続・祈りの巫女
1
真夜中の神殿で、あたしは神様に祈りを捧げていた。
マイラの中に宿った小さな命。その命の火が消えないように。マイラが無事にお産を終えられるように。今度こそ、マイラとベイクが幸せに暮らせるように。
一通り、祈りの儀式を終えて、あたしは立ち上がった。後ろに控えていたカーヤが気付いて近づいてくる。
「祈りの巫女、終わったの?」
「うん、あとは神様にお任せするだけ」
「無事に生まれるといいわね」
マイラは、子供を産むには少しだけ年を取っていた。最初の出産が14年前、その子供を5歳で亡くしてしまってから、マイラは1人の子供を産むこともなかった。続けて産んでいればそれほど心配もなかったのだけど、14年も間があいてしまったから、もしかしたら子供だけじゃなくてマイラ自身も危ないかもしれないんだ。マイラは今苦しんでる。あたしの祈りが、少しでもマイラを癒すことができるのなら。
あたしは、マイラを幸せにするために、祈りの巫女になったのだから。
「祈りの巫女、もう夜も遅いわ。ろうそくを消してもいい?」
「ええ、お願い」
カーヤに手伝ってもらいながら、神殿のあちこちに置いたろうそくを消して、集めて回る。あたしがわがままを言ったからカーヤにもずいぶん迷惑をかけてしまった。カーヤはあたしよりも2歳年上の巫女で、今はあたしの世話係をしながら、巫女の修行を積んでいる。1年と少し前にあたしが祈りの巫女になってから、ずっとそばにいてくれる友達だった。
神殿を出て宿舎に戻ってから、カーヤはそのままベッドに入って眠ってしまったけど、あたしはなかなか眠れなかった。今、マイラは最後の苦しみの時を迎えている。もう少しで赤ちゃんが産まれる。マイラを幸せにしてくれる、小さな命が。
その夜、あたしはとうとう一睡もできないまま、ベッドに肘をついてマイラのために祈りつづけていた。
2
あたしが儀式を受けて祈りの巫女と呼ばれるようになってから、1年余りが経っていた。あたしは14歳になって、やっと神殿での暮らしにも慣れてきたところ。神殿の宿舎にずっと住むようになって、世話係のカーヤと一緒に暮らしながら、あたしは祈りの巫女についての様々なことを学んでいた。1日のほとんどを勉強に費やして、神殿が空いている時間にマイラのために祈りを捧げて、あたしの1年は瞬く間に過ぎ去っていった。
あたしが眠れないまま朝を迎えると、カーヤが少し眠そうな顔で起きてきていた。
「おはよう、ユーナ。……どうしたの? 眠れなかったの?」
宿舎にいるときは、カーヤはあたしをユーナって呼んでくれた。そう呼ばれている時だけ、あたしは自分が祈りの巫女だってことを忘れていられる。あたしはカーヤのことが大好きだった。年下のあたしに仕えているのはあんまり気分がいいものじゃないだろうに、そんなそぶりを微塵も見せないカーヤに、あたしは彼女の意志の強さと限りない優しさを感じていた。
「マイラのことがすごく心配だったの。まだ産まれないのかな。もう産まれていい頃よね」
「ユーナ、子供を産むのって、すごく時間がかかるのよ。大丈夫、産まれたらすぐに神託の巫女のところに知らせがくるんだもの。神託の巫女にはちゃんと頼んでおいたし、すぐに教えてくれるわ。そんなことより出かける支度を整えて待ってないと、知らせが来た時すぐに駆けつけられないわよ」
「そうよね、大変!」
カーヤに言われて、あたしはすぐに顔を洗いに台所へ行った。カーヤも着替えをして、顔を洗ったあと、朝食の支度を始めてくれる。あたしはなんだか落ち着かなくて、でもカーヤが朝食の支度をしている時間は勉強時間に決めてたから、台所からドアを隔てた勉強部屋で読書を始めた。
今あたしが読んでいるのは、2代目祈りの巫女の日記を、のちの神官の1人が物語に起こしたもの。あたしの勉強の多くは、そうした昔の物語を読むことだった。
読み始めて、あたしはすぐに物語りに引き込まれていった。
3
2代目の祈りの巫女は1300年以上前の人で、名前はセーラっていう。ちなみにあたしは12代目の祈りの巫女で、11代目は120年以上も前の人だった。祈りの巫女はほかの巫女と同じ、1つの時代に1人しか生まれないけれど、ほかの巫女が死ぬと次の代の巫女が決まるのとは違って、祈りの巫女がいない時代もけっこう多いんだ。祈りの巫女はそれが必要とされる時代にしか生まれないの。祈りの巫女になる子供が生まれたときに神託の巫女が予言をして、あたしもそうやって祈りの巫女になった。
だから、例えばカーヤは将来、神託の巫女や聖櫃の巫女になる可能性はあるけど、祈りの巫女にはぜったいになれない。この時代には祈りの巫女はあたししかいなくて、あたしが死んでも、次にその子供が生まれるまではまた祈りの巫女がいない時代が続くことになるんだ。
セーラの時代はすごく特別な時代で、祈りの巫女と命の巫女とが初めて揃って生まれた。命の巫女は祈りの巫女と同じ、神託の巫女の予言で生まれるけど、祈りの巫女よりもずっと少ないの。たぶんまだ3人くらいしかいないんじゃないかな。そんな2人の巫女が揃うこともめったになくて、今のところセーラの時代が最初で最後だった。
2代目のセーラは、12歳で祈りの巫女の儀式を受けて、17歳で亡くなった。あたしはまだこの物語を読み始めたばかりで、今はセーラが13歳のあたりを読んでるの。今のあたしよりも少しだけ年下の、でもすごく活発で頭がいいセーラ。彼女はジムという青年に恋をしていた。この頃の物語はほとんどジムとの恋物語で、あたしはその恋を自分に置き換えるようにして、物語の世界に入り込んでいた。
ジムと、もう一人セーラに心を寄せるアサという青年。この2人はのちに騎士と呼ばれることになる。騎士は祈りの巫女と同じ時代に、まるで祈りの巫女を守るように生まれてくることが多いの。ジムが右の騎士で、アサが左の騎士。2人の騎士がきちんと揃うこともあまりないから、本当にこの時代は特別だったんだ。命の巫女にも騎士はついていて、この時代には2人の巫女と4人の騎士が揃った。それはものすごく特別な時代で、その分とても大変な時代だったの。
セーラは17歳の若さで亡くなってしまった。村を襲った大きな災いを回避するために祈り続けて。あたしは知識ではそれを知っていたけれど、物語のセーラはまだ13歳で、恐ろしい未来を知ることのない、幸せな女の子だった。
あたしは物語を読みながら、セーラのジムに、リョウの姿を重ね合わせていた。
4
「ユーナ、朝ご飯ができたわよ。食べましょう」
カーヤの声が聞こえたから、あたしは現実に引き戻されて、本にしおりを挟んでから部屋を出た。とたんにスープのいい匂いが飛び込んでくる。あたしはものすごくお腹が空いてたことに気がついた。
「わあ、ジャガイモのスープね。おいしそう。いただきまーす」
「少し熱いかもしれないから気をつけてね」
「うん、ありがと」
カーヤはすごく料理が上手だった。スープとハムの入った卵焼きとライスだけの簡単な食事なのに、あたしが自分で作るのとはぜんぜん味が違うの。向かい合わせに食卓について、おいしい食事を頬張りながら、あたしはさっきまで読んでいた物語の話を始めた。
「今ね、セーラがジムに片思いしてるところなの。すごく一生懸命なのよ。でもね、セーラの気持ちがなかなかジムに伝わらないの」
カーヤは祈りの巫女の物語を読んだことはないみたい。過去に巫女はたくさんいたから、カーヤは歴史の流れを勉強することが必要で、あたしみたいに1つの物語をじっくり読むことなんてできないんだ。
「ジムって、セーラの騎士の1人なんでしょう? それなのに片思いなの?」
「セーラが13歳の頃は、ジムが騎士だってことはまだ誰も知らないの。だからセーラは、ジムが騎士だから好きになったんじゃないの。1人の男の子として好きになったのよ」
「祈りの巫女でも自分の恋は自由にならないんだ。ちょっと不思議な感じね」
「自由になんてできないのよ。だって祈りの巫女は、自分のことは祈っちゃいけないんだもん」
自分のことは、すごく強い想いになる。その想いが強ければ強いほど、祈りの力も強くなる。そんな強い力で祈るのはよくないことなんだ。だから祈りの巫女は、ほかの人のことを祈るのはできるけど、自分のことを祈るのはできないことになってるの。
「それじゃユーナは、リョウの恋人になりたい、って祈りもできないんだ」
カーヤにからかうように見つめられて、あたしは下を向いてしまった。
5
リョウは17歳で、あたしが小さな頃からずっと遊んでくれた男の子。近くに住んでいて、6歳までは大っ嫌いないじめっ子、そのあとはいちばん優しくて大好きな人になった。あたしは祈りの巫女になって、神殿の専用の宿舎に住むようになったけれど、あたしよりも少し遅れてリョウも独立した。そのリョウの今の家は神殿から少し山を降りた森の中だった。
あたしはリョウが大好きだった。だからカーヤが言うようにリョウの恋人になれたらいいと思ってた。セーラがジムに恋してたみたいに、あたしもリョウに恋してるのかもしれない。
「……リョウの気持ちはリョウのものだもん。祈りで変えたりできないのよ」
「でも、リョウに言われたんでしょう? 一緒に住みたい、って。それってあたしにははっきりプロポーズに聞こえるんだけど」
そう言ってカーヤがからかったのは、あたしが祈りの巫女の儀式を終えた日の出来事だった。その時はリョウの家は整地もまだで、切り開かれた森の真ん中でリョウがあたしに言ったの。「オレがこの家に一緒に住むのはユーナに決めてる」って。あたしはその時まだ13歳で、このリョウの言葉がプロポーズだなんて思えなかったけど……
祈りの巫女になって、カーヤとたくさん話しているうちに、あたしも気付いた。独身の男の人と女の子とが一緒に住むのって、結婚以外に考えられないんだ、って。
リョウはあの時、あたしにプロポーズしたのかもしれない。あの時はそのことに気付かなくて、あたしもリョウに大好きだって言って、リョウは判ってるって言ったんだ。
でも、それからのリョウの態度はそれまでとほとんど変わらなかった。もちろんリョウ自身がぜんぜん変わらなかった訳じゃなくて、あの頃よりもずっとたくましくなったし、どんどんかっこよくなっていったけど。
「たぶんリョウはプロポーズのつもりなんかなかったと思う。だってあたし、まだぜんぜんリョウにふさわしくないもん」
「そうね、ユーナはまだ14歳だものね。結婚を決めるにはちょっと早すぎるわね」
カーヤがそう言ったとき、突然誰かが宿舎のドアをノックしたから、あたしは驚いてしまった。
6
「祈りの巫女いる? マイラの子供が生まれたわ」
ドアの向こうから声がして、あたしがドアを開けるのを待ちきれなかったように顔を覗かせたのは、あたしがずっと待ち続けていた神託の巫女だった。
「ああ、よかったいたわね。すぐにマイラの家に行くから支度して」
「それで? 男の子女の子?」
「まだ聞いてないわ。そんなこと慌てなくてもすぐに判るわよ。先に行っててもいい?」
「待って! あたしも行く!」
食事の途中だったからカーヤに一言ごめんなさいを言って、あたしは飛び出すようにドアを出た。神託の巫女に遅れないように坂を降りていく。神託の巫女は、子供が生まれるとすぐに食事の途中だろうが眠っている時だろうがかまわず呼ばれて、生まれた子供に関する予言をする。彼女は山道を駆け下りることにも慣れてるみたいだった。どうしてもあたしは遅れがちになって、坂の勾配が緩やかになる頃にはもう、神託の巫女の姿は見えなくなってしまっていた。
マイラの子供が生まれたことがすごく嬉しかった。でも、同時に少し不安にもなっていた。もしもまた長く生きられない子供だったらどうしよう。1人目のシュウのように、幼くて死んでしまうことが判ってる子供だったら。
シュウは、あたしの命を救うために死んでしまった。だからあたしは、今度こそぜったい、マイラに幸せになってもらいたいのに。
走りながらもう一度神様に祈った。どうかマイラの子供が、マイラ夫婦よりもずっと長生きして幸せになりますように、って。
そうして走り続けて、やっと村のはずれが近づいてきた。マイラの家は森の近くで、神殿からいちばん遠いの。息を整えながらドアをノックすると、手伝いにきていた女性たちの1人がドアを開けて、あたしを招き入れてくれた。
部屋の中には2人の女性とベイク、ベッドにはマイラが疲れた表情で横になっていた。そして、生まれたばかりの赤ん坊を抱きながら、神託の巫女が目を閉じて立っていた。
あたしが目をやると、マイラは誇らしそうな、でも少し不安そうな目で、あたしに微笑んだ。
7
神託の巫女の集中を妨げないように、誰もが無言で、赤ん坊すらも泣き声を上げなかった。あたしはまだマイラにおめでとうも言えなかったし、生まれた子供が男の子なのか女の子なのかも聞けなかった。しばらく沈黙の時間が続いて、やがて神託の巫女が静かに語り始めた。
「……大丈夫よ。この子はベイクよりマイラより、ずっと長生きするわ。結婚相手はまだ生まれてないから名前は判らないけど……あら、偶然ね祈りの巫女、結婚相手はあなたの弟のオミの娘よ。少し年は離れてるけど、ちゃんと子供も生まれるわ。仕事も持って、幸せに暮らせるわ。安心してマイラ、ベイク」
当然のことだけど、あたしは神託の巫女が予言するところを見たのは生まれて初めてだった。予言の言葉を聞いて、自然にベイクがマイラを抱き寄せた。この2人がどれほど安堵したか、言葉がなくても知ることができる。胸が詰まるみたいだった。
いつの間にかあたしは涙を流してたみたい。かすんでしまった風景の中で、神託の巫女はベイクに赤ん坊を手渡した。
「ありがとう、神託の巫女」
「ありがとう……」
まるで夢の中のようだった。幸せに微笑みあうマイラとベイク。今の2人の姿は、あたしが神様へ祈りながら、ずっと脳裏に描きつづけてきたそのままだったから。
「ありがとう、ユーナ」
ベイクから赤ん坊を引き継いだマイラが言って、あたしを驚かせた。マイラは目に涙を浮かべて、でもすごく幸せそうに笑っていた。
「おめでとう、マイラ。よかったね」
胸がいっぱいでそれだけしか言えなかったけど、マイラにはあたしの気持ちが判ったみたい。シュウの分まで幸せになるといいね。そんなあたしの心の声に、マイラが答えてくれた気がした。
「すごく大切に育てるわ。……この子の命は、ユーナとシュウにもらった命だもの」
その時あたしは、今まで胸につかえていたものが、一気に解き放たれたような気がした。
8
マイラも赤ちゃんも疲れていたから、落ち着いた頃にまた来ることを約束して、あたしは神託の巫女と一緒にマイラの家を出た。帰り道で神託の巫女はしばらく話をしようとしなかったから、沈黙の中で少しずつ実感が湧いてくる。あたしはマイラの幸せを神様にお祈りして、その祈りはかなえられたんだ。あたしはやっと、祈りを本当にすることができたんだ。
あたしはこのときシュウの命をも償うことができたような気がしていた。あたしを助けて死んでしまったシュウの命を、新しい命で償うことができたんだ、って。
村の反対側のはずれを通り過ぎて、道が上り坂に変わる頃、ようやく神託の巫女が口を開いた。
「祈りの巫女、あなたには話しておかなければならないかもしれないわ」
神託の巫女の声はあたしが想像してたよりもずっと苦しそうで、振り返って驚いてしまった。神託の巫女にはマイラに予言した時の明るい表情なんて微塵もなかったから。
「……どうしたの? あの子に何か悪いことがあるの?」
目を伏せて、神託の巫女は悪い考えを追い払うように首を振った。
「いいえ、生まれた子には何もないわ。私の予言も嘘じゃない。……ごめんなさい。今日のことを守りの長老に報告して、判断を仰いでみる。遅かれ早かれ祈りの巫女は知らなければならないことだもの」
それきり、神託の巫女が具体的には何も言わなかったから、あたしはよけいに不安になっていた。そんな気分のまま神殿に帰り着いて、宿舎のドアを開けると、待ちかねたようにカーヤがあたしを迎えてくれた。
「ユーナお帰りなさい。それでどうだった? マイラの子供は?」
あたしは半分笑顔を作るようにしてカーヤに答えた。
「もうすごくかわいかったわ。男の子でね、マイラやベイクよりもずっと長生きして、オミの娘と結婚するんだって。もうびっくり! ……って、これは誰にも言っちゃだめよ。神託の巫女の予言は両親だけの秘密なんだから ―― 」
カーヤに明るく話しながらも、あたしはさっき神託の巫女が言ったことが気になって、しばらく頭から離れなかった。
9
神殿は割にいつも誰かが使っていて、新米の祈りの巫女は強引に割り込むことなんかできなかったから、あたしが祈りを捧げられるのはたいてい夜になってからだった。本当はすぐにでも感謝の祈りを捧げたかった。でも、その日も神殿の予定はいっぱいで、あたしは夜までの時間を部屋で勉強することに費やした。
あたりが暗くなってきた頃、1日の仕事を終えたリョウが、あたしの宿舎にやってきた。カーヤにその知らせを聞いて、あたしはセーラの物語を切りのいいところまで読んだあと、部屋を出た。
リョウは食卓に座っていて、カーヤが入れたお茶を飲んでくつろいでいるところだった。
「ユーナ、お疲れさん」
「お帰りなさい、リョウ」
「今カーヤに聞いたよ。マイラの子供が無事に生まれたんだってな」
リョウは笑顔でそう言って、隣に腰掛けたあたしの頭に手を乗せた。あたしはリョウが大好きだけど、そうして頭をなでられるのがなんだか子ども扱いされてる気がして、ほんの少しだけ嫌だった。
「うん、男の子だったの。……シュウなのかな」
あたし、もしかしたらリョウに甘えてたのかもしれない。リョウは頭をなでながら、慈しむように微笑んだ。
「まだ判らないけど、たぶん違うと思うよ。っていうか、オレは違ってて欲しい。ユーナは? シュウの方がいい?」
「……判らないわ。でも、たぶん違う方がいい。シュウは1人だけでいいもん」
マイラはあの子にどんな名前を付けるんだろう。シュウの名前を付けるのかな。それとも、ぜんぜん違った名前にするのかもしれない。
神託の巫女の言葉が、あたしを不安にした。もしかしたらあの子はシュウなのかもしれない、って。何も教えてもらえなかったから、あたしはいろいろ想像して、リョウを目の前にしてふいにこぼれ落ちてしまったの。
「リョウ、たまにはあたしが作ったお夕飯を食べていって。1人で食べてもおいしくないでしょう?」
少し重苦しくなった空気を感じたのか、気分を変えるようにカーヤが言った。
10
昔の物語を読んでいると、ときどき転生って言葉が出てくることがある。以前生きていた人の魂が新しい身体に宿ることを言っていて、神託の巫女は誕生の予言の時に知ることができる。でもそれは本人にも両親にもぜったいに知らされないから、死んだあと物語になって初めて判ることなんだ。転生は巫女たちに限らず誰にでもあることだから、神託の巫女に報告を受けた神官が、戸籍に記載する時に一緒に付け加えられることになる。
リョウのように神殿にかかわらずに生きている人たちは、そもそも転生なんて気にもしないし、必要もないから、そんな言葉があることすら知らないの。あたしはリョウと毎日のように話してるから、前にそんな話をしたこともあった。マイラの新しい子供はシュウの転生なのかもしれない。神託の巫女は、マイラの赤ん坊の予言をして、そんな事実を知ったのかもしれないんだ。
「ありがとう、カーヤ。でも夕飯は自分の家で食べるよ。癖になると困るからね」
「癖になったらなったでいいじゃない。毎日ここで食べればいいわ」
「さすがにそれはまずいよ。若い女性が2人だけの家に入り浸ったりしたら、変な噂が立ちかねないから。オレはよくても祈りの巫女に迷惑がかかる」
「そう? 残念。おいしいのに」
その時カーヤはエプロンを外して、椅子の背もたれにかけながらにっこり笑った。
「ユーナ、ちょっと神殿の予定を見てくるわ。リョウ、ゆっくりしていってね」
「いいわよカーヤ。あとで自分で見に行くから」
「ついでにほかの用事も済ませてくる。……あたしがいては話しづらいこともあるでしょう?」
カーヤはそう言ってさっさとドアを出て行ってしまったから、あたしはなんだか少しカーヤに申し訳ない気持ちになっていた。
「オレはいつもカーヤに迷惑をかけてるな。もう少し早い時間に来られればいいんだけど」
「リョウは悪くないわ。だってリョウにも狩人の仕事があるんだもの」
リョウに視線を移して、あたしはまたセーラの恋物語を思い出していた。
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