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−『風の谷のナウシカ』を読む−

ナウシカ研究序説(1)

右浦耕大

はじめに

「語り残した事は多いが、ひとまずここで、物語を終ることにする。」(1)と言うことで、「月刊アニメージュ」に途中の中断も含めて13年間にわたって連載されたコミック版『風の谷のナウシカ』は、1994/3月号で完結した。しかし、やはり語り残こされたものは多いのである。

 時代、技術、宗教、巨神兵や王蟲についても断片しかわからず、物語の大きな背景となるトルメキア戦役の勃発の理由などもあまり語られていない。ナウシカ伝説が何を伝えたいのかを見るために、まずそれら物語の背景について考察すべきだろうと思われる。そして物語の流れや、人物たちの考察、ナウシカ自身についての考察を経て、その後、この物語のメッセイジが何であるかを考えてみよう。そうすれば、この物語が世上言われるように、「環境問題」についての何かの提言なのかどうかが分かるだろう。

『風の谷のナウシカ』は、原作者自らの手によって1984?にアニメ化された。しかしそれは、物語全体から見ると、初期の一エピソード(2)を中心に話をまとめたものに過ぎなかった。しかもナウシカの「友愛」にテーマを絞ったために、彼女の冷淡さ、強さ、残酷さなどは取り除かれていたのである。したがってアニメ版『風の谷のナウシカ』のみではナウシカの全体像をも知ることは出来ない。

もっともナウシカというヒロイン像は、作者の言葉によると、ギりシャ叙事詩『オデュッセイア』のナウシカと『今昔物語』(これは作者の思い違いでじつは『堤中納言物語』所収である)の「虫愛づる姫君」からイメージしたという(3)。しかし作者はこの少女を使って、単に勇敢な女性戦士を描きたかったわけでもあるまい。

コミック本で『風の谷のナウシカ』は全7巻にもなるのに、章も節もなにもなく、ずっと一続きの物語であるという特異な構成になっている。コミックでこういうのは他にない。一つの時間と空間枠を切り取って見せたということなのかも知れない。たから、読み始めるとこの空間の中に放り込まれて、登場人物たちと時間を共有してしまうことになるのである。(この作画文法については今回の考察範囲外になるので、これ以上言及しないでおく。)

さて、その全7巻に及ぶ物語のあらすじを、ナウシカを中心に追っておこう。

トルメキア戦役の勃発直前に、ペジテ市がトルメキア軍に襲われ、その避難船に遭置するところから、ナウシカがこの戦役に深く関わっていくことになる。ナウシカはこの戦いが義の無いものであるのに気づくが、戦士という立場上、幾多の人の血で手を汚してしまう。戦いをやめさせようと努力する中で王蟲と交感した彼女は、この戦いがもたらした副産物である粘菌の大奔流に意味を求めて、戦列を離れる。人間の戦いはこの大奔流のために終息させられる。王蟲の自己犠牲とその意味と気高さに心打たれた彼女は、王蟲とともに人間界を去ろうとする。

再び人間界に戻ったナウシカは、夢の中で見た世界の再生が、ある意図の下で行われているのではないかと疑い、答を求めて先史の遺物であるシュワの墓所へ向かう。途中、巨神兵(オーマ)の誕生に関与しこれを制御していく過程で、この巨神兵が単なる最終兵器でないことに気づく。オーマは内在していたプログラムとナウシカの意志を実行すべく、ナウシカがヒドラの張った結界に捕らわれている間に、単独でシュワの墓所へ向かう。結界を逃れシュワの墓所へ入ったナウシカは、そこで現生の生き物の意志をうまく利用しつつ地球環境を理想的に変えるようにプログラムされていた「主」を、オーマの力を借りて破壊し、生き物の未来は生き物自身にゆだねようとしたのだった。

あらすじからも判るように物語は大きく二部に分かれる。そして全体の時間は、物語が錯綜してよくわからなくなるが、およそ156日間、最大でも20日間以内であろうとおもわれる。

これから本稿は先に述べたように、物語の背景となる時代、技術、宗教などについて考察し、ナウシカが何を考え、何を達成しようとしたのかを明かにしていきたいと思う。

以下の考察に使う資料は『風の谷のナウシカ』全7巻である。註釈、引用はたとえば第一巻の35Pなら、(@−35)のごとく示すことにする。

(1)F−223

(2)中心となるエピソードは(@〜A−79)までである。

(3)「ナウシカのこと」(@−裏表紙)よリ。

1996/7/15