こんにちわ、黒澤弥生です。
毎日連載小説「真・祈りの巫女」は11月21日をもって終了したのですが、翌日よりあとがきを配信しています。
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さて、あとがき第4回(まだやるんかい・笑)です。
神と影の存在については、きっと誰もが興味を持ったところだとは思いますが、作中でその正体が明かされることはありませんでした。
もちろんここでも明かすつもりはないのですけど、黒澤の中ではちゃんと設定されていたりするんですね。
影の襲撃は計6回で、前半と後半の3回ずつに分かれていたりします。
物語の都合というのもあるのですけど、この襲撃回数は影のライフサイクルがかなり影響しているので、むしろ黒澤の方が影のライフサイクルにあわせて物語を進行していったのだ、ということになります。
ユーナたちの村では、神は偶像化されることはないです。
この村の巫女たちは直接的に神の存在を感じることができるので、神が物に宿ったり、目に見える形を取ることがないと感覚的に知っているんですね。
神の役割は2つありまして、1つは祈りの巫女の祈りを具現化すること、もう1つは運命の巫女や神託の巫女に情報を与えることだったりします。
祈りの巫女の祈りが正しいかどうか、そういう判断もしませんので、彼女たちにとっては神は「力」以外の何物でもない訳です。
影の目的はユーナたちが「影の世界」と呼んだ場所で明らかにされたところで、「長期にわたる世界の存続」だったりします。
できるだけ長く世界を存続させるために、ユーナたちの村が邪魔だと判断して攻撃してきたんですね。
(いわゆる天罰というヤツでしょうか・笑)
そう考えるとむしろ、神よりも影の方が、私たちが考える神により近い存在だったりするんですよ。
つまり、私たちの感覚でいえばこの戦いは「神(影)VS祈りの巫女」と言い換えてもおかしくなかったりするんですね。
少しだけヒントを差し上げるなら、ユーナたちが「影の世界」と呼んでいた場所は、実は神の内部をより詳細に表現した世界だったりします。
その中に影はいくつもの扉を開いてユーナたちの村へ干渉していた訳ですが、1度扉を閉ざしたことで神がそれ以上の干渉を影に許さなかったということは、影も神の計算には逆らえないってことなんですね。
こんな図式、どこかで見たことありませんか?
明日もあとがきの続きを配信します。
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では、また明日。
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