Helicobacter pylori

ヘリコバクター・ピロリ菌---共同通信社配信医学ニュース

学名はヘリコバクター・ピロリ.名前は胃の出口である幽門(ピロラス) で見つかったことから命名された.大きさは約4マイクロメートル(1マイクロメートルは1000分の1ミリ).棒を1回転半ねじった、らせん形で、片方の端についた4―8本の べん毛を回転させ、動き回る.タンパク質が胃で分解されてできる尿素を酵素で分解してアンモニアを合成、強い酸性の胃酸を中和し、身を守っている.不衛生な飲み水や乳 幼児期に口移しでもらう食べ物から感染すると考えられている.
ノーベル賞受賞:医学と生物学の最高の栄誉であるノーベル医学生理学賞は2005年、胃炎や胃かいようの 原因となる「ピロリ菌」を発見したオーストラリアのバリー・マーシャル西オーストラ リア大教授(54)とロビン・ウォーレン博士(68)に授与された.ピロリ菌をのみ 、病気との関係を証明したマーシャル教授に研究を振り返ってもらうとともに、研究や 治療の最前線を探った.
バリー・マーシャル氏.1951年9月30日、オーストラリア最大の金鉱山があるカルグーリー生まれ.父は技術者、母は看護師.西オーストラリア大卒.米バージニア 大教授から97年、母校の教授に.2002年慶応医学賞受賞.芸術家の妻エイドリアンさんとの間に4人の子.孫は3人.ロビン・ウォーレン氏.1937年6月11日、オーストラリア・アデレード生まれ .父はワイン製造業、母は医師の親せきが多い家の出身.アデレード大卒.メルボルンで病理医を勤め、68年から99年に退職するまでロイヤル・パース病院の病理医.精 神科医の妻ウィンさん(故人)との間に5人の子.
研究過程:マーシャル教授によると、ピロリ菌の研究には非常に難しい時期があった.ただ早い段階から、胃かいようで長年苦しんできた患者さんが抗生物質の投与で治ったということがあった.それは患者にとって奇跡的なこと.患者の状態が日々よくなるという事実が私たちの原動力だった.研究が行き詰まっても、落ち込んだり、やめようと思ったりすることはなかった.〈マーシャル教授とウォーレン博士の共同研究は1981年に始まった.舞台はオーストラリア西部、スワン川沿いに緑が広がる都市パースのロイヤル・パース病院〉ウォーレン博士は患者から採った検体を調べる病理医.私は内科の研修医でマラソンの際に起きる熱射病を研究していた.博士は胃かいようの患者から採った検体で見つけたらせん状の細菌を調べており、上司の勧めで手伝うことになった.菌が見つかった患者のリストを渡され、病状を詳しく調べることになった.数カ月後に熱射病よりも、ずっとおもしろいことに気付いた.というのは胃にすみつく新しい菌を発見する可能性があることが分かったから.当時 、胃は強い酸性で滅菌状態だから細菌は生息できないとされ、胃かいようはストレスや 食事が原因というのが定説だった.
〈菌の培養を始めたものの、失敗の連続.82年4月13日、ついに運命の日が訪れ る〉とてもエキサイティングな1日だった.8カ月間、努力してきてやっと成功した.培養の仕方は間違っていなかった.ただ私たちが知らなかったことだが、担当の職員は普通の検体と同様、2日後に何も変化がなければ一律に捨てていた.金曜から月曜までイースター(復活祭)の休暇で、職員が土曜の朝の点検をしなかったため、火曜まで4日間培養が続いた.火曜に観察すると、シャーレの寒天培地でピロリ菌が育っていた.2日あれば培養できる普通の菌と違い、培養に4、5日かかることが分かり、とても心弾む思いだった.でも心の底では、週末に再び培養に成功するまでの数日間は、何か勘違いをしているのではないかと疑っていた.
〈83年、マーシャル教授は電車で30分ほどの港町フリマントルにある病院に就職.翌年6月、ピロリ菌が胃炎を起こすことを実証した〉ピロリ菌が胃にすみつくことが分かった後も、多くの人は、まずストレスなどで胃かいようになってから菌で炎症が起きると考えていた.だから私たちが「違う.菌の感染でダメージを受け、胃かいようになるんだ」と主張しても信じてもらえない.ブタを使った実験もうまくいかなかった.最後の手段として自分自身でそれを示すほかなかった.菌に感染している患者に抗生物質を投与.治ることを確かめ、その患者の菌を培養してのんだ.事前に内視鏡検査で感染がないことを確認した.味はよく覚えていない.味わいたくなかったので、ウイスキーを飲み干すように約5 0ccの液を一気にのんだ.酢のような味、腐った肉のにおいがしたような気もする.ウォーレン博士には事前に知らせていたが、妻には絶対反対されると思ったので、のんで1週間後に真相を告げた.その結果、非常に短い実験になってしまったんだ.2週間後、吐き気や痛みなど胃炎特有の症状が出始めると「抗生物質をのみなさい.さもなければ、この家に住んではいけない」と妻に宣告されてしまったからね.
研究秘話:ピロリ菌の研究には実は19世紀末以来の歴史がある.動物の胃で仲間の菌を見つけた人や、人間の胃での発見にあと一歩まで迫った人もいた.
1881年、ドイツの病理医が人の胃で細菌を見つけたと報告.
1893年、イタリア の病理医が犬の胃で病原菌のスピロヘータ(実はピロリ菌の仲間だった)を発見したと報告
その後も20世紀半ばにかけ、胃がん患者の胃に同様の菌がいたとする報告などがぽつぽつと出たものの、病気との関係は証明できなかった.研究の歴史に詳しい福田能啓(ふくだ・よしひろ)兵庫医科大助教授によると、日本人研究者が唯一、動物ではあったが、病気とピロリ菌の仲間の関係を証明した.北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)が設立した北里研究所の小林六造(こばやし ・ろくぞう)博士らで1919年、猫から採った菌をウサギに感染させ、胃かいようが 起きたと発表.除菌で改善することも確かめた.54年、米国の胃腸病の権威が約1000人の胃を調べ、細菌が見つからなかったため「人間の胃に細菌はすめない」と宣言、研究は下火になった.マーシャル教授は「ウォーレン博士と私が全く違う人間で、病理と臨床とを結び付けることができたから発見できたのでは」と振り返る.
日本人の感染状況:ピロリ菌は日本では人口の約半数が感染し、50歳以上の感染率は70%以上とされる.胃かいようと十二指腸かいようについては除菌治療に公的保険が適用される.除菌は胃酸分泌を抑えるプロトンポンプ阻害薬と、アモキシシリン、クラリスロマイ シンという2種類の抗生物質を朝晩、1週間続けて服用.胃液が逆流する逆流性食道炎など副作用も.1回の除菌で成功するのは約8割で、駄目なら抗生物質を変えて治療する.感染の有無を調べるには、内視鏡で胃粘膜の一部を採る検査や、ピロリ菌が発生させ る二酸化炭素の検査などがある.
抗生物質の効きにくいピロリ菌が増えているため、菌の抑制効果をうたう健康食品も出てきた.古賀泰裕(こが・やすひろ)東海大教授は1993年、ピロリ菌に効く薬の開発を始め、動物実験で乳酸菌がピロリ菌を抑えることを発見.明治乳業と共同で人の腸にすむ乳酸菌ラクトバチルス・ガセリ21(LG21)が効 果的に抑制することを解明.LG21は2000年に商品化され、売上高200億円を 超えるヒット商品に成長した.マーシャル教授は「ピロリ菌は重い病気をもたらし、世界人口の半分が保菌者.抗生物質ですべて治療するのは難しく、新しい治療法やワクチンの開発が重要だ」と語る.
胃がんとの関係:ピロリ菌が胃かいようなどの原因になることはマーシャル教授らの研究で分かった.その後、胃がんとの関係も日本の研究でほぼ確立した.国立国際医療センター(東京)の上村直実(うえむら・なおみ)内視鏡部長は、呉共済病院(広島県呉市)に勤めていた1989年、ピロリ菌の除菌治療と並行して、胃がんの研究を始めた.91年から8年間にわたり1526人を追跡.ピロリ菌検査の陰性者には1人もがん ができなかった一方で、陽性者の2・9%にがんができていたことが分かった.「陽性者のがん発生率は1年間で0・5%、10年間で5%になる」と上村部長.昨年、中国の研究で駄目押しの結果が出て、ピロリ菌とがんの関係はほぼ確立した.上村部長は「スナネズミでは除菌でがん発生率は3分の1になるが、人では完全に証 明されていない.私たちの研究でも除菌した2人にその後、がんができた」と語る.

ピロリ菌が胃の粘膜を傷つけると慢性胃炎から、胃の粘膜が薄くなる委縮性胃炎、さ らに粘膜が変性する腸上皮化生に進み、がんができやすくなると考えられている.厚生労働省研究班の研究によると、除菌すると、委縮性胃炎や腸上皮化生の状態が改善する.福田能啓(ふくだ・よしひろ)・兵庫医科大助教授は「委縮性胃炎の段階なら 除菌で健康な状態に戻れそうだ」とみる.ピロリ菌やその仲間は血液や皮膚、肝臓、胆道などの病気にも関係しているらしい. 血液疾患の特発性血小板減少性紫斑病(ITP)では50%に除菌が有効とされる.
* ノーベル医学生理学賞:ダイナマイトの発明で知られるスウェーデンの技術者・実業 家アルフレド・ノーベル(1833―96)の遺言に基づき1901年に始まったノーベル賞の1つ.ストックホルムにあるカロリンスカ研究所が毎年、3人までの個人に授与する.
日本人では1987年に利根川進(とねがわ・すすむ)・米マサチューセッツ工科大教授(66)が「多様な抗体を生み出す遺伝的原理の解明」で受賞.今年の賞金は1000万クローナ(約1億5000万円).