オレの通う道場は、A市から電車で約10分、O駅から徒歩15分程行った、住宅街の片隅にあった。冬休み、午後練など始めてみれば、竹刀の打ち合いなども終わるのは夕方の6時。風景は黄昏を通り過ぎ、夜のたたずまいを見せ始める。
「話って、なに?」
後に束ねた長い黒髪。1つ後輩のまだ16に満たないであろう、うつむいた少女。黙ってられていても仕方がないので、オレはそう呟いてみた。まっ暗闇の、道場の窓からの明かりで、辛うじて顔が見える程度の明るさ。オレにはいつも、この時間が無性に耐え難かった。
「あ、あの、あたし…釜本君が好きです。もしいやでなかったら、おつきあいしていただけませんか…」
言葉の最後の方は、聞こえやしなかった。でも、ここまで言ってくれれば、オレにも切り返しようがあるってもんだ。オレは勿体振るように、少しだけ間を置いて言った。
「悪いけどオレ、理想が高いんだ」
 彼女は泣いていたのかもしれない。それを確認するまもなく、少女は走り去って行った。彼女は剣道の筋も良かった。顔も見られる方だ。頭もいいんだろう。だけど、1つだけクリアできない点がある。それは――
「一郎」
 思いっきり聞き覚えのある声が、背後からオレを驚かせた。

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