ナウシカ研究序説(3)
右浦耕大
[U] 物語の経糸(たていと)
「序」でも述べたように、この物語全体は前半、後半の大きく二部に分かれる。物語はなんとなく「王蟲(オーム)」によって特色づけられるように見えるかも知れないが、王蟲の物語は最初から五巻の最後までである。それ以降、王蟲は舞台から姿を消す。ここまでを前半、つまり第一部とする。よって後半が第二部である。これら二部間の関連考察やナウシカの変化などを四章以降で取り上げる準備として、ここでは第一部、第二部を、キーワードに沿って追ってみることにする。
(1)第一部「ナウシカと粘菌」
@何に注目すべきか。
『風の谷のナウシカ』は「秘石」をめぐる物語になる予定であった、と言う人がいる。確かに何やら胡散臭い「石」が最初の方(@−42)に出てくる。そして第二部でその石が役立つ場面(E−163)がある。この構想は作者の中にはあったかも知れないが、すぐに捨てられてしまったとみてよい。なぜなら、すぐに本来の持ち主の手に渡されるからだ。また伏線としても弱いものでしかない。読者はその存在を忘れてしまうからである。ではアニメ版で基調となった「青き衣伝説」が中心だろうか。この伝説はA−79で登場する。そして全編を通じて物語世界の深層として機能していることは疑いない。最後の場面(F−220)は、わざわざこの伝説の成就のために描かれたとも言えるほどであるから。しかし、第一部をまとめているものとしては考えにくい。それなら単純に「王蟲」なのだろうか。もちろん王蟲は重要なキャラクターではある。しかし王蟲に自主性はない。ナウシカもその意味では自主性はない。ナウシカも王蟲もこの第一部では外界の出来事に流されているからである。第一部の面白さはここにある。つまり翻弄される主人公の物語なのである。
ならば外界を翻弄しているのは何者か。一つは「戦争」である。ナウシカはクシャナの下でトルメキア戦役に従軍する。第一部のクライマックスの一つはナウシカの戦場での活躍(B−112より)である。しかしナウシカはすぐに戦線を離脱する。実はナウシカの戦線離脱はこれが初めてではない。そしてその第一回目の時に、ナウシカは王蟲から、「南の森」が助けを求めていることを知り(A−80)、その正体を突き止める探索に出る。実は王蟲はその前にも彼女にこのことを告げている(@−127,134)。しかし、このときは彼女は戦争のことで忙殺されていたので探索出来ないでいた。王蟲もまた戦争の巻き添えをくって狩り出されている。さらに戦争もまた「森」という外界に翻弄されてしまう。第一部を引っ張っているのは、この「南の森」である。翻弄しているもう一つのもの、それはこの「南の森」つまり「粘菌」である。これが第一部のキーワードである。
ではこの「粘菌」について見てみよう。
A「粘菌」の出現
粘菌がナウシカの前に現れるのは、皇弟と僧官チャルカの乗った船が、培養していた粘菌の変異体によって崩壊する現場に、彼女が乗り込んだ時である。そこで彼女は、その変異体こそが「南の森」であることを知る(C−102)。
ナウシカは知りたがり屋である。従軍する前にすでに腐海や粘菌の研究をしている(@−82、D−63,84)。しかし「南の森」の粘菌は『人工粘菌』の変異体である。土鬼(ドルク)が培養した粘菌が変異し制御できなくなり、ついには大海嘯の引き金になる。海嘯とは津波のことである。なにもかも一掃してしまうのである。この人工粘菌の研究は、トルメキア戦役の始まる前から土鬼が行っていたようである。だから神聖皇弟はこれを兵器として最初から使うことが出来た。ナウシカたちはそのことを後になって知ることになる。しかし王蟲はこれを知っていた。そしてなぜかナウシカには教えなかった(A−80)。王蟲にしてみれば、予想される大変動に彼女を巻き込みたくはなかったのであろう。しかしかえって、探求者である彼女の好奇心を刺激してしまった。彼女のその後の行動は、王蟲の伏せたこの理由を知るためのもので、読者もそこに引き付けられることになる。
B「粘菌」と虫たちの行動
この人工粘菌は意志をもつように見える(C−136)。ナウシカはこの心をも読み取り、その結果を予測する(D−63〜65)。では粘菌はどのように行動するのだろうか。
実際の粘菌は妙な生き物で結構おもしろい。実在する粘菌の一種「玉ほこり徴」の生態は、ナウシカが説明しているもの(D−63〜64)とほぼ同じである。しかし物語での粘菌は人工培養されたものであり、また変異体でもあって、おそろしく巨大化し、制御出来なくなる。
トルメキア戦役が始まったとき、人工培養粘菌は対トルメキア軍兵器として戦線に投入される。しかしそれらが別々に一斉に変異する。王蟲を始めとする腐海の虫たちは粘菌が暴走することをいち早く察知し、自らを犠牲として、粘菌を救うべく行動を開始する。これは人間の戦争とは無関係に行われるが、人間の戦争はこのために大混乱に陥る。
虫たちの行動は、一見粘菌を攻撃し食べ尽くすことで粘菌を取り込もうとしているかに見えるが、それでは助けることにはならない。助けるとはどういうことなのか。粘菌は各地(主に4個所)で虫たちを取り込み巨大に成長していく。そしてお互いを求めて相寄ろうとする。その集結地点は、ちょうどトルメキア軍と土鬼諸侯国軍との前線のど真ん中である。そこに王蟲が大群をなしてやってくる。なんのためか。粘菌に飲み込まれ、粘菌と混じりあうためである。王蟲はいう、「ワレ等ハ/ココデ/森ニナル」(D−79)。このときになってナウシカは王蟲の言う「助ける」ということの意味を知るのである(D−82〜85)。つまり王蟲も粘菌も同類だということを。王蟲は先に「ワガ一族ハ/個ニシテ全/全ニシテ個/時空ヲ超エテ/心ヲ伝エ/ユク」(@−127)と、気を失っていたナウシカの心に語りかけていた。大事なことは、王蟲の言う「ワガ一族」の中には虫も粘菌もすべて含まれるということだ。迷子になった粘菌を自らのうちに取り込むことによって粘菌の孤独を救うのである。このとき副産物としておよそ500q四方の巨大な腐海が出現する。ここにやってきた王蟲や虫たちは個としては滅ぶが、森となって生きていくのである。
C粘菌と戦争
トルメキア戦役の目的の一つはE−104によると、土鬼の聖都シユワに隠されているものを手に入れることだったようである。神聖皇帝の力の源泉を奪いたかったのだろう。領土的野心は語られないが当然前提としてあるはずである。これに加えてトルメキア王国内部の権力闘争がからんでいる。このため、最初から作戦行動の一部が故意に土鬼側に漏らされ(A−28)、土鬼側は生物兵器を罠として使うことになる。ところがこの生物兵器の粘菌は暴走し、主客が逆転するのである。
第一部での主要な登場人物であるクシャナの行動も、見せ場である土鬼とのサパタ国都城攻防戦も、粘菌たちの物語の前では、単なる挿話に過ぎない。戦争は莫大な人的損害と国土の荒廃をもたらし、徒労に終わるだけである。粘菌たちは自立的に行動し、戦争とは基本的に無関係なのである。「すきなだけ殺し合いを/すればいいって/あの人にいって!」(B−28)と、ナウシカはクシャナのもとにありながら南の森を捜しに出るが、このとき彼女は大海嘯の視点から事態を見ていたのである。他の誰もがそれに気付いていないときである。彼女はその後、行き掛かり上、先の攻防戦に参戦するが、これを最後に完全に戦線から離脱する。物語もここから大海嘯に重点が移っていく。戦争がテーマでないことはここからもわかる。
粘菌の引き起こした大海嘯のために、土鬼の国は三分の二の国土を失い(F−52)、トルメキア軍も壊滅し撒退する。ナウシカは人間世界の争いから身を引き、王蟲とともに森になろうとする。人間は「大地を傷つけ/奪いとり/汚し/焼き尽くすだけの/もっとも/醜い/いきもの」であり、「蟲達の方が/私達よりずっと/美しい」(D−143)ので、仲間になろうとするのであるが、王蟲は優しくそれを拒絶することになる。
(2)第二部「ナウシカと『シュワの墓所』」
@何に注目すべきか。
先にも述べたように、ナウシカの特質に旺盛な知的好奇心がある。好奇心は身を亡ぼすというくらいで、ナウシカもこれによって幾度も危険に遭遇する。第二部でナウシカの好奇心を刺激するのは「シュワの墓所」である。
二部での重要なキャラクターに巨神兵の「オーマ」がいる。しかしオーマは二部を引っ張るものとしては少し弱い。ナウシカは誕生直後の巨神兵の「声」を聞き、それに応えてしまう(E−155)。これで自動的に巨神兵の「ママ」にされてしまう。この間の事情は、孵化したばかりの雛鳥が最初に見つけた動くものを親と思い込むという、「刷り込み」に似たところがある。よって、ナウシカが「ママ」になって行動を共にすることになるのは偶然であると言える。オーマは第一部での王蟲の位置にあると考えたほうがよい。名前も似ているし、巨神兵の最初の呼びかけを、ナウシカが王蟲と間違えた(E−155)ことにもその一端が示されている。また、王蟲は粘菌の「南の森」を暗示したが、今度はナウシカがオーマに「シュワの墓所」を暗示する。「シュワの墓所」に何があるのか。これが第二部のキーワードであることは明らかである。
A「シュワの墓所」とはなにか。
「シュワの墓所」についての最初の記述はB−13にある。ユパがアスべルに、「生命の源をあやつる技」が「土鬼の/聖都シュワ」の「神聖皇帝の墓所でもある/大僧院の奥深く」で「伝えられて/きた」のではないかと語る場面である。−方、ナウシカが「シュワの墓所」について聞くのは、C−91である。「南の森」を探索途中に、土鬼の秘密の聖地にて、その僧院の上人たちから知らされるのである。「世界を火の7日間へ/導いた技の数々を/土鬼の祖はシュワの地下/深く封印した」が、神聖「皇帝たちがシュワの/封印を解いた」から大海嘯が起きるというのである。このときのナウシカは、シュワについてあまり気に留めていないように思える。「南の森」に気を取られているからである。しかしその後、大海嘯が原因で多くの人命や虫たちの犠牲が出るのを見て、チャルカに語るともなく「なぜ/シュワの墓所の/封印を解いた/のでしょう」(D−65)と、その重大さを認識することになる。
第二部に入って、巨神兵の誕生の場面で、クシャナはシュワの墓所の「主」の存在を皇兄ナスリムから初めて聞かされる(E−165、F−4)。この新情報をナウシカはまだ知らない。彼女は独自の判断でシュワの墓所へ行くことを、クシャナやユパに伝える(F−11)。これはかなり唐突に見える。しかしこれで第二部のテーマがはっきりする。
シュワヘの途上、ナウシカはヒドラの「庭園」にとらわれる。ここで「シュワの墓所」の中心に、単なる技や知識以外の「別なもの」があるという確信を抱き、「扉をとざしにではなく、こじあけてでも真実を見極める」決意を固める(F−133〜134)。好奇心には勝てないのだ。
そして「シュワの墓所」の奥底でナウシカが見たものは、ナウシカ達の世界を緩慢に作り替えようとして設置された装置=『主』であった(F−191〜)。
B「シュワの墓所」の「主」。
「主」の言うところによると(F−196以下)、この墓は「絶頂と混乱の時代に/英知を集めて/建設」された。「時間がなかった/私達は/すべてを未来に/たくすことに/した」そして「永い浄化の時」が過ぎ「清浄な世界が回復した時」に、人類もまた「おだやかな種族」になるように、生態系をプログラムしたのである。その暁には「人間にもっとも/大切なものは/音楽と詩」になっているはずであると。
ただし、永い浄化の期間を生き抜かせるために、人間のからだを汚染に適合するように作り替えてしまった。清浄な世界が回復したときには、また作り替えないといけない。その知識や技術を少しずつ教えているので、協力して伝えていって欲しいと、言うわけである。
筆者の見るところ、この「主」の計画は妥当である。ところがナウシカの反応は違った。
C墓所の主に対するナウシカとオーマの結論。
オーマは覚醒した後、ナウシカが「庭」で休息している間に、ナウシカの意向を果たそうとして一人シュワヘ行く。オーマは自らを「裁定者」とは言うものの、ナウシカである「小さき母にのみ従う」(F−155〜157)といって、墓所の扉を封印しようとする。封印とは「焼き尽くし/溶解させる」(F−156)ということである。しかし墓所側からの先制攻撃により致命傷を負い、外からは封印することが出来なくなる。(ここでわかることは、墓所を作った者と巨神兵を造ったものとは別者であるらしいということである。)
オーマはナウシカの望みが「墓所の封印」であることを知って墓所と対決するのであるが、ナウシカはその間に、「封印」から「こじ開ける」ことへ態度を変えていた。ナウシカの性格としては当然である。ナウシカは「庭園」での対話から、墓所の中心に在るものについて、おおよその見当を付けていた。そしてそれに如何に対処するのかも決めていた。「ひょっと/すると…/人間を/亡ぼしに/行くのかも/しれない」(F−140〜141)と。このため、墓所の中で何に出会おうと、自分の取る行動を変えないことをすでに心を決めていた。「主」に会ったのは、その決心を再確認するためでしかなかった。結局ナウシカはオーマの力で墓所の扉をこじ開け、やはりオーマの手を借りて墓所を破壊し、封印したのである。
ナウシカの行動は正しかったのだろうか。「主」の体液と「王蟲」のそれとが同じであった(F−222)ことの意昧はなにか。墓所の主にしてみれば、永い浄化の期間での「多少の問題の発生は予測の内」(F−201)であったろうが、「ナウシカの発生」を予測できなかったことは大きな誤算であった。このことは、ナウシカの行動を肯定しても良いという材料になるかも知れない。これも第四章以下での考察に譲ろう。
(1998/3/28)