「どうしたのユーナ! そんなに汚れて…」
「うん、ちょっと道で転んじゃって、ものすごく痛かったの。まわりに誰もいなかったから大声で泣いちゃった。部屋で着替えてくるね」
「ああ、それじゃ、お部屋に水を持っていくわ。怪我をしてるかもしれないし」
 カーヤに明るく手を振って、あたしは自分の部屋に戻った。汚れた服を脱ぎながらカーヤを待つ。髪を整えるために髪飾りをはずして、ほんの少しだけ見つめてからたんすの上に置いた。勇気をありがとう、って、心の中で声をかけて。
 あたしのリョウは今でもここにいる。たとえ姿を見ることができなくても、リョウがあたしを愛してくれたことは真実だった。
 たらいに水を張って持ってきてくれたカーヤは、手ぬぐいを絞ってあたしの身体をきれいにしてくれた。両膝と両腕をほんの少しすりむいていて、手当てをしながらカーヤは首をかしげていたの。
「そんな、大泣きするほどの怪我には見えないわね。ほかにどこかぶつけたりした?」
「うん。ちょっとこのへん」
「胸? …別に赤くはなってないようだけど」
「でも痛かったの。もしかしたら明日には大きなあざができてるかもしれないわ」
 影の世界へ行く前の傷は、不思議なことにすべてきれいに消えていた。やっぱりあたしたちの身体は、影の世界へ行く前とあととで何かが違っていたんだろう。カーヤの様子は普段とまったく違わなくて、あたしにはカーヤがオミにどんな返事をしたのか、それだけでは察することはできなかった。でも、あたしがいろいろ訊いてこじれたらオミがかわいそうだから、カーヤが話してくれるまでしばらく訊かないでいようと思う。
 リョウのことは、過去に置いていく。
 もちろん、リョウは生きているから未来があるけど、それはあたしと同じ未来じゃない。リョウの未来があたしの未来と重なることは2度とない。あたしの未来に現われることのないリョウは、死んだのと同じことなんだ。だったらあたしは未来を見なくちゃいけない。リョウと一緒の未来じゃなくて、あたし1人だけの未来を。
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