こんにちわ、黒澤弥生です。
小説「祈りの巫女」は6月19日をもって終了したのですが、7月17日よりあとがきを配信しています。
PC故障により、皆様には多大なご迷惑をおかけして申し訳ありません。
今後続編の配信を予定していますので、どうかよろしくお願いいたします。
さて、今日もしつこくあとがき第2回です(笑)
PC版で黒澤の日記も同時にお読みになってた方はご存じと思いますが、うちの職場の先輩はとっても優しい人です。
怒っている姿を誰も見たことがないほどで、いつも穏やかで、相手を思い遣る姿勢がたえず見えているんですね。
今の職場に転勤になったのは1年9か月ほど前なのですが、先輩だけではなくほかの人たちもすごく優しい人ばかりで、黒澤は少なからずカルチャーショックを受けまして。
黒澤自身はあまり優しさの表現が得意ではないので、「ああ、こういう人たちと一緒にいるとそれだけで優しい気持ちになれるんだな」ということを感じたんです。
そんな訳で、「祈りの巫女」を書く時、私はこの「優しさの表現」というのをテーマの1つに取り入れました。
ユーナの村にいる人たちは、ユーナも含めてみなすごく優しい人ばかりです。
そんな優しい人たちの中で暮らしているから、みんな自然に優しくなっていくんですね。
でも、彼らが表現している優しさって、果たして100パーセント本物なんでしょうか。
黒澤は普段は「優しくない」方の人なので、そのつもりはなくても人を傷つけることは多いですから、当然嫌われることも多いです。
私は自分が嫌われることにもすっかり慣れてしまっていますが、これが優しい人なら、私ほど嫌われることに慣れてはいないでしょう。
優しい人の優しさの中には、自分が嫌われないための防衛壁、というような意味もあるような気がします。
(もちろん、すべてがそうだ、と言ってる訳じゃないですよ〜)
まあ、どちらにせよ、リョウが作中で話していたように、人が優しさを表現するのってやっぱり正しいことなんですよね。
誰かに優しさをもらって、その優しさをまた誰かに返して、社会の中に優しさが循環していくような姿を、「祈りの巫女」というお話の中でシュミレーションできたらいいな、と思ってたりします。
明日もあとがきの続きを配信します。
物語をお読みになったご感想などありましたら、ぜひメールでお寄せください。
ご許可を頂けましたら、このメルマガに掲載させていただきたいと思います。
では、また明日。
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