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「行く」「来る」についての一考察

花田達夫

NHK教育TV番組「ことばのつぼ」(2008/2/12)において,「行く」「来る」の正しい使い方を教えるという趣旨で人形劇をやっていた。
それはたとえばA、Bの会話で

A「僕の家に遊びに来るかい」
B「うん来るよ」

というBの返事は間違いで、「行くよ」が正しいと指導しているものだった。
しかし、九州方言ではBの言い方が正しいのである。「行くよ」という表現は東京方言であろう。だだ、TV放送において東京方言が全国に垂れ流される今日、九州地方でも若者たちは「行くよ」を使い始めている。

「行く」「来る」の使い分けは使用者の視点の相違にある。よってBの「来るよ」は一概に間違いとは言えないのである。たとえば英語でなら前述の会話は
"Would you come to my hous?"
"Yes, I will come"
となるだろうし、
実際に友達の家の戸口に立ったときには
"Hi, I came"
と言うだろう。正に自分が友達の家に「来る」ことが起こっているわけである。
また、母親が別のところにいる子供に向かって「ご飯だからいらっしゃい」と呼び掛けた場合、子供は
"I'm coming."
と言うのであり、NHKの指導のように「今行くよ」のつもりで"I'm going."と言ったならば、母親はすぐに「えっ、一体どこに行くのよ」と聞き返すに違いない。

九州方言の用法は英語と同じである。双方とも「行く」「来る」については、話題の中心(目的)に向かうことが「来る"come"」で、話題の中心(目的)から離れることが「行く"go"」である。上の例で言うと、友達の家が話題の中心であるから、そこに向かうのは「来る"come"」なのである。
NHK教育TVの見解は国立国語研究所の見解と同じだが、それは東京方言を「正しい」と思い込んでいることから来るものである。東京方言のほうが間違っていると考えたことなどないのだろう。

東京の子供たちはときどき、対面で話しているとき、「明日ここに来るかい」の問いかけに対して「うん、行くよ」と答えることがある。一体どこに行くのだろう。電話での会話ならこの応答はそう違和感はないと多くの(東京)人は思うだろう。しかし、電話と言うのは距離のない対話、つまり対面会話を現出させているものなのである。ゆえに、どちらの場合も「うん、来るよ」と答えるのが本当であろう。
「ここに」ではなく第三の場所が話題でも、そこで二人が会うのが目的ならば「来る"come"」を使う。(現在地を離れることに重点が置かれれば「行く"go"」を使う。)

別の言い方をすれば、相手側から見て自分が近づいて来るのが見えるのが「来る」である。「来る」は相手の立場に立っていることになる。対して「行く」は自分の移動のことを表現しているだけである。自分中心である。幼児的であるといえる。
相手を尊重するのが大人である。「行く」「来る」の表現は話題の中心をどこに置くかで区別する。NHKの指導にではなく、英語や九州方言の使用法に軍配を上げたい。そのほうが日本語の国際化に寄与するだろう。

蛇足ながら、セックスの際の絶頂感の表現は現代日本では「行く」であるが、英語では"come"である。(九州人は「来る」を使っていたが、最近では「行く」になってしまった。)(2008/5/10)