おはようございます、黒澤弥生です。
 毎日連載小説「記憶」及び「記憶2」は4月15日をもって終了したのですが、翌日よりあとがきを送信しています。
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 さて、メルマガ版あとがき第2回(笑)です。

 黒澤は小学生の頃、ものすごく忘れ物が多い子供でした。
 学校で忘れ物グラフをつけてその少なさを競ったりしたのですが、黒澤のグラフは、設定された最大回数を突き抜けるくらいダントツだったんですね(笑)
 そんなこともあってか、昔からものすごく記憶というものに興味がありまして。
 私の小説には、人間の記憶を扱ったものがかなり多いんですね。

 よくテレビドラマなどで、催眠術をかけて記憶を退行させると、過去のことをすらすらしゃべり出したりするシーンがありますよね。
 過去の記憶はちゃんと残っていて、思い出せなくてもぜったい消えたりしないらしいです。
 そんな記憶の仕組みを、ミオは物干し竿と洗濯物に喩えています。
 伊佐巳は自分の脳の仕組みをコンピュータに喩えていて、思い出す、という行為は「マウスでフォルダをダブルクリック」なんて思ってるんでしょう(笑)
 でも、そうして思い出した記憶は、果たして私たちがそのとき経験した、本当の記憶なんでしょうか。
 人間は過去の何かを思い出したとき、その記憶に現在の注釈を与えます。
 例えば、現在の恋人と大喧嘩をしたあと、不意に過去の恋人のことを思い出して「あの人はああいう言い方はしなかったな」なんて思うことがありますよね。
 たとえ過去に大喧嘩して別れた恋人でも、その人をなつかしく思ってしまったり。
 そうして思い出した過去の記憶は、思い出した時点で上書き保存されてしまうのかもしれないです。
 「今思えば……」という解釈を何度となく付け加えていくうちに、いつの間にか記憶は変質して、事実と違ってしまうことだってありうるんです。

 伊佐巳は果たして本当に、幼い頃からのミオを愛していたんでしょうか……?


 明日もあとがきの続きを配信します。
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 では、また明日。
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