できるだけ音を立てないように扉を閉めた。駆け出してしまわないように必死で我慢して、ゆっくり歩いて、ようやく坂道の階段を登り切る。そこまでくればもうリョウの家から姿を見ることはできない。我慢しきれなくなったあたしは、まるでリョウの家から逃げるように坂道を駆け上がっていった。
 もう少し。もう少しだけ行ったら、声も届かなくなる。自分の息遣いに嗚咽が混じるのを聞いて、目の前がかすんで見えなくなって、転んだところがあたしの限界だった。地面にすがりつくようにして泣いた。きっと誰にも聞かれていないから、ものすごく大きな声を上げて。
 あたし、がんばったよね。これ以上できないってくらいがんばったよね。だから、今ここで泣くことくらい、許してもらえるよね。
 だって、リョウは判った、って言ったんだもん。あたしの言葉が判ったってことは、リョウは自分の村へ帰ることに決めたんだ。…少しだけ、期待してなかったとは言わない。ほんの少しだけ、もしかしたらリョウはこの村へ残るって言ってくれるかもしれない、って。
 ううん、あたし、ほんとはぜんぜん信じてなかったんだ。リョウを失う覚悟なんか、少しもできてはいなかったの。だからこんなに涙が出るの。もしかしたら、って、わずかな希望にしがみついていたから。
 ありえないのに。命の巫女を好きなリョウが、あたしを選んでくれるはずなんかない。嘘を守ることだけが、あたしが唯一リョウをつなぎとめておける鎖だったの。あたしは自分からその鎖を手放した。
 でも、だったらあたしはどうすればよかったの? 嘘を守って、リョウを縛り付けて、一生リョウに後悔させたままでいればよかったの?
 そうしていればよかった。なにも言わなければ、リョウはずっとあたしのそばにいて、やがてあたしと結婚して、一生あたしの夫でい続けてくれたんだから。
 ――そこまで思って、ふっと風が途絶えるように、あたしは冷静になっていた。
 同情だけで結婚したってお互い幸せになれるはずなんかない。嘘で塗り固めた幸せを演じたって、お互いに苦しいだけなの。それはあたしが1番知ってることなんだ。だって、リョウと嘘の婚約者を演じている間、あたしはけっして幸せなんかじゃなかったもん。
 立ち上がって、近くに流れている小川で顔を洗って、あたしは再び歩き出した。まだ終わってない。後悔の涙を流すのも、すべては明日リョウを見送ってからゆっくりすればいいことなんだ。
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