放課後アドベンチャー


 第3話 大団円
 
 

 夕飯を食って風呂も上がると、オレの部屋で雑談を交わすのが、最近のオレ達の習慣だった。今日も逸実はオレの部屋にやってきて、ベッドの上にちょこんと座った。肩にタオルを置いて、洗い髪をそのまま下ろしている。こうして黙ってりゃ、けっこう絵になるぜ、お前も。
「お母さん元気かな」
「何だよ。ホームシックか?」
「そうじゃないけど……家はお母さん一人じゃんか。心配してないかって、時々思うんだ」
「心配してないわきゃないだろうさ」
逸実のお袋には、オレ達が何に関わってるか、少しも話してはいないんだよな。ほんとの事知ったら、とてもじゃないが耐えられないだろうから。
「お前の母親は再婚しなかったんだよな」
「最初のころはそれどころじゃなかったから。だけど、けっこう話もあったみたい。それでも再婚しなかったのは、やっぱりお父さんが忘れられなかったからだって、言ってた」
「そういうところも、オレの理想なんだ」
逸実はオレを見上げた。それでオレは少し照れちまって、逸実から視線を中空に移して一気にしゃべり始めたんだ。
「オレは生涯の伴侶ってのは、一人でいいと思ってんだ。だからたとえ片方が死んじまっても、生涯その人を想って暮らせるなら、本当にそれで納得できるんだったら、その方が絶対にいいと思うし。だからオレ、お前のお袋みたいの、最高の理想だと思ってるんだ」
逸実は黙って聞いていた。何を想っているのか、オレにははかり知れなかった。何だか逸実の目が遠くて、オレの遥か向こうを見ているようで、それがなぜか、オレには耐えられなかった。
「逸実」
その時だった。オレたちが物音を聞いたのは。
「え?」
「何だ今の」
一階の方だった。一気に緊張感をたぎらせたオレたちは、互いの洋服をつかみあいながら、これ以上にないってほどに聞き耳を立てていた。
 そして窓ガラスの割れる音。人の足音。まさか……
「一郎、どうしよう」
洋服を通して感じられた逸実はふるえていた。こうなったら、オレが何とかするよりほかにない。
「逸実、お前の木刀は」
「ベッドの枕元に」
「とりあえずオレのを持ってろ。ついてこい。離れるなよ」
オレは足音を立てないように、逸実の部屋へと続くドアをあけた。続きの部屋にしたのは、こういう時のためだ。逸実の木刀を拾って、逸実が持っていたオレの木刀と取替えた。やっぱり、自分のの方がしっくりと来る。
「いいか逸実。目標は一階の貯蔵庫だ。あそこまで行けば、ガレージは近いし、地下室への階段もある。オレから絶対に離れるんじゃないぞ。誰かに会ったら、そいつで思いっきしぶったたけ。殺したってかまわねぇ。窓を割って入って来る奴なんて、まともな奴らじゃないからな。正当防衛で罪にゃならん」
 一階はかなり騒がしくなってきていた。おそらく、部屋の中を虱潰しに探しているんだろう。いずれ二階にもやってくる。早くここを出なければ。
 用心深く、オレは部屋をでた。そして、柱の陰に身を隠す。今の状態で一階に行くのは自殺行為だ。ある程度の人数を二階に誘き出さなければ。何人くらいいるのか、オレ達はまだ把握しちゃいない。一対一なら、木刀を持ったオレたちだ、負けるようなことはないだろう。だから、とにかく一人づつ、人数を減らしていかないと。
 車一台で五人、二台で来たとして十人。多くてもそのくらいだ。そして、その一人目が、オレたちの前に、姿を現した。
「あ、お前たち」
叫ぶ隙を与えちゃいけない。一度に来られたら、勝てないんだ。満身の力でもって一撃。男は声もなくその場に倒れ込んだ。
「ダメだ。すぐに捕っちまう。逸実、三階へ行くぞ」
振り返った視線にちらっとかすめた逸実は、倒れた男を凝視していた。その目には、迷いはなかった。
 さっき男が来たのとは逆の階段へ、オレ達は走っていった。うしろから来た二人目の追っ手が、倒れた男を見つけて叫ぶ声が聞こえる。振り返らずにオレ達は走った。そして、銃声。
 しまった。拳銃を持っている奴がいるとは思わなかったぜ。反対の壁に当たったところを見ると、幸いにして腕はいいとはいえないが、こいつは完璧、オレ達が不利だ。だからといって、生き残ることを忘れるようなオレじゃない。絶対に、絶対にオレは帰ってみせる。
 三階に上がったとたん、オレはきえーっという掛け声と共に、誰かに襲われた。間一髪、木刀で防いだが、奴の顔を見ることは出来た。
「倉橋」
黒幕の息子、聖徳学園の大将、倉橋貢だった。
「待ってたぜ、釜本。お前がオレ達の生活をめちゃくちゃにしたんだ。オレも親父ももとの生活には戻れやしない。お前も生かして帰すつもりはないから覚悟しろよ」
なんてこった。確かに十中八九予想してたことだけど、まさかお前が追っ手だなんて。お前がオレ達を殺そうとするなんて。お前、あんなに燃えてたじゃないか。オレが聖徳の剣道部を変えてやるんだって。
「倉橋、待てよ」
「問答無用だ」
木刀と木刀。力は互角。まともにやったら、一体どちらが勝つだろう。昔、オレの剣道仲間の坂敷が言った。オレ達は剣道を通じて人をなぐっている。オレ達は人をなぐりながら強くなっていくって。そしてオレ達は少しづつ、人をなぐることへの罪悪感を失ってゆくのかも知れない。オレ達は少しづつ、人間らしい心を失ってゆくのかも知れないって。
 オレは奴の剣を受けながら、心が決まった。こいつを倒しても、オレは生きなきゃならない。この、逸実のためにも。オレは剣道のルールを忘れて、反則技ばしばし使って応戦した。その時、オレの視界の端に、さっきの拳銃男が映ったのだった。
「ズキューン」
 オレは体勢を崩した。とっさの判断だった。これ幸いと討って出たのは貢の方だった。そして、撃たれたのも貢だった。
「貢ーっ」
 一瞬、オレ達と、追っ手数人の動作が止まった。叫んだのは貢の親父、今回の黒幕の、倉橋理事長だった。
 貢の位置からは拳銃男の姿は見えなかったのだろう。そして、拳銃男からも貢の姿が……
 血だらけの貢、オレは逸実の手を取って走った。三階の廊下を反対側の階段に向かって。そして、そこに現われた追っ手の三人を、木刀で次々となぎ倒した。
 貢のことを考えている暇はなかった。そして、不思議なほど罪悪感というものも感じなかった。拳銃男は一人だろうが、まだ追っ手は半分も残ってやがる。早く、あの地下室へ。地下室まで行けば、頑丈な扉で完全にふさぐことが出来る、石造りの一室があるんだ。そこにもぐり込んじまえば、少なくとも殺されずに済む筈なんだ。
 やっとの思いで貯蔵庫の前にたどりついたとき、そこにいたのは、真剣を持った大男だった。こいつを倒さないかぎり、オレと逸実は助からない。鈍く光った剣は、オレの姿を見ると、ためらいを少しも見せずに襲いかかってきた。
 最初の一撃は間一髪でかわす。しかしすぐに次の一撃が。この男、剣を使い慣れている。オレは三合の打ち合いの末、とうとう木刀を折ってしまった。
 オレに打つ手はない。男は剣を大きく振りかぶり、オレを袈裟がけに切ろうと剣を振り下ろした。
 とその時、オレは見たのだ。オレと奴との間に割り込んだ逸実を。そして、その木刀が奴の喉に突き刺さるのを。
 逸実、お前、オレのためにお前、人を殺したのか……?
 その場に倒れた男を、オレはそれ以上見なかった。貯蔵庫の中に入り、反対側の扉をあけると、地下に続く階段がある。まっ暗な階段をオレと逸実は降りていった。そして、突き当たりの扉をあけると、そこは広い空間。
「壁の仕掛けがちゃんと動かなかったらアウトだ」
言いながら、オレはレバーを手前に引いた。
 最初、ちょっとがらがらいってオレをいらつかせた扉は、やがて順調に降り始めた。その時間が長かった。近づいてくる足音。聞こえる怒声。そして、地下室への扉をあける音。拳銃男が入ってきたとき、扉は下三十センチを残すのみとなっていた。
 不利な体勢で拳銃を構える男。オレは思わず、逸実を抱き締めた。そして、銃声。
 下手な鉄砲も数撃ちゃあたる。あいつ、驚異的にへたっぴなくせして、最後の最後になって、狙ったところに当てやがった。
「一郎、一郎!」
 大丈夫だよ逸実。ちょっと血が出てるけど、あたったのは腕だ。死ぬわきゃないって。
「逸実、けがなかったか?」
やがて完全に扉が落ち、オレはその場に崩れ落ちた。ったく、情けねぇ。気がゆるんで、力が抜けちまった。目が霞んで、逸実の顔もまともに見れないなんて。
「どこも何ともないよ。怪我してる奴があたしの心配なんかするな馬鹿野郎」
 遠くで聞こえた。パトカーのサイレンの音。やったな逸実、オレ達、生き延びたぜ。結局、オレが覚えていたのはそこまでだった。安心と、軽い貧血のため、オレはどうやら気絶しちまったらしい。
 ほんとに、情けないったら。

「…本当に、本当に申し訳ない! この通りだ」
 病院のベッドの上で、オレは、二人の刑事が土下座して謝るのをやや怒りを込めた目で見つめていた。かたわらには逸実。向こうには、親父とお袋が立ちつくしていた。
 さっき、説明を聞いた。この刑事達、黒幕を誘き出すために、オレ達を囮に使ったんだと。その連絡が例のタイムラグのせいで遅れちまって、そのおかげでオレ達は、あんなに危ない目にあったんだ。
「どうしたら許してもらえるだろうか。私達は刑事失格だ。辞表も書いて持ってきた。既に首をくくる覚悟は出来ている」
 どうだっていいぜそんなこと。だけどおっさん、民間人を囮に使うのって、一番やっちゃいけないことじゃなかったか? とは思ったけど、あんまりおっさんのつむじが憐れだったので、オレは一つの溜息で許してやることにした。
「もういいよ。それよりさ、聞かしてくれない? オレがぶんなぐった奴、どうなった」
こいつらが謝りっぱなしなもんだから、肝心なこと何一つ、オレは知らないんだ。
「ああ、それなら、みんな生きてるよ。ただ、貢君だけは残念だったけど」
……そうか。貢の奴、死んだのか。
「みんなって、あの、日本刀持ってた奴も?」
「あれは奇跡でしたね。君よりも早く意識を回復して、病院のベッドの上でタバコふかしてましたよ。首の骨がずれて鞭打ち症になったくらいだ。悪い奴っていうのは、丈夫だね」
良かった。あいつ、死んでなかったのか。あんな奴死んだからって、オレは痛くも痒くもないけど、逸実のなかには一生傷が残っちまう。どんな形であれ、人を殺しちまったら、やっぱりそれは罪だから。
 大人達が帰り、オレと逸実は二人きりになった。オレは何だか少し気恥ずかしくて、なかなか逸実の目を見られなかった。逸実の方はどう感じているのか、少し黙っていたけれど、やがて沈黙を破りにかかった。
「傷の具合、どう?」
オレの怪我、たいした事はない。が、十五日の初試合までには治りそうになかった。
「神経も骨も異常はないって。全治一ヶ月ってとこかな」
「残念。白けた試合になっちまうな。お前がいなきゃ盛り上んないよ」
オレ、ただ笑って見せた。ほんとのとこ、満足してるんだ。お前のこと守り切れたから。オレの大切な幼なじみ。オレの理想に一番近い奴。
「忙しかったのか? 午前中」
「調書取ってたんだ。お前はもう少しあとだろうけどな。それから……」
逸実が言葉を切ったのは、ドアの外が騒がしくなったから。それだけで、もう誰が来たのか判っちまった。ノックの音にオレが返事をすると、開いたドアの向こうで、紙吹雪と炸裂するクラッカー。
「釜本一郎君、おめでとう!」
そして盛大なる拍手。い、いったい何なんだこれは。
 ひとしきり拍手と歓声が静まると、オレの剣道部の部長、悪友の坂敷が、咳払いを一つした。
「はい静かに静かに。それではまず、釜本君にお見舞の言葉を。――腕の怪我は大丈夫かい? 災難だったな」
突然の出来事のあまりの異常さに、オレは絶句していた。そして、逸実も目を丸くしている。お見舞に来たんだったら、何で第一声がおめでとうなんだよ。
「そして、祝の言葉。童貞脱出おめでとう! これで君も大人の仲間入りだ!」
そしてまた、拍手と歓声。お、おい、今なんて言った!
「そして最後に質問。なあ、どうだった? 感想を述べよ」
部長はオレの怪我をしていない左肩をつっつく。童貞が何だって? こいつは一体どういう事態なんだ。
「おいお前、何言ってるんだ?」
まぬけだオレ。何でこんな質問しなきゃなんないんだ。部長、人差指立てて、チッチッチッなんてポーズを作る。そのあとオレの肩に手を回して、ベッドにこしかけた。
「とぼけるなんてお前らしくないじゃないか。オレ達、ちゃんと知ってるんだぜ。お前が部活サボって逸実と駈落したってのは。もう学校中の評判だ。――とにかく、オレたちは賛成だ。どんな理由で駈落なんて事になったのか、オレ達に話してみろよ。力になるぜ」
 こいつ、目がマジだ。ってことは本当に……
「きゃははははは……」
突然、逸実が笑いだした。少し驚いたけど、そんな逸実の笑った顔を見ていたら、オレも何だかおかしくなって、笑いだした。呆然とする部員達を尻目に、オレ達は笑いつづけた。
「逸実、オレ達駈落したんだって」
「嘘みてぇ」
 なんて、世の中は平和なんだろう。どうしてこんなに平和なんだ? オレ達世間では、駈落してたことになってるんだから。
 笑いながら、オレは初めて平和を実感していた。オレ達もまた、平和な人間達の一人だ。逸実もオレも、、こいつらと何一つ変わるところなんか、ないじゃないか。
「な、何だよ。駈落じゃなかったのか?」
狼狽する部長に、オレは言った。
「判ってんだったらじゃまするなよ。二人の語らいの時間をさ」
「……こいつは参ったな」
部長も笑いだして、オレ達は笑いの嵐。そのなかで、オレは本当に、平和な世の中を感じていた。
 ともかくこれで、大団円。

 剣道部のけたたましい連中が帰ってしまったあと、オレと逸実との間に、再び静寂が訪れた。だけどオレは、さっきほど気にならなかった。なぜって、良く判らないけど、それならそれで、けっこう安心できるって事を、オレが知ってしまったから。
 左腕の点滴の中には、どうやら睡眠薬でも仕込んであるらしい。横になったオレに、逸実はふとんをかけてくれた。目を閉じて、眠りに入る。きっと今日は、良く眠れることだろう。優しい夢を見られることだろう。
 だからオレは、これが現実だったのか、夢だったのか、正直よく判らないんだ。眠りにつく寸前に、逸実がオレに言ったこと。
「…一郎。守ってくれてありがとう。あたしを助けてくれてありがとう。一郎は今まであたしが見た中で、一番かっこいい冒険者だったよ……」
 そしてオレは、世界中で一番やすらかな眠りについた。
 
 

 それからオレ達がどうなったかって? 何にも変わらんよ。剣道やって、勉強やって、そして、ふと気がつくと、オレは逸実の居場所を探していたりする。ただ、それだけなんだ。


トップへ     前へ