おはようございます、黒澤弥生です。
 毎日連載小説「記憶」及び「記憶2」は4月15日をもって終了したのですが、翌日よりあとがきを送信しています。
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 さて、メルマガ版あとがき第3回(笑)です。

 「記憶」という小説には様々なテーマがあって、その1つが「親子関係の破壊」というものです。
 主人公の伊佐巳は、葛城達也の息子である自分と、ミオの父親である自分と、2つの親子関係を持っていました。
 そもそも子供というのは、親を喜ばせたい、親の思う通りの人間になりたい、と、無意識的にでも思っているものです。
 私自身は友人に「万年反抗期」などと言われてしまうくらい、この年になってもいちいち親に反発する娘なのですが、今でも親が言ったことに対して無条件で言いなりになろうとする自分を感じることがありまして。
(私は自分の親とはまったく相性が合わないので、この自分の心理を破壊しないことには、生活そのものにつらいものがあります)
 親というのは、子供にしてみれば、絶対者なのだと思います。
 その絶対性の破壊というのが、成長してくる過程で私が未だに背負い続けている、最悪の戦いで最大のテーマだったりするんです。

 特に伊佐巳は、ひじょうに個性的な(笑)父親を持ったために、父親を憎まないことには生きることすらできませんでした。
 でも、彼の中にも、絶対者たる父親への思慕の気持ちというのは存在するんですよね。
 その憎しみが強ければ強いほど、彼の中にある父親を求める気持ちというのも強いんです。
 その2つの気持ちのうち、伊佐巳が自覚しているのは「より強い憎しみ」の方だけでした。
 そして、彼が本当に縛られていて、破壊しなければならないのは、彼が未だに気付いていない「より強い思慕」の方なんです。

 これから先、伊佐巳は自分を見つめながら、やがて自分の中の相反する気持ちに気付いて破壊することができるでしょう。
 たとえ破壊はできなくても、気付くことはできると思います。
 そして、彼がその戦いに勝利を収めることは、私自身の希望でもあるんですね。


 明日もあとがきの続きを配信します。
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 では、また明日。
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