真・祈りの巫女
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リョウが言った「右の騎士」という言葉に、多少でも驚きを見せたのはタキだけだった。たぶん守護の巫女は守りの長老にリョウとの会話をすべて聞かされていたのだろう。でもそれ以上に、あたしたちはリョウが知っていることについて「驚く」という感情をすでに持たなくなっていたんだ。
守護の巫女は深い溜息を吐いた。
「……恐ろしいことだわ。私には、あなたが何者なのかまだ判らない。もしもあなたが影の側にいる人間で、私たちを騙しているのだとしたら、みすみす祈りの巫女を危険にさらしてしまうことになる。この恐ろしさがあなたに判る? リョウ」
リョウはあたしが想像したよりもはるかに冷静に言葉を返していた。
「俺にだって判らねえよ。自分が何者か、なんてな。俺もあんたも、自分が正しいと思ったことをやるだけだ。実際それしかできない」
守護の巫女ははっとしたように目を見開いた。その意味をあたしは読み取ることができなかったのだけど、やがて心を決めたように表情を引き締めたの。
「判ったわ。リョウの作戦を採用しましょう。ほかに必要なことがあったらすべて私に言ってちょうだい。私はあなたを信じる」
その守護の巫女の言葉にはリョウは答えなかった。守護の巫女はすぐにあたしを振り返って、痛いくらいにきつく両肩を掴んだの。その真剣な視線に、あたしは釘を打たれたように動けなかった。
「いい、祈りの巫女。ぜったいに死んではダメよ。少しでも危険を感じたらすぐに逃げるのよ。村のことなんか考えなくてもいいわ。家も畑も、たとえ影に壊されても時間をかければ元に戻すことができる。でも、あなたの命だけは失われたら2度と元には戻らないの。それだけは約束して頂戴!」
その言葉の強さに押されて、あたしはやっとうなずいた。
「リョウ、タキ、祈りの巫女をお願い。彼女は無茶をするの。夢中になったら自分の命のことなんか忘れてしまうの。だからできる限り気を配ってあげて。今、村に希望があるとするなら、祈りの巫女がいるってことだけなのだから」
あたしはこのとき初めて、守護の巫女の村を思う気持ちの強さがどれほどのものなのか、判ったような気がした。
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3人で長老宿舎を出たときには雨はほとんど上がっていて、晴れ間も見え始めていた。時刻はお昼を過ぎたところだったから、あたしはリョウが食事をどうするのか心配したんだけど、あたしよりも先にタキが宿舎の食事にリョウを誘ったの。タキがいる共同宿舎は人数が多いから、1人くらい増えたところでどうってことはないんだ、って。だからあたしはそこで2人に別れを告げて自分の宿舎に帰った。食事が終わったらタキとリョウはあたしの宿舎に来てくれることになったんだ。
カーヤと2人だけの食事を終えて、カーヤがオミの食事を介助している間、あたしは神殿に入って祈りを捧げたの。今怪我をして苦しんでいる人や、家族を失って悲しい思いをしている人。それぞれの名前を神様に告げて、できるだけ早く傷が癒えるように祈った。それと、明日の影の襲来では被害が最小限ですむように。リョウが、再び影のために命を落とさずにいられるように。
いつもよりもほんの少しだけ時間がかかったけど、無事に祈りを終えて宿舎に戻ると既に2人は来ていたみたいだった。
「遅くなっちゃった。2人とももうきちゃったの?」
「お帰りユーナ。リョウとタキならオミの部屋にいるわよ」
「オミの? どうして?」
「さっきちょっとそんな話が出たら、リョウが見舞いたいって。ユーナも行ってみたら?」
あたしはそれでなんとなく納得して、オミの病室のドアをノックしたの。部屋の中からはそれまで話し声が聞こえていたんだけど、不意に止んで、内側からタキがドアを開けてくれる。……なんだろう。深刻な話をしていたのかな。上半身を起こしてこちらを見ているオミも、そのオミの傍らの椅子に腰掛けて振り返ったリョウも、少し雰囲気が重苦しく思えた。
「どうしたの? ……あたし、邪魔だった?」
「いや、そんなことはないよ。こっちの話はちょうど終わったところだから」
タキがそう答えて笑顔であたしを招き入れてくれる。その笑顔も、何かをごまかしているようで少し虚ろな感じに見えた。そのとき、リョウが椅子から立ち上がって言った。
「オミ、また来る。……約束は守る。安心しろ」
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リョウがオミにどんな約束をしたのかすごく気になったけど、それきりリョウは部屋を出てしまったから、あたしは何も聞けずに2人に続いて部屋を出た。お天気がよくなったから、カーヤはお洗濯をすると言って宿舎を出てしまって、食卓のテーブルでリョウとタキと3人で少し話をしたの。2人ともたぶん少し寝不足気味だった。そのためかリョウはあんまり表情を表に出してなかったんだけど、そんなリョウもすごくかっこよく見えてあたしはまたリョウに見惚れちゃってたんだ。
「 ―― 俺はまだ神殿のことがよく判ってないんだが、タキとおまえはどういう関係なんだ?」
訊かれて、あたしがとっさに答えられずにいると、タキが少しあわてたように言ったの。
「オレは祈りの巫女担当の連絡係だよ。ふだん何もないときにはカーヤが世話係なんだけど、何かことが起こったときには名前のある巫女1人に最低1人ずつ担当神官がつくことになるんだ。今回はオレが祈りの巫女についたけど、すべて片がついたらオレは祈りの巫女の担当を外れる。それだけの関係だよ」
タキのあわてぶりに首をかしげたのはリョウだった。やがて何かに気づいたのか、ちょっと意地悪そうに笑ったの。
「俺は別におまえとこいつのことを疑ってるんじゃねえよ。……それともナニか? 婚約者の俺に疑われるようなことをしてるのか?」
「……! ……なにを言ってるんだ。オレは別に……」
タキはちょっと顔を赤くして絶句しちゃった。こんなタキを見るのは初めてだよ。あたしはそんなタキの反応の意味が判らなくて、きょとんとしてタキの顔を見つめたの。その視線に気づいたタキはあたしから目をそらして横を向いてしまっていた。
「祈りの巫女、リョウは1度死んで性格悪くなったんじゃないか?」
「……そうかな。リョウって優しかったけど、昔からちょっと意地悪なところがあったよ。特に子供の頃はよくあたしのことをいじめたの」
「さっきは食堂で俺に『以前より付き合いやすくなった』って言ってなかったか?」
「言ったよ。……でもこういう性格の悪さを持ってるとは思わなかった」
タキはすねたように下を向いてしまったけど、けっしてリョウを嫌っているようには見えなくて、あたしはこの2人が以前より仲良くなってくれたことを単純に喜んでいたの。
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「それじゃ、おまえは今のところこいつの傍についているのが最優先順位だと思っていいんだな。それ以上に優先する仕事はないんだな」
タキはまだ少し顔を赤くしていたけど、リョウの問いにはちゃんと答えていた。
「日常の仕事は今はほとんどお預け状態だし、せいぜい食事当番があるくらいだね。それも祈りの巫女の仕事があればいくらでも融通が聞くし。……そう思ってて間違いないよ」
「だったら頼む。……明日、こいつが祈りを捧げている間、ぜったいにこいつから目を離さないでいてくれないか? もし万が一、獣鬼の奴が襲ってきたら、何が何でもこいつを安全なところへ逃がしてやって欲しい」
そう、真剣な目をして言ったリョウに、タキも真剣な表情で答えたの。
「今更だよ。オレは最初からそのつもりだ」
「おまえの判断を信頼したいんだ。おそらくこいつの判断とおまえの判断は食い違う。たとえほんの少しでも危険だと思ったら、その判断をけっしてこいつに委ねるな。たとえひっぱたいてでも、殴って気絶させてでも、こいつを森の中へ逃がすんだ。それでなければ俺は安心して戦えない」
「……」
「おまえに、左の騎士の代わりを頼みたい」
リョウの言葉に受けた衝撃の意味を、あたしはとっさに理解することができなかった。
少しの間、3人の中に沈黙が流れて、やがてじわじわと違和感が侵食していく。リョウがこの言葉を言うために必要な事象はなんだろう。1つは、タキが左の騎士ではありえないこと。もう1つは、あたしにとっての左の騎士が、今ここには存在していないこと。
そして、リョウはその2つのことを知っている ――
あたしと同じものにタキも気づいていた。沈黙を破ることを恐れるように、タキは静かに言った。
「……つまり、オレは祈りの巫女の左の騎士じゃなくて、本当の左の騎士はこの村にはいないんだな。 ―― リョウ、そろそろ説明してくれ。君はいったい何を知っているんだ?」
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リョウが言いよどんだのは、あたしやタキへの説明を迷っている訳ではないみたいだった。むしろ、どう説明すればいいのか考えているように見えたの。
不思議に思ったのは、訊ねたはずのタキ自身が、その説明を望んでいないように思えたことだった。
「……俺はそれほど多くのことを知ってる訳じゃない。なぜ獣鬼がこの村に現れるようになったのか、獣鬼がどんな目的を持っているのか、そういうことは俺にも判らない。獣鬼について俺が知ってるのは、奴がどうすれば動いて、どうすれば動かなくなるのか、それだけだ。騎士については以前ローダという名前の老婆に聞いたことがすべてだ。騎士は巫女を守るために現われる。右の騎士は身体の騎士。左の騎士は頭の騎士。……たぶん、おまえたちが知ってることと同じ内容だろう」
その通りだったから、あたしはうなずくことで答えた。タキは更に言葉を加えた。
「だけど、騎士自身は自分が騎士であることを知ることはできないはずなんだ。オレがリョウが騎士であることを知ったのも、リョウが死んだあとに神託の巫女がそう言ったからなんだ。以前のリョウは自分が騎士だったことを知らなかったはずだよ」
「同じ村の中にいればたとえ知らなくても騎士として振舞うことはできるんだろうけどな。死んだあとの俺は、自分がこの村にいたときの記憶を持ってなかったんだ。だから俺はそれを知る必要があったんだろう。ローダにしたところで、俺が右の騎士であることを知ってはいたが、この村のことは何ひとつ知らなかった」
「……まあ、それについてはオレには理解できそうにないな。左の騎士のこともそのローダに教えてもらったのか?」
「ああ、そうだ」
「左の騎士はいったい誰なんだ?」
前後のいきさつをすべて省いて、タキは単刀直入に切り出した。そんなタキの質問に、リョウはまた少しだけ答えを迷っていた。それはたぶん、「この村では騎士の存在は明かさない」という不文律がそうさせたんだと思う。でも、あたしもタキも、今更聞かずにいることはできなかったの。
「左の騎士はあいつだ。西の沼で死んだ、こいつの幼馴染のシュウ」
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あたしは、このリョウの言葉を、かなりの割合で予想していた。
でも、実際に聞いたときの衝撃は予想していた以上のものがあった。どうして自分がそんなに衝撃を受けたのか、あたしはその理由を自分では理解できなかったの。どんどん気分が落ち込んできて、周りのことがどうでもよくなってきて、だからあたしはリョウとタキの会話をいくつか聞き逃してしまったようだった。
「 ―― なるほど、それが右の騎士の力な訳か。……それにしても残念だな。オレは自分こそが左の騎士なんじゃないかと少しは期待してたんだけど」
「おまえが騎士ならこいつにはぜったい近づけてない」
「別にオレは ―― 」
このとき、タキはあたし方を振り返って、あたしの顔を見て表情を変えた。
「祈りの巫女? ……どうしたんだ? 顔色が悪いよ」
「ううん、なんでもない。……何の話だったの? ちょっと聞いてなかった」
「たいした話じゃないよ。それより少し休むかい? カーヤを呼んでくる?」
あたしは心配させないように笑おうとしたんだけど、それはうまくいかなかったみたい。リョウが席を立ってあたしの額に右手を当ててくれる。別に熱はないと思うよ。心配そうに見つめるリョウにそう言おうとして、でもリョウはちゃんと判ったみたい。タキを振り返って言ったの。
「あとで宿舎へ行く」
それだけでリョウの言いたいことは伝わったようでタキは席を立った。タキがいなくなってしまうと、リョウはあたしの肩を抱くように顔を覗き込んだ。その目に驚くほど強い激情をたたえて。
「いったい何がショックだった? シュウのことか? シュウが右の騎士だったことがそんなにショックだったのか? おまえはそんなにシュウのことが好きだったのか!」
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リョウが怒ってる。でも、どうしてリョウが怒るの? あたしがシュウが左の騎士だと聞いてショックを受けていたから? 自分でも自分がショックを受けた理由が判らないのに、リョウはあたしがどうしてショックを受けたのか判ってて怒ってるの?
確かにあたし、シュウのことが大好きだった。でも、そんなのあたしがたった5歳の頃で、今から10年以上も前のことで、リョウが怒るようなことじゃないはずなのに。
「大好きだったよ、シュウのこと。でもシュウはもういないもん。今のあたしが好きなのはリョウだけだよ」
リョウのことをなだめようとして口にしたのに、逆にリョウは怒りを爆発させたの。
「だったらシュウの復活を祈ればいいだろ! 条件は同じだからもしかしたら生き返るかもしれないぜ。シュウが生き返ったらおまえはシュウの恋人になるのか? おまえもシュウを選ぶのかよ!」
思いがけないことを言われてあたしは何も答えられなかった。
「けっきょく俺はシュウの身代わりかよ! そんなにシュウが好きなら勝手にしろ!」
そう言い放つと、リョウは勢いよく立ち上がって宿舎を出て行ってしまったの。あたし、どうしたらいいのか判らなくてしばらく呆然と座ってた。怒鳴り散らすリョウに圧倒されて縮み上がってしまってたんだけど、しばらくして緊張感が解けるとなんだかおかしくなってきちゃったんだ。リョウ、ぜんぜん変わってないよ。あたしのことを勝手に考えて、勝手に決め付けて、自分ひとりだけで解決しちゃうの。こうなっちゃうともう、あたしの意見なんかぜんぜん耳に入ってない。あたしはちゃんとリョウのことが好きだって言ってるのに。
シュウのこと、あたしはショックだったはずなのに、リョウが逆上したせいですっかり忘れてしまっていた。それより今はリョウのことを何とかしなくちゃ。リョウがどうしてシュウにこだわるのか、あたしにはよく判らない。以前のリョウならシュウを気にしてるのは判る気がするけど、今のリョウはシュウのことをぜんぜん覚えていないはずだから。
シュウのこと、少しは思い出してるの? それとも、あたしがシュウのことでショックを受けていたから、あたしの中にあるシュウの思い出を過剰に想像してしまっただけなの?
元気が出るように勢いをつけて立って、あたしは1番大切で、1番大好きな恋人のリョウを探しに宿舎を出た。
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最初に向かったのはタキが住んでいる神官の共同宿舎だった。入口で声をかけた神官にリョウのことを尋ねると、こちらにはきてないって返事だったから、あたしはそのままリョウの家へ続く道を下っていったの。雨のせいで少し滑りやすくなってたから、できるだけ足元に気をつけながら歩いていく。リョウがいるかどうか判らなかったけど、ところどころで下へ向かう大きな足跡を見ることができたから、たどり着く頃にはもうリョウがここにいるのは間違いないって確信していたの。
ノックの音には返事がなくて、食卓にも誰もいなかった。ミイは洗濯にでも出てるのかな。そう思って、今度は寝室のドアをノックする。やっぱり返事はなかったけど、あたしはゆっくりとそのドアを開けてみたんだ。
「リョウ、いるの?」
リョウは、ベッドの上に片膝を立てて座っていて、あたしが顔を覗かせると壁に視線を向けていた。あたしは安心して、部屋に入ってベッドのリョウの足元に腰掛けたの。
「リョウっていつもそう。自分で勝手にあたしの気持ちを決め付けて、勝手に落ち込んでる。リョウが初めて北カザムの夏毛皮を狩りに北の山へ行ったときもそうだったよ。あたし、リョウが必要ないなんて一言も言ってないのに、勝手に解釈して8日も村を空けて。……でも、今の方が少しはいいかな。少なくとも自分が何を考えてるのかあたしにぶつけてくれたもん」
リョウは瞳に少しの驚きを浮かべて振り返った。そんなリョウに愛しさがあふれていく。リョウがかわいくて抱きしめたくなるの。
「記憶があったときもね、リョウはシュウのことを気にしてた。だからシュウのように優しくなって、あたしに好かれようと必死になってたの。あたしが小さな頃、シュウは優しいから大好きなんだ、って言ったことを気にして。……でも、あたしは優しくないリョウも好きだったのよ。そりゃ、最初はリョウの優しさが嬉しくて、それで好きになったけど、でもリョウが怒ったときもすごく嬉しかった。リョウが本当の自分を見せてくれたのが嬉しかったの。だってあたし、リョウのことがぜんぶ好きだから。怒ったリョウも、すねたリョウも、ぜんぶのリョウが好きなの」
目に驚きを浮かべたまま、一言も口をきかないリョウに近づいて、あたしはリョウの頭を胸に抱きしめた。愛しくて。
「リョウ、お願い。あたしのことを嫌いにならないで。リョウに嫌われたら、あたしどうしたらいいのか判らないよ」
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リョウを抱きしめながら、あたしは自分が以前と変わっていることに気がついていた。初めてリョウに怒鳴られたとき、あたしはリョウが怖くて逃げ出した。でも、今は少しも怖いと思わないもん。怒鳴られた瞬間はびっくりしちゃうけど、それで逃げ出そうなんて少しも思わなかった。
以前のリョウは、あたしが怖がるから、あたしに怒りをぶつけることができなくていつも優しく振舞っていたの。あたしが背を向けたときの記憶は、リョウの中から感情をあらわにする行動を奪ってしまったみたい。いくらあたしが「怖くない」と言っても、リョウの記憶を消すことはできなかったんだ。今この時だけ、あたしは記憶のないリョウに感謝したい気持ちだった。だって、あたしが欲しかったのは、あたしに対してどんな感情も隠すことのないリョウだったんだから。
腕の中にいるリョウの戸惑いが伝わってくるみたいだった。顔を覗き込んでみると、唇を固く結んで目を見開いたリョウが見えたの。その表情は、もうすぐ20歳になる男の人なのに、すごく幼く見えた。
「リョウが死んで、あたし、自分が怖かった。自分がだんだんユーナじゃなくなっていくのが判るの。人を疎んだり、影を憎んだり。それは今でもたぶんあたしの一部なんだと思うけど、リョウがいないだけであたしはどんどん醜い自分に変わってた。……リョウじゃなくちゃダメなの。ほかの誰でも、たとえシュウだって、あたしの中にいるリョウの代わりはできないの。だからお願いリョウ。あたしから、離れていこうとしないで」
言葉の途中から、なぜかリョウは目を伏せて、表情を隠してしまう。あたしには自分の言葉がリョウにどう受け止められたのか判らなかった。しばらく沈黙の時間が続いて、やがてリョウはほとんどかすれたような声で言ったんだ。
「……悪かった」
あたしにはその謝罪の意味が判らなかったから、リョウの次の言葉を待った。でも、それきりリョウは言葉を続けようとはしなくて、また沈黙が流れていったの。あたしはその意味を追求することができなかった。リョウを問いただしたとき、その口からいったいどんな言葉が飛び出してくるのか、あたしは想像することすらできなかったから。
怒っているリョウを怖いとは思わなかったけど、沈黙するリョウがあたしにはすごく恐ろしく思えた。
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再び、あたしはベッドの縁に座って、うつむいたリョウの顔を見つめていた。こうして見つめていると、リョウがすごくカッコいいんだってことに気がつくの。顔が際立って整ってるとかそういうんじゃなくて、リョウが持つ野性的な雰囲気があたしをすごく惹きつける。リョウが野性的だなんて、今まではそれほど感じたことがなかったよ。リョウは自分のそういうところをあたしの前では隠しているようで、いつも優しい雰囲気で接してくれていたから。
どのくらいそうして見つめていただろう。沈黙したまましだいに自分に沈み込んでいったリョウは、このときふっと何かを思い出したように笑ったの。それからあたしを見つけて、満面の笑顔で笑いかけてくれる。自然にあたしも笑顔になってることが見なくても判った。
「おまえ、必死だな」
リョウにつられて、あたしも満面の笑顔で答える。
「必死だよ。だって、リョウにふられちゃったらあたしほんとに困るんだもん」
「男を確実に繋ぎ留められる方法、教えてやろうか」
「うん、教えて」
リョウはちょっとだけ意地悪そうに笑った。
「目の前で服をぜんぶ脱ぐ」
あたし、リョウの言うことにびっくりした。服を脱ぐって。……ちょっと、恥ずかしいけど、リョウに見せるんだったらいいよね。あたし、たぶんそんなにスタイルいい方じゃないと思うけど、それでも効果あるのかな。
少しだけためらいながらも胸のボタンに手をかけると、リョウはベッドから立ち上がって、あたしの髪をくしゃっとかき混ぜた。
「嘘だ。冗談だ。真に受けるな」
そう言うとすたすた歩いて部屋を出て行こうとしたから、あたしもうしろ姿を追いかけながら声をかけた。
「なにが冗談なの? 服を脱ぐのが冗談? それとも服を脱いだだけじゃダメだってこと?」
「時と場所を選ぶってことだ。おまえの場合は結婚してからでいい。……間違ってもほかの奴には見せるなよ」
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