして人は長い鎖のように、未来へと続いてゆくものだ。一人一人の人生は短いけれど、それがつながることによって、いくらでも遠くへゆくことができる。だから父さんはお前の足をひっぱることはしない。代わりに背中を押してやろう。裕ができるだけ遠くへゆけるように。父さんは、お前を誇りに思うよ」
 父さんの言葉の一つ一つが、僕の心に大きな比重を占めた。人には、忘れられない言葉が一つあるという。父さんにとって、それは母さんの言葉だった。僕にとっては、今の言葉こそが、唯一忘れられない言葉になるだろう。どこかでくじけそうになったとき、僕はこの言葉を思いだすことがあったら、きっと立ち直ることができる。僕を育ててくれた父さんの、思い出と共に。
「父さん、僕はかならず、父さんよりも遠くへゆくよ。約束する」
 そして僕は渉と共に、部屋へと戻った。渉には話しておかなければならないことがあるような気がしていた。
「渉、ごめん。一人で決めてしまって」
渉の顔は、僕が思ったよりもずっと穏やかだった。
「一人で決めるのは本当だろ。僕だって、慶に対する感情を昨日まで言わなかったんだから、おあいこだよ」
 渉は本当にふっきれた顔をしていた。慶のことも、もうひっかかってはいない。渉はこれから僕と同じように考えてゆくだろう。渉はどんな道を選ぶんだろうか。僕はそれを見届けることができるのだろうか。
「渉、父さんになんて言われたの?」
「なにも言われなかった。僕の話しを全部聞いてくれたあと、僕の頭をなでてくれた。ただそれだけ」
それで渉は泣いたんだろう。父さんの前で。僕は泣けなかった。僕は父さんの前では大人でいたかった。渉は違ったのかも知れない。渉は父さんの前で、子供でいたかったのかも知れない。
「渉、僕が行ってしまったら、渉はどうするの?」
「どうもしないよ。僕は僕で自分の道を考える。とはいっても、僕は裕ほど考えるのが得意じゃないから、時間もかかるかも知れないけど。でも、ゆっくりだけど、僕はかならず見つけるよ。裕に負けてはいられないから」
「そうじゃなくて、僕がいなくなったら、渉は寂しくないのか? 僕はもう帰ってはこられないんだよ。それでも、渉は寂しくないって言うのか?」
「寂しいかも知れないけど、大丈夫だよ」
「渉!」
僕は渉の腕を引いて、かなり乱暴に渉にだきついた。渉が驚いているのは気配で判った。それでも、僕は構わずに腕に力をいれた。
「寂しいって言えよ。僕がいないと寂しいって。僕にどこにも行くなっていってくれよ。それでなければ嫌だ。それでなければ嫌なんだ! わーん!」
僕は、渉の首筋に顔を埋めて、そして大声で泣き始めた。そうだよ。僕は、本当は渉に止めてもらいたかったんだ。どこにも行くなって、反対して欲しかったんだ。僕はきっと、誰かの前で子供になりたかった。わがままを言いたかった。僕が今渉に言ったことは、信念なんかじゃない。子供のどうしようもないわがままだ。筋の通らない、自分勝手な思い。それを、渉にぶつけたかった。渉に、受け止めてもらいたかったんだ。
「寂しいよ。僕は裕がいなければ寂しいんだ。どこへも行くなよ、裕。ずっと僕のそばにいろよ。イーグルの塔に行くなんて言うなよ」
 渉は僕の体を抱き締めて、僕が期待した言葉を僕が期待した言い方で言ってくれた。僕には渉の心づかいが嬉しかった。僕が心を変えないことも判っていて、あえて僕のわがままを聞いてくれた渉。僕は渉が大好きだった。子供のころから一緒に育ってきた渉。僕のことなら何だって知っている渉。僕が今わがままをいえるのは、渉以外にはいない。僕を泣かせてくれるのは、渉以外の誰でもない。
「僕の兄さん」
「そういえばそうだった。裕は僕の弟なんだ。ということは、僕は弟に先をこされたって事かな」
「兄さんの方が早熟だったよ。僕は結婚については考えたこともなかったからね」
「イーグルの塔に女性がいなかったら、お前は一生独り者か。かわいそうに」
「あ、言ったな」
 渉と組み合いのじゃれっこをしながら、僕は思っていた。両親との別れも、渉との別れも、合格点とは言えなかったけれど、それなりに僕は乗り切っていた。もう僕には一筋の道しか見えない。イーグルの塔に続く、一本の道。それからは様々に別れているであろう僕の道は、今は一本道に見えるから、迷わずに歩いてゆける気がしていた。
 やがてベッドに入った僕は、明日のことを考え始めていた。明日僕は、また学校にはゆかず、中央管理局に行こうと思う。それであの食事の管理者を呼び出してもらって、僕がイーグルの塔に行くことを報告しよう。一通り反対の言葉をもらって、それでも僕の気が変わらなければ、たくさんの忠告の言葉をもらえるに違いない。申請の仕方を相談窓口の人間に聞いて、申請書を書くのか何なのか、手続きのあと、どのくらいで許可がおりるのだろう。一日か、一週間か、許可がおりて、やがて僕はイーグルの塔に向かうだろう。歩いていくのか、乗り物を使うのか、僕にはなに一つ判りはしない。イーグルの塔に行ったら、最初に何を話せばいいのだろう。申請を出した理由を尋ねられたら、何と答えればいいのだろう。
 僕は様々に考えを巡らせながら、ふと、自分の三日間について思った。そうだ。僕にもし子供が生まれたら、僕は考えるのに三日かかったと言ってやろう。そして、僕の父さんは偉大な人で、三か月を考えて、残ることを選んだのだと、胸を張って言ってやろう。この三日間のことを、僕は残らず覚えておこう。そうさ、僕の記憶力は最高レベルだ。覚えておこうと思ったことを忘れたりはしないだろう。
 僕にのこされているのは、信念と希望だけだ。それがどの程度、イーグルの塔で通じるのかは判らない。だけど、僕の武器はそれだけしかない。僕は、身一つのままで、イーグルの塔に立ち向かってゆくのだ。
 それが、僕が選んだ道なのだと、胸を張って歩きつづけるのだ。



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危険 近寄るべからず