外伝・真実
1
人との出会いと別れのペースは、今も昔もさしたる変化は見られない。
1500年代の初頭、この村では大きな災厄に見舞われて一時期9割弱にまで人口が激減したけれど、その後は順調に回復を見せてほぼ80年前と同じ水準にまで達している。だけど、人生の最初に出会った人間と、老境に差し掛かってから出会った人間とで、ずいぶん違うように見えるのは事実だ。もちろんそれは、オレ本人が変化したために生じた違いなのだろう。
子供の頃に近所に住んでいたロボ爺さんは、世の中をすべて見通したような威圧感を漂わせていて、まるで自分とは違う生き物のように見えた。彼と同じ年代になった今でも、ロボの前に出たらオレはあの時と同じようにすくみ上がるような気がする。兄たちの年齢もとっくに追い抜いているのに、オレにとって彼らは一生兄のままだ。彼らよりもオレの方がはるかに長い経験を積んでいるというのに。
人間はずいぶん不思議なものだと思う。近所に住んでいる子供たちも、かつてオレがロボに感じたような威圧感をオレに感じているのかもしれない。オレ自身、多少人生の経験は積んだけれども、実際のところ若い頃とあまり変わっている気がしないのだけど。
オレにとって、人生の長さはいつも1でしかない。21年しか生きていなかったあの頃も、78年生きた今でも1だ。人間には、自分の人生の長さを正確に測る能力など、そもそも備わっていないのかもしれない。
―― コンコン
ノックの音が、オレを現実に引き戻した。リョウが死んで2年、祈りの巫女が死んでからは6年経つ。そろそろ来る頃だとは思っていた。
「どうぞ。自分で開けて入るといい。最近は玄関まで迎えに出るのも億劫でね」
それでもベッドから身体を起こして扉の方に向き直ると、ためらいがちに姿を見せたのはまだ30歳くらいに見える1人の神官だった。
「こんにちわ、久しぶりだねタキ。……身体の具合でも?」
「いや。さほどのことはないよ。ただ、寒くなると古傷が痛んでね。午前中は起き上がるのにも苦労するんだ」
「今日はその傷のことも含めて話が聞きたくてきたんだけど。……少し時間をもらっても大丈夫かな」
「このとおり暇だからかまわないさ。それより、最近どうも記憶力が弱くなってね。顔に見覚えはあるんだけど、名前が出てこない」
神官はあわててゴーグと名乗った。やはり、多少なりともオレに威圧感を感じているらしい。
2
ゴーグの態度にはあまり落ち着きが感じられなくて、オレは少しでも落ち着いてもらおうと台所でお茶を入れさせた。苛々しながらも従うゴーグを見て、逆の立場だった頃ならオレも苛々しただろうことを思ってちょっとおかしくなる。あの頃は、老人がなぜこうしてタイミングをはずすのか、理解できなかった。今なら判る。オレにだって心の準備をする時間が必要なのだ。
驚きに対して臆病になっている。まだ、自分に時間がたっぷりあると思っていた頃なら、この世のすべてを知り尽くしたいと夢を語ることもできた。だが今のオレはそれが無理なのだと知っている。この村の最高齢記録は83歳だ。まるで、人間はこれ以上生きることができないのだとでもいうように、75歳に達してから80歳までの間にばたばたと死んでいく。
慣れない台所で苦労しながらお茶を入れ終えたゴーグは、ベッド脇に椅子を置いて腰掛ける頃には少しだけ落ち着いたようだった。
「いきなり押しかけてしまって。オレ、今度祈りの巫女の物語を執筆することになったんだ。リョウが死んで2年経ったから、日記の公開が始まって、今神殿は大騒ぎになってる。……まさかタキがあれほどあの件に深く関わっていたなんて」
「オレもさっさと死んでおけばよかったな」
「そんな! 生きていてくれて本当に助かったよ。現存する神官であの件に関わったのはタキだけなんだ! 事実、神官の中には祈りの巫女に虚言癖があったんじゃないかなんて疑う人間もいる。祈りの巫女が亡くなったとき、オレはまだ22歳だったけど、日記に嘘を並べ立てるような人には見えなかった。気高くて、でも優しくて、……こう言っては失礼かもしれないけど、とてもかわいらしい人で」
幾分顔を赤らめたゴーグの物言いにオレは思わず笑みを漏らしていた。晩年の祈りの巫女はいつも穏やかな物腰で、誰に対しても笑顔を絶やさずに接していた。孫より年下の神官に「かわいらしい」などと思われていたとしても少しもおかしなことはなかっただろう。
「そうすると君はまだ28歳か。その年で祈りの巫女の物語の執筆を任されるとは、ずいぶん優秀なんだな」
「たぶん違うと思う。おそらくオレより年上の神官は、祈りの巫女を知りすぎていて冷静な執筆ができないと判断されたんじゃないかと」
「肝心の日記がとんでもない内容だったから?」
ゴーグは明言を避けて視線をはずした。確かに荷が重いだろう。オレは、祈りの巫女が日記に嘘を書いたなどとは思えない。あのときの出来事がすべて詳細に書かれた日記を手にしたのならば、その責任の重さに誰もが二の足を踏むだろうことは想像に難くなかった。
3
「なにを訊きにきたのかは知らないけど、日記の内容を並べ立てて「あれは本当か?」ってのは勘弁してくれよ。そんなの、本当に決まってるんだから」
「……それじゃ、彼女の夫のリョウが異世界の人間だったっていうのも?」
「本当だよ。オレもときおりリョウ本人に向こうの話をせがんだものだ」
「影の世界での不思議な出来事なんかも?」
「そこまでは知らない。日記を読んだのなら知ってるだろう。オレはそのとき怪我をしていて祈りの巫女に同行することはできなかったんだ。あとから簡単に話は聞いたけど」
村の正式文書では、リョウは1度死んで生き返ったことになっている。リョウがそれまでのリョウとはまったく違う人間で、異世界から来たことを知っていたのは、あの夫婦のほかにはオレだけだった。その事実だけでも神殿を驚かせるのには十分だったことだろう。まして、12代目の祈りの巫女は禁忌を犯している。この事実を知っていた当時の守りの長老と守護の巫女は最期まで沈黙を守っていたけれど、もしかしたら祈りの巫女はそれさえも日記に告白しているのかもしれない。
祈りの巫女に、嘘をつき通すだけの強さはなかった。彼女にとって日記は、真実を吐き出す痰壺のようなものだったのだろう。 ―― おそらくオレ自身の存在も、彼女にとっては似たようなものだったのだろうが。
「ゴーグ、君が祈りの巫女の物語を書くなら、日記の内容を疑うのは厳禁だ。これは先輩として忠告するんだけどね、それがたとえ嘘だったとしても、まずは信じることから始めなければいけない。君がこれから書くのは事実じゃない。祈りの巫女の真実なんだ。それを理解していなければ、そもそも物語を書くことなんかできないよ」
以前、祈りの巫女本人に指摘されたことがある。2代目祈りの巫女セーラの物語は彼女の真実を映していないと。その出来事はのちのオレにも多大な影響を与えた。オレがその後の人生で巫女たちの物語の執筆を多く手がけることになったのも、あのときの出来事がきっかけになっていたのかもしれない。
「……容易には信じられないな。だけど、オレにはまだあなたという生き証人がいる。それは幸運だと思っていい」
4
「やはり祈りの巫女よりも先に死んでおくべきだったな」
「これも神様が決めた寿命だ、タキ。あなたには命が続く限りオレに付き合ってもらう。あなたが神官を引退していてくれて本当によかったよ。まかり間違えばタキは守りの長老になってた可能性だってあった ―― 」
ふと、なにかに気づいたようにゴーグは言葉を切って、続けた。
「 ―― まさか、あなたは知ってて守りの長老を辞退したのか? 祈りの巫女が真実を日記に記していることを知ってて」
神殿が今どんな状態なのか、長い間神官をしていたオレには想像できる。守りの長老は祈りの巫女の日記公開によって、それまで真実とされてきた正式文書の記載を改めるべきか否か、さぞかし頭を悩ませていることだろう。別にそれを見越していた訳じゃない。自分でも不思議だった。祈りの巫女が死んだ神殿に留まる理由が、あのときのオレには見つけられなかったんだ。
「年は下だが神官としてはスクの方が優秀だった。オレもだいぶ身体がきかなくなっていたからな。自分でもこれほど長生きできるとは思ってなかったんだよ」
「……まあ、そういうことにしておく。どちらにしてもオレには都合が良かったんだから。物語が完成するまでタキには付き合ってもらうからそのつもりで。たとえ嫌だと言っても付きまとうよ、オレは」
そう口にして、ゴーグはやっと年相応の笑顔を見せた。どうやら厄介な物語を任された重圧よりも、オレの話を聞けるという興味の方がまさったのだろう。彼の年齢はオレの半分にも満たないが、その人生の長さはお互い1でしかない。これから先、オレがどのくらい生きられるのかは判らないけれど、人生の最後に祈りの巫女の物語執筆に関われるのならばそれはそれで幸運なことなのかもしれない。
……そうか。神がオレに与えたのがこの仕事なのか。祈りの巫女と同じ時を生きて、最期に彼女の真実を後世に伝えるということが。
「さっそくだけどタキ、これは祈りの巫女の日記でははっきりしなかったことだから答えて欲しい。……タキが生涯結婚せずにいたのは、祈りの巫女を好きだったからなのか?」
若さゆえなのか、ゴーグは答えにくいことを単刀直入に訊く。あいまいにごまかしつつオレは背中の痛みをこらえた。
その答えも、オレが彼女の物語を辿るうちには見つかるのかもしれないと思いながら。
了
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