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音楽は誰のもの?

急速なディジタル化により、複製が身近で重要な行為になりつつあります。特にコンピューター文化ではバックアップは必須の行為で、これを怠って泣いた人は(りいちゃんぺいじの管理人を含め)たくさんいます。

一方で、ディジタル化とそれに伴う複製の簡便さの進化は違法なコピーを容易にすることと同義ともいえます。コンテンツでお金儲けを考えている人や組織には頭の痛い問題です。

特に古くからコンテンツでお金儲けをしている音楽業界にとってはコピーとの闘争が常に歴史の中にありました。

現在、コンテンツ供給者が優位に立ち、TVの録画さえ厄介な制限がつく時代になりました。

しかし、本当にこう言う状況が良いのでしょうか?

古来、音楽は分け合うものでした。吟遊詩人や音楽師にいくばくかのお金を置いて行くのは中世から今日までヨーロッパを中心によく見かけることです。ほとんどの場合、聴衆は複数で、吟遊詩人や音楽師の奏でる音楽を共有するのです。

ウォークマン以前の日本では音楽の共有は当たり前でした。家庭の居間に我が物顔で居座るステレオが、あるいは学校の音楽室での「音楽鑑賞」が音楽を味わう重要な場所でした。家族が、あるいはクラスメイトが集まって同じ音楽を聴いた(あるいは聴かされた)のです。

1979年発売のウォークマン1号機にはヘッドフォンの端子が2つありました。初期ロットでは男の子を意味する「Guy」と女の子を意味する「Doll」の端子名がついていました。2つあるのは2人で音楽を共有する意図があったからです。(後期には無機質な「ヘッドホン1」「ヘッドホン2」になってしまいましたが。)

ところが最近のウォークマンやiPodなどはヘッドフォンの端子は1つしかありません。同じ音楽の共有をメーカー側は拒絶しているような印象です。

少し前までの日本では「この音楽いいね」「じゃあレコード(テープ、CD)貸すよ」と言うやり取りがあちこちであったと思います。(全員とは断言しませんが、音楽業界の上層部やミュージシャンだってやっていたはずですよ、多分。)これは法的にはれっきとした著作権法違反です。しかし、本来の音楽文化からすればごく自然な行為のはずで、ビジネスモデルや法律が音楽文化を理解しないで制度を作ったため、ゆがんでしまったのです。

外国でもナップスターと言うインターネットの仕組みを利用した音楽共有システムが問題になりました。(インターネットも本来は情報を無料で分け合う場所です。金儲けをもくろむ人間が土足で入ってからモラルが荒廃し、危険な無法地帯になってしまいました。ウィルス対策ソフトと言う防具なしでネットサーフィンはできない時代になってしまったのです。)

違法コピーの取り締まりは確かに必要でしょう。しかし、音楽業界に深刻な影響を与える違法コピーをする人間や組織はごく少数です。こうした人間や組織に対しては他の法的手段を講ずることで十分対応できるはずです。

こうしたごく少数の人間のために快適に音楽を文字通り楽しむことができなくなっているのは非常に不幸なことです。

折しも日本では地上波放送のディジタル化を推進しています。しかし、ディジタル放送にはコピーガードがつき、番組の共有が難しくなっています。これにより番組で使用している、あるいは番組の合間のCMで流している音楽の共有が進まなくなる懸念があります。さらに、ディジタル放送の強制変更により、TVを見ないライフスタイルが確立する可能性があります。(国家権力側からすれば、マスメディアの力を弱める効果があります。ニッポン放送を買収したライブドアの堀江社長はTVがなくなると半分冗談で言っていますが、それが現実のものになる懸念は十分にあります。)このようになると、音楽業界は音楽を買う動機を与えるチャンネルを1つ失うことになります。

そうなると、良い音楽と出会う機会が減り、それがCDを始めとした音楽メディアの売り上げ低下につながります。方法は一つ、音楽の共有と言う古くからの文化に立ち返ることです。音質劣化を伴うコピーについては制限を外すこと、1週間程度の試聴が自由にできることがポイントになると思います。

蛇足

音楽業界はあれだけ著作権をうるさく口走りながら音楽の偉大な先人の著作物には「著作権切れ」と言うことでさしたるレスペクトを払いません。音楽業界はベートーヴェンやモーツァルト(もちろん日本古来の雅楽なども)などの遺した音楽遺産について保全を図るなり、社会貢献はしてもばちは当たらないように思います。

蛇足2

MP3の音質など商品として並べるのは恥ずかしいものです。そして、まがい物の音質で満足できる音楽を製造する方を断罪したいぐらいです。

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