第5話 片恋
リンゲル叔父の主催したパーティーは、ちょっとした仮装パーティー形式だったの。
それから二日がたって、あたしと若原君は、もう誰にもはばからずに、庶民の部屋で話し合っていた。
そしてあたしは、平凡な自分という殻を打ち破った。
あたしは王様と並んで、とても粋な仮装をしていた。
王様は太陽神、あたしはその妻の夜の女神。
別名月の女神とも言って、銀色の衣装を着ていたりするけれど、あたしは黒髪だったから、今日は月の女神ではなくて、まっ黒な衣装の、夜の女神の扮装をしていたの。
それはとてもきれいなビロードで、たくさんの真珠が縫いつけられていた。
あたしはそのドレスをとても気に入って、あたしを見た人が美しいってほめてくれるのを、とてもいい気分で聞いていたの。
ホールにはたくさんの人がいて、音楽が流れていたけれど、踊りに行く人はそれほどいなかった。
みんな様々な仮装をしていたから、踊ることよりもむしろ、仮装を楽しむ方に興じていたのだと思う。
あたしも踊りを知らなかったから、その方がつごうがよくて、王様の隣でたくさんの人達に囲まれながら、笑顔を振りまいていたの。
リンゲル叔父は今日はホスト役で、いろいろな人のまわりをまわっては、話しかけたり、小姓に飲物を取りに行かせたりしていた。
やがてあたしの所にもやってきて、ちょっと矮小に見える笑顔で、あたしに言ったの。
「姫様、今夜は私の屋敷においで下さいまして、ありがとうございます。十分にお楽しみいただいておられますでしょうか」
あたしは誰にでも向ける極上の笑顔で言った。
「ええ、とても楽しいパーティーですわ。お招きくださったことに感謝しております」
「お飲物を取り替えさせましょう。……では、ごゆっくりお楽しみ下さい」
簡単な挨拶だけで、リンゲル叔父はほかの人達のところに行ってしまった。
あたしは別にリンゲル叔父と話したくもなかったから、あとで小姓の持ってきてくれた杯を自分のものと取り替えて、目の前に屯している崇拝者達と、楽しく話をしていた。
やがてあたしは王様と一緒に退出して、自分にあてがわれた部屋へと戻っていった。
踊らなかったけど、やっぱり人の前で演技をするのはかなり疲れることで、あたしは部屋でドレスを脱ぐと、ぐったりとなって、ベッドに突っ伏してしまったの。
そこは特別にあたしのために整えられた部屋のよう。
ほかの部屋とは少し離れていて、渡り廊下でつながれていた。
それでも部屋は少しも狭くはなくて、待女が控える部屋も、従者が寝泊まりする部屋も、きちんと整えられていたの。
窓の外は深い森のようだった。
あたしは窓をあけてみたりはしなかったけど、帰ってくるときの様子で、それは判りすぎるくらい判っていた。
あたし、ちょっと恐い気がしていたの。
ユーリルはリンゲル叔父に気を付けるように言った。
若原君は、姫をさらった人間だけが姫が偽者であることを知っているから、その証拠を集めようとしているって言った。
あたしはリンゲル叔父に疑われているかも知れないんだ。
そう思った瞬間、あたしはとんでもないことに気がついたの。
あたし、今までたくさんのパーティーに出たけど、踊りもしないのにこんなに疲れたことなかった。
それに、よく考えてみると、この脱力感て、疲れたときのと微妙に違うんだ。
あたしは昨日は一日ゆっくりと休んだはず。
こんなに身体の調子がおかしい訳がない。
あたしはもう少しで倒れてしまいそうな身体をひきずって、待女を呼ぶための呼び鈴を押した。
待女のリーナはすぐにやってきた。
「お呼びでございますか? 姫様」
「……従者のグレンを呼んで」
「かしこまりました」
あたしのあまりに疲れた様子を見て、リーナは少しいぶかしんだようだった。
それでもすぐに若原君をつれて戻ってきて、そして、若原君をおいて、すぐに退出した。
「お呼びでしょうか、姫」
若原君もあたしの様子に驚いていたけれど、それもかねてからの打合せ通り、従者の言葉であたしに声をかけていた。
あたしの身体、ほとんど自由がきかない。
あたしは訴えかけるように、若原君に言ったの。
「グレン……わたくしの身体おかしい……」
あたしの身体、どうしてだか判らないけど、痺れ始めてる。
声を出すことも普通にはできなかった。
若原君はあたしの様子が普段とかけ離れていることにものすごい反応を示して、血相を変えてかけよってきた。
あたしを抱き起こすと、若原君は小さな声で言ったの。
「どうしたんだ!」
「痺れて……判らない」
若原君はあたしを抱きあげて、ベッドまでつれていった。
そして、そこに寝かせると、すぐに大声で言った。
「リーナ! 来てくれリーナ!」
リーナはすぐにやってきた。
「ユーリル隊長をすぐに呼んでくれ。姫が至急お呼びだと」
「かしこまりました」
リーナもすぐにでていって、若原君はあたしを真剣なまなざしで見つめていたの。
「姫、すすめられた杯を、どのくらい飲まれましたか」
若原君が言ったのは、おそらくリンゲル叔父が取り替えてくれた杯のこと。
あたしの舌もかなり危うかったけど、何とか声を出すことはできた。
「なめた……だ、け」
「判りました。もう遅いかも知れませんが、すぐに吐き出していただきます。
ミラ! 来てくれ!」
若原君の声でやってきたのは、まだ十四五歳に見える、若い待女だった。
「はい、ただいま」
「水を何杯か。それから、大きめの入れ物を。姫は吐き気がされるそうだ。それを受けられる程度のものを」
「かしこまりました」
あたしはすでに意識が朦朧としてきていた。
そのあとまわりでなにが起こったのか、よく判らなかった。
でも、気がついたとき、あたしは胃の中のものを全部吐き出すような格好で、たらいに顔を埋めていた。
胃を軋ませながら、あたしは胃袋までも吐き出したくなるような苦しみを味わっていた。
ほとんど食べていなかったから、あたしの胃の中からは、おそらく気を失っているわずかの間にどうやってか飲まされた水と、胃液だけしか出てこなかった。
「これは、ティカオの毒です」
いつしか側に来ていたユーリルが言った。
「少量を飲むだけで、身体が麻痺し、痙攣して、場合によっては死に至ります。ですがおそらく姫の場合、量は多くはなかったようですし、処置も早かったので、まもなく回復するでしょう。解毒剤を用意させます」
「それより、毒を盛った犯人を捕まえなければ! こんな卑劣な手を使いやがって」
あたしはユーリルから差し出された杯を持って、水を飲もうとした。
でも、あたしの身体はまだ痺れが取れていなくて、それを見た若原君は、ユーリルから杯をもぎ取って、あたしの口に流し込もうとしていた。
あたしはその水を飲みながら、恐怖に身体がふるえていた。
歯が杯に当たって小きざみな音を立てるのは、毒のせいだけではなかったの。
その時、部屋に入って来た人がいた。
ユーリルの部下だった。
「申し上げます! 隊長殿、我々は囲まれています!」
「何だと!」
部屋にいるすべての人間が止まっていた。
「その数およそ一個中隊。森の中から突然現われました」
「すぐに応戦の準備を。それから、陛下にこのことを知らせよ」
「は! かしこまりました。しかし、王弟殿下には」
「殿下にも知らせよ。貴殿のお屋敷に狼藉者が入り込んだと」
「は!」
あたしの頭、まだ少し朦朧としていたけれど、その頭で考えても、これがかなり異常な事態だって事は判っていた。
リンゲル叔父のお屋敷は、王宮に引けをとらないくらいにしっかりと警備されたお屋敷だったの。
一個中隊がどのくらいの人数なのかは判らないけど、それほどの人数がここに入ってこられる訳がない。
だとしたら、これはきっと、毒の続き。
リンゲル叔父がつかわした兵士のはず。
若原君はあたしの肩を抱きしめていた。
「オレが側にいて守る。心配するな」
ユーリル達は様々に配置について、切り合いの音がこの部屋まで届いていた。
大丈夫。
あたしには守ってくれる若原君がいる。
あたしは安心して、若原君の腕にもたれていたの。
やがてユーリルが駆け込んできて、あたし達に言った。
「ここは危険です。姫をつれてどれだけ逃げられるか判りませんが、とにかくついてきて下さい」
若原君は軽々とあたしを抱きあげていたの。
あたし、とっても重いよ。
それなのに若原君、少しも重そうな顔しないのね。
あたし、今がどんな状態かを忘れてはいなかったけど、ふと、不謹慎なことを考えて、若原君を見つめていた。
その時、部屋になだれ込んできた一団があった。
ユーリルは必死で応戦していたけれど、この人数にかなう訳がなかった。
すぐに剣をむしり取られて、身体を締めあげられていたの。
あたし達も数人の兵士に囲まれていた。
若原君は相手を刺激しないようにゆっくりとあたしを降ろして、そして、あたしをかばうように、あたしの前に立ちはだかったの。
こんな時でも若原君、あたしをかばってくれるんだ。
一つ間違えれば、若原君は切り殺されてしまうよ。
それなのに。
「出てこいよ、首謀者」
若原君は、兵士達の向こうの、見えない場所に向かって言ったの。
あたしが若原君の言葉に驚いていると、兵士達を押し分けて、一人の人間が顔を出していた。
それはあたし達が予想していたとおり、王様の実の弟、リンゲル叔父だった。
「どういうつもりだ。姫に毒を盛っただけではあきたらず、こんな真似までして。これが王家の姫君に対するお前の礼儀か!」
「本物の姫君であればな」
リンゲル叔父は、毒を盛ったことも暗に認めていた。
若原君はさらに続ける。
「それは姫が偽者だということか。何を証拠にそのようなことを……」
「証拠ならある。儂がだまされるとでも思うのか。姫には右耳のうしろにほくろがあったのだ。それは兄上もご存じのはず。ところが、この姫にはほくろがない。それが偽者である唯一の証拠だ」
確かにあたし、今まで一度も耳のうしろを見せるような髪型をしたことがなかった。
待女達は、あたしの髪をアップにしても、耳のうしろだけは髪の毛を残していて……
ユーリルは最初から、ほくろの位置を隠すような髪型を、待女達に指示していたの?
だとしたら、これって……
「ではどうしても姫が偽者だと言いはるのか」
その時、ドアの方がざわざわしたの。
あたし達は警戒しながらドアの方を見ていて……
入ってきたのは、お供に屈強の兵士をつれた、王様だったの。
「これはどうした事か」
「兄上。この姫は偽者でございます。兄上はだまされていたのです。この者達を切ることをお許し下さい」
「そなたは始めからそう言っておったな。証拠をつかんで見せると。では、証拠が見つかったという訳か」
「その通りです。動かぬ証拠を」
「では、見せよ」
王様はあたしを見ていた。
その目は複雑な表情をたたえていて、あたしには正確に読み取ることができなかったの。
リンゲル叔父があたしの方に来ようとするより早く、今まで黙って成り行きを見つめていたユーリルが、いきなり立ち上がっていた。
はっとして誰もが動きを止める中、ユーリルはあたしの目の前に立って、そして、そこにいるすべての人達に向かって、言った。
「リンゲル王弟殿下は、姫様が偽者である証拠をつかんだとおっしゃいました。そして、姫にティカオの毒を盛り、我々の動きを封じてから、この部屋になだれ込んだのです。そして、この姫は偽者であるから、本物の姫の右耳のうしろにあるはずのほくろはこの姫にはないと。それを確認したとおっしゃいました。では、ご覧下さい。姫の右耳のほくろを」
あたしはユーリルの言葉にあわせて、ちょっとうしろを向いた。
そして、ユーリルが静かに髪の毛を持ち上げる。
「おお……」
そこにいる人達全員が、異口同音に言った。
あたし自身には見えなかったけど、みんながなにに驚いたのか、あたしには判ったの。
あたしの耳の後には、ほくろがあったから。
それはあたしが小さい時からとっても気にしていて、できるだけ人に見せないようにしてきた、あたしのウイークポイントだったの。
一番がくぜんとしていたのは、当然リンゲル叔父だった。
ユーリルは一言、失礼、と言って、あたしの髪を元に戻した。
「姫にはほくろはあるのです。これで、リンゲル王弟殿下の言われたことが真実ではないと判りました。国王陛下、それは認めていただけますでしょうか」
「そなたの言うとおりだ。リンゲルは嘘をついていた。それを認めよう」
「ありがとうございます。しかし、リンゲル王弟殿下が証拠もなしに姫を告発したとは考えられません。確かに殿下は証拠を見つけたのです。ただし、それは我々が考えうるような証拠ではありません。殿下だけがご存じの証拠でした。殿下は、姫の身体に傷がないことを確認したのです」
「嘘だ!」
叫んだのは、かわいそうなくらいうろたえきったリンゲル叔父だった。
「姫の寝室が覗かれるという事件が起こりました。姫の誕生日の夜です。姫はその部屋で着替えをしていたそうです。残念ながら犯人を捕らえることはできませんでしたが、それが殿下の手のものではないという証拠もございません。その時、悪漢は確認したはずです。姫の身体に、刀傷が一つもないことを。殿下はそれによって、この姫が偽者であることを確認したのです。
そうです。この姫は偽者です。姫、少しの間ですので、我慢していて下さい」
そういうとユーリルは、あたしの寝巻の胸元を大きく開いたの。
あたしはびっくりして、隠そうとした。
バストは見えてなかったけど、恥かしかったんだもの。
そんなあたしの手を、ユーリルは優しく押し留めた。
「少しの間です。姫、見せて下さい」
ユーリルの真剣な目に、あたしはそれが大事なことなのだと悟った。
そして、手の力を弛めたの。
「陛下は覚えておられるはずです。生まれたときから、姫の胸元には小さなほくろがおありでした。姫は成長してからもそのほくろをたいそう気にされ、胸元の開いたドレスはお召しになりませんでした。ご覧下さい。この姫には、そのほくろはおありになりません」
「……そなたの言うとおりだ。確かに、赤ん坊のころのフローラには、胸元のほくろがあった。ただ、そのことは王宮では儂とフレイラと、フレイラの待女達しか知らぬはずだ。……このフローラは、儂のフローラではないのか……?」
「国王陛下をたばかりました罪は、このユーリル、生涯かけて償う所存にございます。しかし私は、王弟殿下の罪を糾弾せずにはいられなかったのです。このまま続けさせていただいてよろしゅうございましょうか」
「いいだろう、続けよ」
「は! ありがたき幸せ。
では申し上げます。時は二年前にさかのぼります。姫の乗った馬車が、何者かに襲撃されるという事件がございました。その時、わが弟グレンも命を落しました。そして、姫は重傷を負われたのです」
あたしは驚いていた。
ユーリルが話を始めたとき、あたしはユーリルが偽者をごまかそうとしているのだと思っていたの。
でも、ユーリルはあたしが偽者だって、ばらしてしまった。
その時からあたし、ユーリルがいったい何をしようとしているのか、正直言って判らなかったの。
今でももちろん判らないけど、それはあたしと若原君が知りたかったことに関係あるって、そのことだけは判っていた。
あたしの驚きなんか意に介さないように、ユーリルは先を続けていたの。
「……刀で、脇腹を一太刀。姫は私におっしゃいました。このことはお父さまには言わないで、と。そして静かに息を引き取りました。姫に傷を負わせた者達は、姫が亡くなられたことは確認できませんでした。私たちも、姫がおられるときそのままの暮らしをし続けました。まるで姫がそこにいらっしゃるかのように。ですから、姫が王宮への旅を始めたとき、彼らは半信半疑だったと思います。姫に与えた傷はかなりのもの。それが、姫のお命を奪ったのか、それとも、回復されて、馬車に乗っておられるのか。
誕生会のときには確認できませんでした。ですから、姫がお戻りになって、着替えをなされたときに、身体の傷の有無を確かめたのです。そして、二年前の傷がこの姫にはないことを知って、犯人はこの狂言を思いついたのです。姫が、数あるパーティーに出席なさる時に、一度も耳のうしろの見える髪型をしなかったことを、ほくろがないことを隠しているのだと思って」
「違う! 儂は姫様を襲ってなどいない。この者の偽りだ! 儂は、儂は……」
「ユーリルよ。では、本当にフローラはもうこの世にはいないと申すか? 儂の姫は、もうこの世にはいないのだと……」
「私は二年のあいだ、フローラ姫様がお亡くなりになられたことを隠して参りました。お許し下さいとは申しません。……私は、この日のためにこの二年間、生き恥をさらして参りました。フローラ姫のお命を奪った者を、告発するために。今すぐに自害せよと仰せなら、この場でこの命、消すことも苦しくはございません。できれば一瞬でも早く、姫のお側に参りとうございます」
「では本当に、姫はおらぬのだな。……不思議なことよ。儂は姫を思い出そうとするのだが、儂の思い出す姫はこの偽者の姫しかおらぬのだ。偽者の姫よ。そなた、名は何と申す」
あたしは胸が熱くなっていた。
「茜と申します」
「茜か。本当に姫ではないのだな。……残念じゃ。そなたが儂の姫でない事が、残念でならぬ。そなたは本当に美しく、愛らしい姫だった。どうだ、儂の姫にはなってはくれぬか」
「申し訳ございません、陛下。わたくしには父母もおります。お役目を終えるまで、待っていてくれる人々がおります。約束の日までに帰らねばならないのです」
「そうか……」
あたし、知らず知らずのうちに涙を流していた。
王様の気持ちが痛いほど胸につき刺さって。
「陛下。私の御処置を」
「ユーリルよ。まだ終わってはおらぬ。この者を裁かねばならぬのじゃ。それには、お前の証言が必要だ。それがすむまでは、お前の処置はあとにまわす」
「儂が裁かれねばならぬ訳はない。全てはこやつの仕組んだ罠。儂は落し入れられたのだ」
「見苦しいぞ、リンゲル。申し開きは裁きの間で聞く。それまではジェニスの塔に監禁する。親衛隊長、この者を丁重に引っ立てい」
「ははっ!」
こうして、あたし達の長い夜は終わった。
あたし達の心のなかには、とてつもない空間が、ぱっくりと口を開けていた。
あたし達は姫の部屋から、普通のお客様用の部屋に移されたの。
もう姫にならなくてもいい。
そのことは、あたしの精神衛生上、とってもいいことだった。
だけど、それからもあたし達はけっこう大変で、今までまわりをだましていた分の反動は、ものすごいものがあったの。
貴族達の反応は、けっこうあたし達に批判的だった。
特に、あたしにたくさんの贈り物をした若い貴族達は、さすがに贈り物を返せとはいわなかったけれど、かなり冷たい視線をあたしに向けていた。
でも、そのなかの何人かは、あたしが姫じゃないのなら、ぜひ側仕えに欲しいとかいって、こっそりさぐりを入れてきた。
これにはびっくりしたの。
さすがに若原君が怒って追い返してくれたけど、姫であっても姫でなくても、あたしはこの国で一番美しい人間だって事は変わりなかったのね。
でも、姫じゃない事がばれても、あたし達、すぐに帰ることはできなかった。
リンゲルの裁判で、証言しなければならなかったから。
裁判は準備があるから、あと五日くらいかかるみたい。
結局あたし達、夏休み一杯使っちゃった。
帰るともう、四日くらいしか残ってないの。
たくさんの宿題の事考えると、頭が痛いや。
それはともかくとして、あたしは今、若原君と一緒にいたの。
あたし達はずっと、今までのことを話し合っていた。
「結局、姫がさらわれたってのが、おおもとの嘘だった訳だな」
若原君は今は甲胄は脱いで、動きやすいトーガを身にまとっていた。
それはユーリルのものだったから、どうも若原君には似合ってなかった。
「姫が死んでいたなんて、ぜんぜん思わなかった。……若原君の言ってた三つの質問は、どういう風に解釈すればいいの?」
「まあ、たぶん死亡届を出さなかったのは、グレンの死を調べられて、姫が死んだことを知られるのを恐れたからだろうな。ユーリルとグレンが兄弟だって事を隠していたのは、あの、訓練の時点でオレ達に疑われるのを恐れたからだ。だってさ、死んだ兵士ならともかく、死んだ弟の名前でオレを呼ぶだなんて言ったら、オレじゃなくたってその裏に何かの意図があるだろうくらいは感づくぜ。実際ユーリルにはその意図があったんだ。死んだはずのグレンが生きてリンゲルの前に現われたら、オレが偽者だってすぐに気がつくからな。たぶんユーリルは、リンゲルが疑いもせずにフローラのことを迎え入れることを一番恐れていたはずだから。偽者が一人いれば、もう一人も偽者かも知れないって思わせるために、オレをグレンに化けさせたんだ。オレはリンゲルに、『オレ達にはうしろぐらいところがあるぞ。さぐってみろよ』って言うためにいたんだ。ったく、ユーリルはほんとに頭のいいやつだ。すっかりだまされた」
「あたしは若原君の方がよっぽど頭がいいと思う。少しはあやかりたいな」
「あやからせてやるよ。夏休みの宿題で」
「え? 本当?」
あたしは若原君が夏休みの宿題を写させてくれるのだと思って、嬉しくなった。
「判らないところはびしばし教えてやる。覚悟しろよ」
あたし、一瞬期待したことを後悔したけど、でもすぐに、それもいいかなって思ったの。
若原君に教えてもらって、少しでもあたしの頭がよくなったら、それで儲け物だもんね。
それに、最後の四日間で宿題をやるってことは、そのあいだずっと若原君といられるってことで……。
あたし、急に現実に立ち返ったの。
今までみたいな異世界では若原君と普通にしゃべっていたけれど、現実のあたしは、若原君とはまだちゃんとした友達じゃない。
言ってみれば、今のあたしは夢のなかのあたしなの。
現実であたし、若原君と友達になれるのかしら。
一度は拒否されたこと、あたしはもう一度聞いてみようかと思った。
若原君と、友達になれるかってこと。
「若原君、あたし、やっぱり若原君の友達になりたい」
若原君は、このあいだ同じ質問をしたときのように、少し変な顔をしていたの。
「お前、本当にオレとお友達になりたい訳?」
「うん、そうだけど」
あたしが見ている前で、若原君は頭を抱えたの。
そして、少しあたしを上目づかいに見るように、言った。
「オレ、何だかお前のこと判んねー。ほんっとに鈍いんだな、お前って。それとも気付かない振りでもしてるのかな。………判った。どうせはっきりいわなきゃならねーんだ。伝えようとしなきゃ、いつまでたっても平行線のまんまだもんな」
あたし、若原君がはっきり言おうとしていることが、どんなことなのか判らなかったから、精一杯に身構えたの。
そんなあたしに、若原君は不意に姿勢を正していた。
そして、言ったの。
「オレ、どうもお前に拒まれてる気がして、どうしても言い出せなかった。あんまり望みのない事ってのは、言うのに勇気がいるよな。でも、オレは真剣に言うから、お前も真剣に答えてくれ。頼む」
「うん……」
あたしはいったい何を言われるのかと思って、ドキドキしていたの。
でも、言われたとおりにあたしも姿勢を正すと、若原君はもっと真剣な顔をして、あたしに言った。
「オレ、お前のこと好きになった。友達としてじゃなくて、オレとつきあってくれ。頼む」
あたし、若原君の言ったことが、よく判らなかったの。
それは告白に聞こえた。
でも、もしかしたら違うのかも知れないと思って、あたしはこの短い言葉をいろいろに解釈してみようとしたの。
勘違いして、恥かきたくなかったから。
でも、いくら分析してみても、それは恋の告白以外の何物にもならなかった。
ほかの言葉には聞こえなかった。
「あ、あの……」
「聞こえなかったとは言わせないぞ。オレはお前のことが好きだ。だから恋人になってくれ。そう言ったんだ。お前の答を聞かせろ」
あたし夢を見ているのかも知れない。
こんな夢、きっと何度も見たと思うから。
でもこれは夢じゃないの。
若原君が、本当にあたしのことを好きだって……
あたし、どうしてなのか判らなかった。
若原君の言葉なら信じようと思ってたけど、あたしこれだけは簡単に信じられなかったの。
「あ、あの、だってあたしは、美人じゃないし……引っ込み思案だし、太ってて……」
「オレは美人が好きだなんてひとっ言も言った覚えはないぞ。……頼むから結論だけ言ってくれ。オレもう限界だ」
本当に?
本当にあたし、若原君に好かれてるの?
それは信じていい言葉なの?
あたしが一番欲しかった言葉。
あたしが夢見ていた言葉。
「あたし……若原君が好き」
言っちゃった。
若原君は驚いたようにあたしを見ていて……
そして、近づいてきて、あたしを抱きしめたの。
若原君の大きな身体が、あたしを包み込んで、あたしは息ができないくらい苦しかった。
でも、そんな苦しさは、幸せと同じ色を持っていて……
「本当だな。もう嘘だったなんて言わせないぞ」
「うん……」
ささやくような、それでいてどことなく恥かしそうな若原君の声。
あたし、めまいがしそうだった。
信じられないくらいのしあわせに、あたしはこのまま気を失ってしまいそうだったの。
「お前、いつからオレの事好きだと思った?」
そんなこと、どうして聞くの?
「……あの、入学式のときから」
「嘘だろ?」
若原君、あたしを抱きしめていた腕を返して、あたしを引き離した。
そのまままじまじとあたしを見たの。
「嘘じゃない。本当」
「それじゃあ、オレがお前の部屋に行く前からずっと、お前はオレのこと好きだったって言うのか? クラスにいたころからずっと」
あたし、黙ってうなずいた。
「まじかよ……。それじゃあオレ、ほんとにどうでもいいことであれこれ悩んでたんだな。クラスでオレが話しかけたのに、お前返事しなかったじゃないか」
「それは……面と向かって話すのが恥かしくて」
こんな事、いわせないで欲しい。
恥かしくて、顔から火が出そうなんだから。
でも若原君、これでやめるつもりなんてなかったみたい。
「オレが初めてお前のこと抱きしめたとき、お前えらく嫌がってたじゃないか。どうしてだよ」
「だってあのときは……あたし、期待しちゃいけないって思って、若原君があたしなんかを好きになるはずないんだから、あんまり期待するとあとでショックが大きいから、それで……」
「何だよ。オレ、あれでかなり傷ついたんだぜ。そんなに嫌がられてるのかって。それでオレはいったんは諦めようって思って」
若原君、あのとき本当にあたしを抱きしめてくれていたんだ。
あたし、あれはどうしてなのか判らなかった。
今の今まで。
「でも、オレが一番傷ついたのはあれだ。ユーリルに告白してたやつ」
「それは勘違いだっていったよ」
「それじゃ、あんときはどういう状況だったんだ? 今ならいえるだろ?」
若原君て、けっこうしつこいんだ。
きっと、記憶力がよすぎるのね。
「ユーリルに聞かれたの。グレンのことを愛しているのかって」
「それでお前、愛しているのかっていわれると困るけど好きだ、っていったのか。あれ、オレのことだったんだ」
もう、やめてほしいな。
「もういいでしょう? そんな過去のことは」
若原君、ちょっと意地悪そうに笑ったの。
あたしの提案を聞き入れてくれる気はないみたい。
「細かいことならいろいろ覚えてるぞ。お前、ユーリルに襲われたとき、オレのキスの誘い断わったよな。セカンドキスくらい両思いの人としたいって。あの時点でオレがお前のこと好きなのくらい判りそうなもんだ。オレもそう思ってたから、あの後ずいぶん落ちこんだんだぜ。お前、本当に判らなかったのか?」
鈍くて悪かったわね。
本当に本当に判らなかったわよ。
だって、考えてもみなかったんだから。
若原君が普段誰にでも優しいから、きっと優しさの延長だ、って思ったんじゃない。
それはあたしが悪いんじゃなくて、若原君が優しすぎるのがいけないんじゃないの。
あたしが思いを口にせずに、ただふくれていると、若原君、あたしの顔を覗き込んだの。
とっても、優しい目。
こんなに優しい目をしていたかな。
あたしが見なかっただけかもしれない。
若原君は、本当にいつも優しかったんだもん。
「オレ、もう一つお前にいいたいことがある。どうしてオレがお前の友達にならなけりゃいけないんだ。オレはあの一言で、もうだめかと思ったんだぜ。ったく、ここまでオレのこと悩ませやがって。オレがどんな思いでお前のこと見てたのか、ぜんぜん判ってないだろ。ユーリルに襲われたとき、オレがどんなに悔しい思いしてたかなんて。――
あいつ、このことに関してだけは許せんな。ほかのことは許してやるけど――
お前が何とか子爵達にちやほやされてるの見て、オレうしろで腹立ってしかたがなかった。あそこにいた奴らみんな、オレが姫に惚れてるの判っただろうな。ったく、何だってこう……」
しゃべり続けている若原君を見ながら、あたしは何だかとってもおかしくなっていたの。
若原君だって、あたしの気持ちなんか判ってなかった。
あたしが好きなことを見ぬくことだってできなかった。
あたしが若原君の一言で、一喜一憂してたことも。
若原君だって、あたしとおんなじくらいにぶいじゃない。
それなのに、若原君はあたしのことばっかり責めてて……
おかしくて……ううん、何だか若原君がかわいくて、あたし思わず笑ってた。
そんなあたしを見て、若原君はブツブツいうのをやめて、言ったの。
「何だよ。なに笑ってんだよ」
「何って……若原君て、何だか可愛くて……」
「可愛い……だって! おい、茜! お前何のつもりで……」
若原君、今なんていったの?
あたしのこと、茜、って。
「今、なんて呼んだの?」
「お前、平原茜だろ? だから茜って呼ぶことに決めた。文句あるか?」
「ないけど……でも若原君……」
「オレは若原聡だ。お前が茜なら、オレは聡だろ」
「呼べないよ」
無茶いわないでよ。あたしがそんな風に呼べる訳ないじゃないの。
「弟だと思えば呼べる。ほら、呼んでみろよ」
「あたし弟いないもん」
「それじゃあ、呼べるまで特訓だ」
若原君のことを聡って呼べる日が、あたしの記念日になる。
これまでずっとあたしが育ててきた想い。
それは、とってもつらい想いだったけど、でも今あたしは、その想いを実らせることができたの。
若原聡は、あたしの心の名前。
あたしは心のなかに、いつもいつもその名前を刻みつけてきた。
そしてこれからも、あたしはその名前を刻みつけてゆくの。
若原君から、聡へと、名前は変わってゆくけれど、あたしの想いは同じ。
あたし大切に育てるから。
そしていつか、あたしは若原君にふさわしい女の子になる。
嫌いだった自分にさよならして。
「お前、きれいになったな」
それは、若原君がちょっと照れながら言ってくれた、想いの結晶。
あたし、その言葉に笑顔で答えるの。
「あたしきっと、もっときれいになるわよ」
って。
そうしてあたしは、今までの自分に決別したの。
始まりはユーリル。
四次元の向こうから、あたしに幸せをつれてきた。
そして今は、若原君の隣にあたしはいるの。
それがあたしの指定席だから。
平凡な昔のあたし。
あたし、あなたに教えてあげる。
あなたはしあわせになれるからって。
だからそんなに泣かないでって……
FIN