こんにちわ、黒澤弥生です。
 小説「祈りの巫女」は6月19日をもって終了したのですが、7月17日よりあとがきを配信しています。


 さて、今日はお読みくださっていた方から暖かいご感想をいただきましたので、ご許可を頂けましたお2方のご感想を掲載させていただきたいと思います。


 RAVEN(レイヴン)さん【一部抜粋】

ユーナはみんなのために祈ります。「祈る事で何かが起こる」のではなく、「祈る事自体に意味があった」のですね。ユーナが祈る事で村のみんなが健やかに生活ができる。と自分思いました。

自分が思う理由は2つあります。
1つは祈りの巫女は祈りをささげて皆の幸せ(だと思うのですが)願う。
その祈りは神様にとどいて祈った相手(村の人)が恩恵を受ける。
と、相手(村の人)は思います。それゆえに村人は不安にならず、生活ができる。と、おもいます。

具体的に何かがどうなるの?と言われても、多分何も無いかも知れません。
(物語では祈りの巫女について語られてませんから、あくまでも自分の想像)
「祈る事で何かが起こる」のではなく、「祈る事自体に意味があった」という訳。

2つ目ですが、「祈り」による繋がり。と思います。
ユーナ(祈りの巫女)に祈ってもらえる。という繋がりが生まれる。
リョウのような独立した人は「祈りの巫女が祈ってくれる。」こう思うことで、「一人」じゃないわけです。それゆえ孤独の部分が満たされると思います。
人は一人では生きて行けませんから。

リョウのように独立した人間にとって「祈りの巫女」はなんの見返りがあるわけではないのですが、祈ってもらえる。という繋がりがあるので孤独ではなくなる。自分はそう思います..誰にも心配されない、誰にも見てもらえない人間はそれはそれで寂しいですからね。

「ムーミン」に出てきたスナフキンも孤独を愛していましたがムーミン谷の人とは仲がよかったですからね。(TVしか知らないので原作はわかりませんが)

ユーナのような「祈りの」「巫女」もありかな?と自分は思いました。
そーいえばFF10にも「ユウナ」と言う「巫女」がいます。言いかた変えたら、あれは「生贄」なわけで…。

最後に、

連載50回お疲れ様でした。

「祈りの巫女」の続編が出るかどうかはわかりませんが、黒澤さんの次回作を楽しみにしています。(PCが直ってからだと思いますが。)


→FF10に「ユウナ」という巫女がいたとは存じませんでした!(笑)
 (別にそこから名前をいただいた訳じゃないんですよ〜)
 RAVENさんがおっしゃるように、祈りの巫女の存在自体に意味がある、という側面はありますね。
 ユーナがいることによって、村の人たちは大きな安心感を得ているのでしょう。
 実は作中にはほとんど祈りの巫女の存在意義は出てきていなかったのですが、RAVENさんはちゃんと捉えてくださっていたんですね。
 第2部からは、祈りの巫女のもう1つの側面、というようなものも出てくると思います。
 (まあ、イケニエじゃないことは確かですが・笑)
 ぜひ楽しみにお待ちくださいね。


 おとわさん【全文】

【石獣庭園】のおとわです。
「祈りの巫女」第一部完結、おめでとうございます。
マシンのトラブルなどで散々でしたが、ともかく終わってホッとしていらっしゃることと思います。

今回の作品は黒澤さんの作風には珍しくファンタジー風の作品とのことで、どんな雰囲気が醸し出されるのか楽しみにしておりました。
第一部が完結して、改めて作品内容を思い返してみますと、事件そのものに派手さはないものの、主人公ユーナの必死さと切なさは行間のあちこちから覗いていて、読後の好感度は高かったですね。
間もなく十三歳を迎える少女の、背伸びして大人ぶりたい思いと、本当に自分が大人になれるのかどうか不安になっているところ、自分をおいてどんどん大人になっていってしまう幼なじみへの想いなどが、祈りの巫女という仕事への期待と不安に重なって、私たちこちらの世界にいる者にも共感できる部分が多かったことも、この好感度をあげているのだと思います。

彼女の抱えている不安や不満は、私たちも常に心のどこかで、様々な形となって抱えている問題と同じだと思うんですね。
私たちには未来など見えはしませんから、自分の進んでいる道が果たして正しいのか、それとも知らないうちに間違った方角に進んでいるのではないか、そういった、すぐには解決しづらい焦燥感のようなものが、作品の底に見え隠れしていて、主人公だけではなく、その周囲の人たちもじっと静かに、主人公と同じように堪え忍んでいる姿が目の前に浮かんでくるようです。

作品のなかで明暗を分けているかに思われたリョウと亡くなったシュウの立場も、最後まで読んでみると、彼らなりに必死に生きてきた道しるべのようなものが見えてきて、主人公のまわりに集う人たちの多くが本当に健気に生きている姿が、彼らの生き様からも垣間見える気がします。
息子を亡くしたマイラが「思い出してくれてありがとう」とユーナに微笑みかけるところなどは、改めて読み返すと涙が出そうです。
人は赦し、赦されて互いに生きているのかもしれませんね。
(この辺りは、計算すると私がユーナよりもマイラの年齢に近いから感じることなのかもしれませんが/笑)

主人公のユーナから見た場合は、シュウを助けられなかった負い目が心に深い傷を作っているのでしょうが、物語的には、激しい戦闘シーンがあるでもなく、怒りや憎しみといった激しい負の感情シーンもないですが、時間が経てば経つほどに静かな歓喜や哀しみが浮かんできます。
読み終わった今現在、何かに疲れたときや迷ったときなどの、歩んできた足を止めざるを得なくなったとき、この作品のことを思い返すのではないかと思っています。

温かい作品を読ませていただき、ありがとうございました。
第二部「続・祈りの巫女」の連載が始まるのを楽しみにしております。
ほんの少し成長したユーナやリョウに逢う日を、ワクワクしながら待っています。


→私が12歳だった頃、自分の世界はものすごく狭くて、今ならガキンチョにしか見えない(笑)16歳くらいのお兄さんもみんなとても大人に見えました。
 狭い世界の中で小さなことにいちいち悩んで、今思えば「なんでこんなことで?」と思えるようなたわいない出来事でも、まるで世界が終わったかのような悲しい気持ちになってしまったり。
 そんな、誰でも通ってきた少年少女の頃のこと、黒澤が自分の幼い頃を思い出しながら書いたのが「祈りの巫女」なんですね。
 (まあ、黒澤はユーナほど素直な子供じゃなかったですが;)
 回りにいる大人たちは、ユーナが悩む姿を見ながら、自分が少年少女だった時のことを思い出しているのでしょう。
 もどかしく思いながらも、あれこれ言葉を尽くしても解決してあげられない、ユーナが自分で経験して判っていくしかないことなのだ、ということが、自分の経験から十分過ぎるほど判っていて、今は見守ってあげることしかできないんです。
 大人になってしまった私たちには、「祈りの巫女」はすごくもどかしい、くすぐったいようなお話だったかもしれないですね。
 (実際黒澤も日常生活では若い子にイライラしっぱなしですよ〜・笑)
 そんな大人世代の方には昔の自分、ユーナ世代の方には今の自分と共感していただけたのなら幸いです。


 RAVENさん、おとわさん、ご感想および掲載を快く承諾してくださいまして、本当にありがとうございました。


 明日もあとがきの続きを配信します。
 物語をお読みになったご感想などありましたら、ぜひメールでお寄せください。
 ご許可を頂けましたら、このメルマガに掲載させていただきたいと思います。

 では、また明日。
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