外伝・夜明け前
1
「 ―― ほんと、シュウって八方美人ていうか、誰にでも親切なんだから。しかもカノジョのあたしのこと大事にしてないでしょ。だからそうやって人に誤解されちゃうんだよ」
暗闇の中、ろうそくのわずかな明かりに照らされたユーナが、ちょっと怒ってるような呆れてるような表情でオレに文句をたれる。
「大事にしてるじゃんか! オレ、ユーナ以外の女なんてほんとに目に入ってないんだぜ。お互い高校生じゃなかったらとっくに結婚申し込んでるっての」
「このあいだ祈りの巫女に訊かれたときには保留だって言ってたくせに」
「いちいち蒸し返すなよ。つーか、既にはるか昔に申し込んでるの、おまえ覚えてないのか?」
「4歳の頃のことなんて覚えてる訳ないよ。それにあたし、その頃リョウちゃんのお嫁さんになる予定だったんだもん。もしもシュウに結婚申し込まれてたってとっくに断ってるって」
「……だからさ、そういう時は嘘でも「あたしだってシュウちゃんのお嫁さんになるって決めてたもん」くらいのこと言ってくれてもいいんじゃないのか? いちいち傷ついてるオレがバカみたいだ」
「なんで? こんなので傷ついたりするの?」
「するの! ったく、わざとじゃないなら今ここで奴を引き合いに出すのはやめてくれ。できることなら一生リョウの名前なんか口にするな。オレにとっては2度と聞きたくない名前なんだ。これでほんとにオレの前からいなくなってくれるかと思うとせいせいする」
ユーナはちょっと考える風に黙り込んだ。ユーナって実はかなりぼんやりなところがあって、それがかわいいと思えるときもあるんだけど、そのぼんやりってのはけっこう無神経と密接な関わりがあったりする。ユーナはよくオレのことを無神経だと言うけど、ある意味自分もそうなんだってことには気づいてないみたいだ。
夜明け前の神殿の中は真っ暗で、床にいくつか立てられたろうそくだけがあたりを照らしている。オレは腕時計を炎に近づけて時刻を確認した。そろそろこの村での日の出の時刻が近づいてる。
このまま待ってても祈りの巫女がくるかどうかは判らなかったから、オレとしてはさっさと次元の扉をくぐって元の世界へ帰っちまいたかったんだ。だけどユーナが「せっかく見送りにきてくれるのに待たないなんて失礼だよ」って言って譲らないから、しかたなくオレもくるかどうかすら判らない祈りの巫女を待っているところだったりする。
2
「でもさ、やっぱりシュウはあたしよりもほかの人に対しての方が親切だよ。祈りの巫女にだってすっごく素直だし。それじゃ誤解されてもしょうがないんじゃないの?」
「いまさらおまえに着飾っても意味ないって。オレに言わせれば、おまえに対する態度の方がオレの素なんだよ。おまえだって祈りの巫女とオレとじゃ口のきき方がダンチで違うぜ」
「だって、……祈りの巫女にお下品な言葉遣いなんかできる訳ないもん」
「オレだって同じだよ。この村の人たちって、普通にしててもどこか品があってさ、ここにいる間中ずっと緊張なしにはしゃべれなかった」
「まあ、それはそうだよね。……でも運命の巫女に誤解させたのはシュウが悪いけど」
1度は同意するように見せて、そのあとしっかり主張を繰り返してくる。まあ、確かにオレに悪いところがまったくなかったとは言わない。だけど、書庫で何度か会って普通に会話しただけで、いきなり運命の巫女に付きまとわれる羽目になったオレにも少しくらいは同情して欲しいよ。
一昨日の会議のとき、守護の巫女に出立時刻を訊かれて正直オレは冷や汗が出た。正面に座った運命の巫女が、目をらんらんと光らせてオレを見つめていたから。
早朝としか答えられなくて、見送りたいって言う守護の巫女にオレは、現地時間と到着場所を考慮するとどうしてもその時刻じゃないといけないんだって必死に嘘八百並べ立てなければならなかったんだ。その早朝って言葉を運命の巫女がいったいいつだと捉えたのかが判らない。もしも夜明けの頃と取ったのなら、既にいつ現われてもおかしくないくらいなのに。
「もう諦めて見送ってもらったら? 運命の巫女に。あの子何気にかわいいじゃん。2歳も年下らしいし」
「嫌だよオレは。追いすがられて泣かれたらマジ困る。人のことだと思って面白がってるだろおまえ」
「っていうかものすごく呆れてる ―― 」
そのとき、不意に神殿の扉を叩く音が聞こえて、オレはびくっと身体を震わせた。神殿の扉がゆっくりと開いて、やってきたのが祈りの巫女だと判ったときには心の底からほっとしたんだ。
3
唐突に猫をかぶったオレは、暗闇で見えないのは判ってたけど笑顔で祈りの巫女に相対した。
「よく起きられたね。無理してきてくれなくてもよかったんだよ」
「おはよう」
祈りの巫女はそうオレたちに挨拶して、神殿の中を一通り見回して不思議そうに言う。
「あたしだけなの?」
「ほかのみんなには早朝とは言ったけど、夜明け前とは言わなかったからね。正確な時刻を知ってるのは君だけなんだ」
「そんな、それじゃ本当に誰にも見送られないで帰っちゃうつもりだったの?」
「神殿の人たちには昨日ちゃんと挨拶したからね。お互いに心残りはないよ。……さ、ユーナ。祈りの巫女の顔は見たんだし、もういいだろ? オレはさっきから気が気じゃない」
「うん、判ってる」
こちらもソッコー猫をかぶったユーナは思いっきり素直な声色でオレに答えると、祈りの巫女に向き直って両手を差し伸べる。
「祈りの巫女、これからが大変だと思うけど、元気でね。身体を大切にして、くれぐれも無理はしないで」
「ええ、ありがとう。命の巫女も元気で」
そこまでがオレの限界だった。まだ別れを惜しむかもしれない2人を促すつもりで先に次元の扉を開いたんだ。
「次元の扉!」
「シュウ! ちょっと待って! リョウがまだきてないわ!」
とつぜん口調が変わった祈りの巫女の声に驚いて次元の扉を消す。声そのものはユーナと同じだから聞き覚えがない訳じゃないんだけど、祈りの巫女のこんな鋭い声、もしかして初めてかもしれない。
「リョウ? 別にリョウの見送りなんかいらないよ。今日帰ることは一昨日会議で会ったときに話してあるし」
「すぐに連れてくるわ!」
……は?
「もしかしたら寝坊してるのかもしれない」
「え? 別にいいよ。こんな時間にわざわざ起こすことないって ―― 」
「ぜったい待ってて! ほんとにすぐに連れてくるから! ……もう、どうしてこんな大事なときに寝坊なんかするのよ!」
4
「い祈りの巫女! ちちょっと待てよ!」
本当に呼び止める間もなかった。きびすを返した祈りの巫女は気づいたときにはもう神殿を飛び出していて、あわてて神殿の扉から下を見るともう走り去る背中しか見えなかったんだ。
いったい彼女はなにを勘違いしてるんだ? オレが本気でリョウに見送って欲しいと思ってるって? 冗談じゃないよ! これ以上ユーナとリョウを会わせて、万が一にもユーナの初恋が再燃でもしてくれたら、オレってめちゃくちゃピエロじゃないか!
それに運命の巫女だ。これから祈りの巫女がリョウの家まで往復してたら、間違いなく夜が明けちまうだろう。たとえ運命の巫女がユーナと違って正真正銘の年下だからって、顔や仕草が並より多少かわいくたって、オレにとってのユーナの存在とは比較にならないんだ。更に、彼女に関わって出立が大幅に遅れちまったら、おそらく夏休み中には帰れなくなる。
「行っちゃったね」
ユーナがボソッと話しかけてくる。
「どうするのシュウ。リョウのこと待ってる?」
「……いや、帰る。断固帰る。今ここで運命の巫女に会う危険を犯してまでリョウの顔を見る気になんかぜんぜんなれない」
「だよね。……でもさ、どうしてシュウってそんなにリョウを毛嫌いする訳? 影の世界にいたときなんか思いっきり助けられてたじゃない」
「お互い様だろ? オレだってさんざん助けてたさ」
「あのレンガの部屋を突破されたときだって、あたしが危ないって言うのに「リョウはぜったいロボットなんかに殺されされたりしない」って2人がいる通路に背中向けて。それってリョウを信頼してたってことじゃないの?」
「そりゃ、あいつの戦闘能力はそれなりに評価してるさ。だけど嫌いなもんは嫌いなんだ」
「でもリョウはほんとにいい人だよ。ずっとあたしたちを危険から庇ってくれてたし、ぶっきらぼうに見えて意外に親切で ―― 」
「うるさい」
面倒になって、オレはキスでユーナの口をふさいだ。思ったとおり、とつぜんのキスに驚いてユーナは黙る。
「オレがあいつを嫌いな理由はな、おまえがそうやってリョウを褒めること、ただそれだけに尽きる。 ―― 帰るぞ」
なにを言われてるか判らないのか、ユーナは呆然とオレの顔を見つめていた。これ、マジ天然だから始末が悪い。
片腕だけ使って、一瞬力任せに抱きしめたあと、オレはユーナに背を向けて再び次元の扉の入口を作った。
了
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