「あ、平原が笑った」
 あたしが、え? と思って若原君を見ると、若原君はこの上なく魅力的なほほえみで、あたしに笑いかけていた。
 どきっとしたの。
「お前気がついてないのか? 同じクラスになってから、お前がオレのことを見て笑ったのって、今が初めてなんだぜ。なんかすげー安心した。もっと笑ってくれよ」
 え? 笑ってくれって言われても…
 安心したって…若原君、あたしが笑わなかったから、心配してくれていたの?
 あたしが笑わなかったのだとしたら、それは若原君を見ると自然に緊張してたからなの。
 何か変な事しないかと思って、いつも…
 その時あたしは気がついていた。
 いつもあたしに笑いかけてくれた若原君。
 その笑顔が、どんなにあたしを勇気付けてくれていたか。
 若原君が笑っていることで、どんなに安心することが出来たか。
 若原君がいなかったら、あたしはこの環境の変化のなかで、とても不安だっただろう。
 そもそもこんな所に来なかったに違いない。
 若原君はあたしに、勇気をくれたの。
 その笑顔で。
 でも、あたしは若原君に、何をあげた?
 笑顔さえあげてなかったの。
 いつも一方通行だった。
 だから…
 今度はあたしがあげる番。
 若原君に笑いかけることなら、あたしにだってできるはずだもん。
「こんな事したら笑うかな?」
 そう言った若原君、おもむろに両手で顔をひっぱったの。
 大きい口がもっと大きくなって、涼しげな目もとが見事なタレ目になって…
 あたしおかしくて笑っていた。
 さっきよりもっと派手に。
「笑った。平原が笑った。それじゃ、こんな顔は?」
 若原君が次々に作る顔に、あたしは大声をあげて笑い転げていた。
 息もたえだえになって、涙まででてきちゃった。
 おなかの底から笑って…どのくらいあたしは笑っていただろう。
 こんなに笑ったのは久しぶりのことだった。
 こんなに夢中で、笑うことに専念した事って、今まで1度もなかったのかもしれない。
 若原君がそれを思いださせてくれた。
 でもいいかげん笑い疲れて、若原君も顔を作るのに疲れて、あたし達はどちらからともなくソファに崩れ落ちた。
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