真・祈りの巫女



「 ―― 祈るが良い。祈りは天を動かし、地を揺るがし、人をいざなう。祈りは次元を超え、時を超える。そなたがこの世の滅びを食い止めようと願うのならば、祈る事こそ唯一の道。祈りの巫女ユーナよ。その祈りを天に地に、そして人に響かせよ。祈りは力となり、必ずやこの世を救いたもう……」
 守りの長老はそれきり口を閉ざして、もはや語ろうとはしなかった。長老と向かいあわせに座ったあたしは、更なる助言をその表情から読み取ろうと心を澄ました。でも、長老のそのしわがれた顔からは、わずかな表情さえも浮かんではこない。あたしは、つぶやくように守りの長老の言葉を反芻した。
「祈りは天を動かし、人をいざなう……」
 生まれてから16年の間、あたしは祈ることしかしてこなかった。祈りはあたしのすべてだった。今この時、あたしに祈る以外の何が出来ただろう。滅びに向かうこの世界に、たった1つ残された道が祈ることなのは、あたしの幸運なのかもしれなかった。
「守りの長老、あたしの祈りをどうか見届けてください。あたしはこの時代に生まれたたった1人の祈りの巫女。必ずや天を動かし、次元を時を超えてみせましょう」
 あたしは、わずかに残された命を、自らの内に向けた。そうして心の炎を燃やして、祈りの力に変える。今となってはもう何に祈るのかも判らない。でも、確かに手応えのある何かに向かって、あたしは祈りつづけた。

 あたしは、祈りつづけていた。


 午後になると村に降りるのが、最近のあたしの日課になっていた。
 真夏の太陽は熱くて、森の道を出ると途端にジリジリと照りつけてくる。森の向こうに広がる草原の草花も、暑さでちょっとバテてるみたいよ。こんな午後は宿舎でお昼寝してる方が気持ちがいいのよね。でも、村のみんなのことが気になるから、今日もあたしは村への長い坂道を歩いていった。
 村外れ、神殿から歩いてくると最初に見えてくる家に住んでいるのは、母さまよりもちょっと年上くらいのマーサ。あたしが通る時間にはいつも洗濯物を干していて、姿を見て必ず声をかけてくれる。
「こんにちわ、祈りの巫女。こんな暑い日に通ってくるんじゃ大変だねえ」
「こんにちわ。それを言うならマーサも同じよ。毎日暑いのに外でお洗濯だもの」
「もうすぐ終わるところだよ。祈りの巫女、太陽よりもっと熱いお茶でも飲んでいくかい?」
 マーサはいつもそうしてあたしを誘ってくれる。でも、マーサと話をすると長くなるから、あたしはにっこり笑って言った。
「ありがとう。でも今日はいいわ。サネ橋の向こうまで行くつもりだから、あまりゆっくりしてられないの」
「そうかい。だったら娘のレナに会ってくれるかね。このところつわりがひどくて滅入ってるようなんだよ。あたしも橋の向こうまではなかなか行けなくてね。話だけでも聞いてやってくれるかい?」
「判ったわ。サネ橋の向こうのレナね。様子がわかったらまた知らせるわ」
「ありがとう、祈りの巫女。助かるわ」
 マーサにお別れを言ってあたしはまた歩き始めた。そのあとも、家の前で仕事をしている人の前を通るたびに、あたしはサネ橋の向こうの人たちの情報を聞いて、頭に入れていった。最初に情報を仕入れておくとあとが楽なの。みんな、自分がなにか困ってたとしてもなかなかあたしに話してくれないから、こうして他の人に聞いて歩くのがいちばんだった。あたしの仕事は、困っている人の悩みを神様に打ち明けて、幸せにしてあげることだから。
 村のみんなの幸せを神様に祈るのが、あたし、祈りの巫女ユーナの仕事なんだ。


 橋の向こうでレナや他の人たちの話を聞いた帰り道、そろそろどこの家でも夕食の支度が始まる頃、あたしはいつものようにマティの酒場に立ち寄った。外はまだ日が沈むには早くて、この時刻だとお客さんは誰もいないの。あたしはお酒を飲まない冷やかしのお客だったけど、マティは嫌な顔1つしないで、いつも冷えたお茶を1杯出してくれた。
「リョウは今年も北の山に行くんだろ? ユーナも寂しくなるな」
「うん。でもまだ行かないわ。今年は8月の始め頃にするんだって」
「へえ、それはまた、ずいぶん厳しい仕事になりそうだな。暑くなるとそれだけ北カザムの群れは山の上の方に移動しちまうらしいじゃないか」
「そうみたいね。あたしにはあんまりよく判らないけど、山の上の方は岩肌が多くてちょっと危ないみたい。でも逆に群れが狭い範囲に集まるから、その分群れを探し回る時間が省けるんだって。リョウも今年でまだ3年目だから、いろいろ試してるみたいよ」
 マティは人の話を聞く機会が多いから、狩りのこともその他のこともすごくたくさんのことを知ってるの。ここにくるお客さんは、時々マティに悩み事を打ち明けたりもするから、マティはたまにあたしに悩んでる人の情報を教えてくれる。マティは、祈りの巫女のあたしにとってもすごく助かる存在だった。でも、あたしが毎日ここにくるのは、それだけが理由じゃなかったの。
 しばらくマティと話をして、そろそろ日も傾いてくる頃、この店には2人目のお客がやってくる。背後に気配を感じて、マティが微笑むのと同時に振り返ると、店の入口からリョウが入ってくるのが見えたんだ。
「こんにちわ、マティ」
「いらっしゃい、リョウ。ユーナがお待ちかねだよ」
「リョウ、お帰りなさい!」
「ただいま、ユーナ」
 満面の笑みを浮かべてあたしに笑いかけて、リョウはカウンターのあたしの隣に腰掛けた。マティの酒場はあたしとリョウの待ち合わせ場所なの。リョウの顔を見ただけなのに、あたしは嬉しくて自然に顔がほころんでいた。


「マティ、オレにもお茶を1杯くれるかな」
「はいよ。酒瓶も持っていくだろ?」
「ありがとう。いつも悪いね」
 リョウは何日かに1回、お酒の瓶を朝マティに預けていく。夕方マティがいっぱいにしてくれた瓶を持って帰るのが習慣になってるんだ。あたしはリョウの横顔を見ながら、マティが入れてくれたお茶をリョウが1口飲むのを待っていた。人心地ついたリョウが振り返って微笑みかけてくれる。それまで待って、あたしはいつものようにリョウに話し掛けた。
「今日ね、あたしサネ橋の向こうまで行ってきたの。マーサの娘のレナがおめでたなのよ。レナと話をしてね、子供が無事に生まれるように祈る約束をしたの」
「へえ、マーサの孫が生まれるんだ。それは楽しみだね」
「うん。でも今はまだレナもつわりがひどくて大変みたい。マーサも心配してたけど、思ったほど落ち込んでなかったわ。パクが優しくしてくれるんだって。なんかノロケ話を聞きに行ったみたい ―― 」
 リョウがお茶を1杯飲む間、あたしは今日あった出来事をリョウに話していた。リョウはいつも微笑みながらあたしの話を聞いてくれる。少しだけ話して、あたりが暗くなり始める頃、あたしとリョウはマティにお別れを言ってお店を出た。
 ずっと、毎日、あたしはリョウとマティの店で待ち合わせて、神殿までの帰り道を歩いていく。あたしが村に降りるようになってから、それがリョウとあたしのデートになっていた。その日あった出来事を話したり、明日の予定を話したりしていると、神殿までの距離がすごく短く感じるの。神殿への山道に入る頃にはリョウと別れるのが寂しくなる。あたしは神殿の宿舎に帰って、リョウは神殿から少し山を降りた森の家へ帰ってしまうから。
 ねえ、リョウ。あたし、16歳になったよ。リョウが20歳になるまであと2ヶ月。もうすぐあたし、リョウのお嫁さんになれるよ。
 リョウは覚えているよね。あたしが14歳の時の約束。
 夏が過ぎて、秋がやってくる頃、あたしはリョウと結婚するんだ。


 神殿へ向かう山道では、リョウはできるだけゆっくり歩いてくれる。半分くらいのぼったところで、リョウはそれまでとあまり変わらない口調で言ったんだ。
「ユーナは今度いつ実家に帰るの?」
 リョウがそんなことを訊いてくるのは初めてだった。ちょっと不思議に思ったけど、あたしもそれほど気にしないで答えていた。
「うーん、特に決めてないわ。このところ母さまとはちょくちょく会ってるから。でも父さまとは最近会ってないの。そうね、近いうちに泊まりにいきたいわね」
「そう、それじゃ、もしユーナが行く日が決まったら教えてくれる? オレ、1度ちゃんとユーナの両親に会いたいから」
 リョウはどうしてそんなことを言うんだろう。あたしは不思議に思ってちょっと首をかしげた。リョウは3年前まであたしの実家の近くに住んでいたから、父さまも母さまもリョウのことはよく知ってる。あたしがリョウを好きだってことは2人とも知ってるから、リョウがいつあたしの家に訪ねていったって誰も変に思わないのに。
 あたしが理解できないような表情で見ていたからだろう。リョウは少しだけ困ったように、照れたように、視線を外した。
「ユーナ、覚えてるだろ? ……オレ、もうすぐ20歳になる」
 そのたった一言だけなのに、リョウはすごく言いにくそうで、あたしもリョウが何を言いたいのかすぐに判っちゃったよ。あたしは今まで1日だって忘れたことなんかなかったもん。いつの間にかあたしの歩みは止まっていて、誰ひとり通る人のいない夕暮れ時の坂道で、あたしはリョウの横顔を見上げていた。
「もし……ユーナの気持ちが変わってなかったら、今度正式にユーナの両親に話をしに行きたい。……ユーナ、オレと結婚したいって、今でも思ってる……?」
 どうしてリョウはそんなことを訊くの? あたしがリョウと結婚したくない訳なんてないよ。あたしはずっと、6歳の頃からリョウのことが大好きで、いつかリョウのお嫁さんになりたいって思ってきたんだもん。


 リョウも忘れてなかったんだ。やっとあたし、リョウのお嫁さんになれるんだ。
「変わってなんかないよ! だって、あたしがずっと好きだったんだもん。毎日毎日、あと何日でリョウと結婚できるって、数えてたのよ。リョウがちゃんと覚えててくれてるのか、ちょっと不安だったんだから。リョウの誕生日までもうあと2ヶ月しかないのにリョウはぜんぜん話してくれないんだもん」
 リョウは視線を戻して、ほっとしたように微笑んで、あたしがまだリョウの笑顔にドキドキしていると、そっと近づいてきてあたしを抱きしめた。リョウの腕が大好き。リョウの匂いに包まれて、愛されているのが幸せで、目眩がしそう。
「ごめんな、不安にさせて。……でもよかった。ユーナに結婚したくないって言われたらどうしようかと思った」
「……そんなことぜったい言わないもん。……ねえ、リョウ。神殿に結婚式の予約を入れないといけないの。何日にするの?」
「それはね、2人だけじゃ決められない。1度ユーナの両親に会って、ちゃんと話をしてからだね」
 なんだか不思議に思って、あたしはリョウの腕から抜け出して、顔を覗き込んだ。
「父さまも母さまも、あたしがリョウと結婚するのは判ってるわ。リョウのことは2人ともすごくよく知ってるし、ぜったい反対しないと思うの。それなのにわざわざあたしが帰った時に話をするの?」
「変だと思う? だけどそういうものなんだと思って、ユーナも付き合ってくれ。オレもできれば避けて通りたいところだけど、こればっかりはそういう訳にもいかないから。先のことはぜんぶ、オレがそいつをクリアしてからだな」
 リョウが父さまに会うのを嫌がるなんて、あたしはすごく不思議で、再び歩き始めてからも違和感は抜けなかった。だって、リョウって昔から父さまや母さまにすごく信頼されてて、あたしがリョウのところへ行くって言えばぜったい反対されなかったもん。父さまはリョウとの結婚を反対したりしないよ。リョウはもう立派な一人前の狩人だし、あたしだって結婚してぜんぜんおかしくない年になったんだから。
 あたしが15歳になったとき、リョウは婚約のしるしにって、職人のカチが北カザムの角と毛皮で作った髪飾りをプレゼントしてくれた。初めて父さまに見せた時、父さまは「リョウも一人前になったな」って、あたしの婚約をすごく喜んでくれたんだ。


 リョウがくれた北カザムの髪飾り。それはすごく大切な約束で、だから毎日朝起きてから眠る前まで必ず身につけていた。落としたら大変だからって、時々確かめるように髪飾りに触れるのが癖になってたみたい。なんとなく遅れがちにリョウのうしろを歩いていたら、不意にリョウが振り返って、それからわざわざ引き返してきてあたしの手に触れたんだ。髪飾りの上に2人の指が重なるように。
「ユーナ、大丈夫。……オレが20歳になって、それから1月で村の秋祭りが始まる。だけど祭りが終わるまで待つ気なんかないから。たとえユーナの両親に反対されたって、8月には北の山の狩りで必ず成果を上げて納得させる。だから心配しないで。オレを信じて」
 あたし、不安な顔をしてたのかな。そんなに不安に思ってた訳じゃないけど、リョウが言ってくれたことはすごく嬉しかったから、あたしは自然に顔がほころんでいたみたい。でも、ちょっと考えたら気付いちゃったよ。本当に不安に思ってたのは、あたしじゃなくてリョウの方なんだ、って。
 でもどうしてなんだろう。あたしの父さま、村の他の人と比べたってぜんぜん怖い人じゃないのに。
「あたしはリョウのことを信じてるわ。……そうと決まったら早い方がいいわね。さっそく明日帰ることにする!」
「……いや、せめて明後日にしてくれ。オレにも心の準備が……」
「だから大丈夫よ。うちの父さまも母さまも、リョウとの結婚に反対なんかしてないし、ぜんぜん怖くないんだから」
「オキが優しい人なのは判ってる。そういうことじゃないんだ。……うん、たぶん、その時になったらユーナにもきっと判るよ」
 あたしはリョウの言うことがさっぱり判らなくて、たぶんきょとんとした顔をしてリョウを見上げてたんだと思う。そんなあたしにリョウはふっと笑顔を漏らして、髪飾りに重ねた手を触れたまま、そっと顔を近づけてきた。
 リョウの唇が重なる。もう、数え切れないくらい触れた唇なのに、リョウがキスしてくれるたびにあたしはドキドキするの。リョウのことが大好きって、それだけで心の中が一杯になる。リョウ、お願い、ずっとそばにいてね。ぜったいあたしを離さないでね。もっとリョウの近くにいたいよ。いつもいつも、いちばん近くにいるリョウを感じていたい。
 優しくて穏やかで、力強くて頼りになって、でもちょっとだけ臆病なところも心の中に持ってる。それが、あたしの大好きな、いちばん大好きな、あたしだけのリョウだった。


 なんとなくリョウと離れがたくて、でもそろそろカーヤが夕食を作り終わる頃だったから、あたしはいつものように笑顔でリョウに別れを告げて宿舎に帰り着いていた。宿舎ではもうカーヤが食卓の準備を完全に整えてあたしを待っていた。もしかしたらいつもよりもちょっとだけ遅くなっちゃったのかもしれない。でも、カーヤはそんなことは一言も言わないで、仕事を終えたあたしをねぎらってくれた。
「ユーナ、お腹空いたでしょう? 今日はチャーハンにニンニクと唐辛子をたっぷりきかせてみたの。辛いけどおいしいわよ」
 カーヤが作ってくれたチャーハンは、暑さでばてた身体が生き返るみたい。見た目も真っ赤で辛いのにすごくおいしかった。カーヤはあたしより2歳年上の18歳で、あたしが祈りの巫女になってからずっと世話係をしてくれている。その間にもどんどん料理の腕を上げていて、もういつ結婚してもいいと思うのに、まだカーヤは独身なんだ。前にリョウのことを好きだったけど、でもそのことはとっくに吹っ切れてるはずだから、カーヤが結婚しないのがあたしにはすごく不思議な気がしていたの。
 食事を頬張りながら、あたしは思い出してカーヤに話し掛けていた。
「そう、あのね、あたし明後日実家に一晩だけ泊まろうと思ってるの。カーヤもこのところ帰ってないでしょう? よかったら一緒に帰らない?」
 あたしが宿舎にいるときは、世話係のカーヤもなかなか家に帰れない。もちろんカーヤがいつ帰ってもあたしはかまわなかったけど、責任感の強いカーヤはあたしの世話を放って1人で帰ることができないんだ。
 あたしが言うと、カーヤはちょっと視線を泳がせて、考えているように見えた。
「……そうね。あたしも帰ろうかな。久しぶりに顔を見せておかないとみんなに忘れられちゃいそうだし」
「またそんなこと言ってる。カーヤの家族はカーヤのことを忘れたりしないわ」
「そうでもないのよ。母さまも父さまも、あたしのことはあんまり心配してくれないの。だって、あたしもう18歳になるのに、恋人がいるのかどうかもぜんぜん訊かれないんだもの。きっとあたしが売れ残ってもいいと思ってるのね」
 そう、カーヤは冗談めかして笑いながら言った。だからあたしも笑顔で答えたけど、やっぱりちょっとだけ心配になったの。だって、女の子の18歳っていったら結婚適齢期ギリギリで、それ以上で独身だと売れ残りだって言われるんだもん。


 巫女は他の人よりも少しだけ結婚が遅くなる傾向があるけど、それにしてもカーヤが誰とも付き合わないのは不思議だった。カーヤに恋人がいないのはあたしがいちばんよく知ってるけど、でもけっしてモテない訳じゃないのよね。女性のあたしから見てもすごく素敵だと思うし、優しくて料理も上手だから、カーヤを好きな男の人はいっぱいいると思う。実際あたしも2、3回訊かれたことがあるんだ。神殿によく出入りしている男の人とか、独身の神官なんかに、カーヤは恋人いないの?って。
「ザンは? 最近あんまり仲良くしてないの?」
「……うん、この間ちょっとそんなこと言われたんだけど、それからなんとなく気まずくなっちゃったみたい」
「どうして? ザンはいい人よ。誰にでも分け隔てなく親切だし」
「なんとなく、かな。この人だ!って思えないの。嫌いじゃないのよ。でも、結婚したい人じゃないの」
 あたしにはあんまりよく判らなかった。あたしはずっとリョウのことばかり見ていて、結婚するのはリョウ以外には考えられなかったから、カーヤのような気持ちにはなったことがないんだ。
 カーヤはリョウのことであんなに泣いてた。リョウのことはもう引きずってないって言ってたから、それは本当だと思う。でも、カーヤはあんなに真剣に人を好きになることができるんだもん。もう1度本気で恋をしたら、きっとすごく幸せな結婚ができるはずなんだ。
 たぶん、カーヤはまだ出会ってないんだ。カーヤの両親はカーヤが誰と結婚するのかちゃんと知ってるから、何も言わずに静かにその時を待ってるのかもしれない。
 カーヤはこれからどんな恋をするんだろう。あたしはそれを見届けることができるのかな。
「ユーナは? そろそろリョウとのこと、考えてるの?」
 そう訊かれたから、あたしはさっきのリョウとのことをカーヤに話したの。
「実はね、明後日リョウがあたしの両親に会いにくるの。リョウはあたしも一緒にいて欲しいんだって」
「ふうん、それじゃリョウったら、今からすごく緊張してるでしょう。大変そうね」
 カーヤが含み笑いを浮かべてそう言ったから、あたしはまた更に不思議が深まっちゃったんだ。


10
 食事のあとは、今日話を聞いた村の人たちのことを神様に祈る。村に降りるようになってからはずっとそうしていたから、みんなもこの時間はあたしのために神殿をあけてくれてるんだ。だから、よほど特別なことがなければ、祈りを誰にも邪魔される心配はなかった。カーヤにも手伝ってもらいながら心ゆくまで神様に祈りを捧げて、最後に村の平和を祈る頃には、周りの宿舎も夜の静けさに包まれていた。
 そして、宿舎に帰ったあとは眠る前に日記をつけて、それであたしの1日は終わる。神殿の夜は麓よりも少し涼しくて、真夏でもそれほど寝苦しくはないの。たっぷり睡眠をとって、翌朝はいつものように快適な目覚めが待っている。あたしの宿舎は朝のうちは山の陰で日が差さないから、午前中くらいはあまり暑くもならなくて、お部屋で勉強するには最適なんだ。
 でも、この日の午前中は会議があったから、朝食の前に少し本を読んだだけで、食後は守護の巫女の宿舎に向かった。だいたい半月に1回、名前を持った巫女だけで集まって、いろいろ情報交換をするの。ほかにもいくつかの会議があって、祈りの巫女のあたしはほとんどの会議に出席しなければならなかったけど、この巫女だけの会議がいちばん気が楽だった。だって、運命の巫女が見た未来に変化がなければ議題なんてあってないようなもので、近所の主婦たちの井戸端会議とあんまり違いがなかったんだもん。
 あたしが予定の時間に守護の巫女の宿舎につくと、きていたのは運命の巫女だけで、聖櫃の巫女と神託の巫女はまだいなかった。
「おはよう、守護の巫女、運命の巫女」
「おはよう祈りの巫女」
「おはよう。祈りの巫女はいつも元気ね。ほんと若いっていいわ」
 守護の巫女も運命の巫女もたぶん40代半ばくらいで、2人ともあたしと同じか少し年上くらいの子供がいるの。だからたぶん2人にとってはあたしは娘みたいに見えるんだろうな。名前のついた巫女の中ではあたしがいちばん若くて、まだ到着してない聖櫃の巫女も40代後半くらい、神託の巫女は30代前半くらいだから、みんなすごくあたしのことをかわいがってくれるんだ。でも、代々の巫女の年齢と比べると、今の巫女たちはみんな若い方だと思う。いちど名前を襲名すれば、その巫女が死ぬか責務を果たせなくなるまで交代はないから、この先よほどのことがない限りこのメンバーは変わらないんだろう。


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