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鉄道写真館

私の撮影した古今の鉄道写真を展示します。

写真の文字をクリックすると、画像を見ることができます。戻る際はブラウザーのバックボタンを使って下さい。

南武支線と鶴見線大川支線

首都圏のローカル線として南武支線と鶴見線があります。ここでご紹介する車両はどちらも引退してしまいました。

元映像はネガフィルムのプリントで、これをスキャナーで取り込みました。写真についてはこちらをどうぞ。(19913月撮影)

写真1 南武支線の101系

写真2 武蔵白石駅にて本線から大川支線へ入るクモハ12

写真3 大川支線用ホームに入ったクモハ12(今はホームもありません)

廃止直前の野上電鉄

19943月まで和歌山県の南で営業を続けていた小さな私鉄、それが野上電鉄です。私が訪れた時は既に廃止が確定しており、大勢の鉄道ファンorマニアが乗りに来ていました。後述の蒲原鉄道と比べると商売っ気がなく、鉄道ファンorマニアをうざったそうに扱っている駅員の姿が印象的でした。そうでしょう。どうせ乗ってくれるのなら廃止決定前にと思ったのでしょう。

元映像はポジフィルムで、これをスキャナーで取り込みました。写真についてはこちらをどうぞ。(19939月撮影)

写真1 登山口駅待合室(マニアに対する注意書きに注目して下さい)

写真2 登山口駅ホームにて

写真3 日方駅

本山支線のクモハ42

最後まで旧型国電が走っていた線区として有名な小野田線の本山支線です。土曜日のみ運転する昼の電車に乗るため、土曜日に訪れました。(現在は完全週休2日制のため、このスジはなくなりました。)

この後、可部線などを回りました。

クモハ42は20033月まで運転していました。2007年現在、これまた希少種になってしまった123系で運転をしています。

元映像はネガフィルムのプリントで、これをスキャナーで取り込みました。写真についてはこちらをどうぞ。(19943月撮影)

写真1 雀田駅から

写真2 車内の様子です

写真3 ワンマン対応になっています

写真4 長門本山駅到着

可部線非電化区間

現在の可部線の終着駅はあき亀山ですが、200311月まではその先に非電化区間があり、三段峡まで行くことができました。

本来、さらに先の浜田まで線路が伸び、「今福線」として陰陽連絡の一翼を担うはずでしたが、幻となってしまいました。

元映像はネガフィルムのプリントで、これをスキャナーで取り込みました。写真についてはこちらをどうぞ。(19943月撮影)

写真1 可部駅で気動車に乗り換え

写真2 三段峡駅

廃止直前の蒲原鉄道

蒲原鉄道は新潟県で営業を続けていた純粋な私鉄の中では最後のものです。末期は路線を大幅に縮小していました。しかし会社は鉄道に対する愛着があり、廃線となった今も車両は何らかの形で現存しています。

私が訪れた時は廃止が確定しており、ここも乗り納めの鉄道ファンorマニアで賑わっていました。会社側も最後の商機とばかり、社内向けの写真集などを放出していました。

元映像はポジフィルムで、これをスキャナーで取り込みました。写真についてはこちらをどうぞ。(19999月撮影)

写真1 車内

写真2 村松駅待合室

写真3 村松駅構内

旧ドクターイエロー

ドクターイエローは新幹線の試験測定車両で、黄色の車体からドクターイエローの愛称があります。しかし、東北・上越新幹線はEast-iに世代交代し、この車両を見ることもなくなりました。

写真についてはこちらをどうぞ。(20007月撮影)

写真1 東京駅21番線に停車中のドクターイエロー。

写真2 ドクターイエローと22番線に入線するE2系。

高尾駅のささやかな戦跡

東京からおよそ1時間、県境が近くなると自然豊かな場所に着きます。八王子市にある高尾もそうした場所の一つです。

ここには太平洋戦争の痕跡が残っています。

写真についてはこちらをどうぞ。(20016月撮影)

写真1 高尾駅本屋。(元は大正天皇の葬儀用に作ったものです。)

写真2 米軍の機銃掃射の弾痕が残っています。

ドリーム交通廃線跡

大船から、今はなきドリームランドへ通ずるモノレールの廃線跡です。この写真を撮影した頃はまだドリームランドが存在し、HSST方式で復活すると言う話さえありました。

その後、ダイエーの経営不振もあって正式にこの計画は消えました。そして、ドリームランドも閉園してしまいました。

現在、廃線跡は全て撤去済みで、この光景さえも過去のものです。

写真についてはこちらをどうぞ。(20017月撮影)

写真1 川面から旧大船駅を遠望。

写真2 旧大船駅は今、駐車場になっています。

写真3 森に突っ込むように残る線路跡。

写真4 写真1と同じ地点から大船駅方面を遠望。

北アルプス号廃止直前の姿

名鉄から高山本線に乗り入れる気動車特急北アルプスの乗り納めをしようとたくさんの鉄道ファンorマニアが集まりました。その時の写真です。(20019月撮影)

写真1 新名古屋駅にて北アルプス号を待つファンand/orマニア。

写真2 新名古屋駅にて到着した北アルプス号。

写真3 到着した北アルプス号に乗り込む人、人、人…。

写真4 車内の様子。(鵜沼近くで私も座れました。)

写真5 美濃太田駅にて、特急「ひだ」との連結。

山手線の205系

山手線の205系は20054月に引退しました。何の変哲もない写真のはずでしたが、今となっては思い出の1コマです。新大久保駅で撮影しました。(20019月撮影)

写真 この写真を撮った時、まさか4年後には見ることができなくなっているとは思いませんでした。

只見線の風情

ローカル線の風情を色濃く残す路線として只見線があります。21世紀に入っても、この頃はタブレットも現役でした。

写真についてはこちらをどうぞ。(20019月撮影)

写真1 会津宮下駅での光景。

写真2 大白川駅にてタブレットを交換中。

多摩都市モノレール

珍しく、2編成しかない動物ラッピング仕様の車両が撮れました。(20021月撮影)

写真 動物ラッピング仕様。

真岡鉄道のC11

真岡鉄道のSL列車です。関東では一番手軽に乗りに行けます。この日も家族連れがたくさんいました。なお、この日のSLはC11と言うポピュラーなタンク蒸気機関車でした。(20028月撮影)

写真1 下館駅にてSL列車とレールバス。

写真2 真岡駅で小休止。

写真3 茂木駅にて給水後のC11。

在りし日の鹿島鉄道(追加)

2007年3月末、北関東の私鉄がまた1つ姿を消しました。惜別の気持ちを込め、廃線から5年ほど前の鹿島鉄道の写真を公開します。(20028月撮影)

写真1 石岡駅跨線橋の案内板。

写真2 写真3 石岡駅構内。

写真4 車内の様子です。

写真5 鉾田駅駅舎です。

写真6 鉾田駅の駅名板です。風情を感じさせます。

写真7 鉾田駅ホームです。

また、廃線後の石岡駅についてはこちらをどうぞ。車内からの撮影ですので、画像は良くありません。

写真8 石岡駅。構内は更地になっています。

謎の鉄道総研実験線

国立駅から奇妙な引込み線が鉄道総研に向けて延びています。その途中に、103系とテスト用の謎の車両がありました。なお、引込み線は中央線高架化工事の関係で現存していません。(20037月撮影)

写真1 正面から見た謎の103系。

写真2 103系とテスト車両。

写真3 103系は車両番号も残っています。

写真4 国立方面から引込み線を遠望。

三峰山ロープウェイ

老朽化のため2006年から運休している三峰山ロープウェイの、晩年の姿です。また乗れる日が来ることを願っていましたが、20074月の報道では廃止が確定のようで、現在は跡形もありません。(20038月撮影)

写真1 正面麓の大輪駅改札。

写真2 「きりも」号のゴンドラ。

写真3 山頂駅到着。

写真4 反対側のアングルから。KIRIMOのロゴがあります。

写真5 ロープウェイの銘板です。

新潟交通の廃線跡

廃線から4年が経過した新潟交通の駅舎跡です。たまたま通りかかった際に撮影したもので、何駅の跡地かは分かりません。(20039月撮影)

写真1 駅舎跡。

写真2 駅舎方向から望む。

写真3 架線柱。

日進駅のACトレイン

JR東日本の実験用車両にACトレインがあります。川越線で実験運用をしているのを運良く捕え、撮影しました。ACトレインは既に廃車で、現存していません。(20044月撮影)

写真1 大宮方面から来るACトレイン。

写真2 扉は外吊り式です。

 

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