『日本の医療の危機』(全9回)
鈴木厚 神奈川県川崎市立川崎病院地域医療部長
(1) 実は少ない国民医療費(1)
 現在の日本の医療には大きなふたつの流れがある.ひとつは、医療の質と安全性を高めてほしいという国民の願い、もうひとつは、国の国民医療費抑制政策である.このふたつは両立しない矛盾した流れにある.

平成16年度の日本の一般会計の歳入は約81兆8,000億円で、内訳は税収56%(所得税17%、消費税12%、法人税11%、その他16%)、国債36%、建設国債8%となっている.主な歳出は、社会保障23%、公共事業10%、国債21%、地方交付税21%などで、医療費は社会保障の6割(全体の14%・約11兆円)を占めている.平成14年度の国民医療費は約31兆1,000億円で、本人負担15%、本
人保険料30%、事業主保険料22%、国庫負担25%、地方負担8%から成り立っている.政府の医療政策は、この国と地方の医療費の負担を減らすことである.歳入の約4割を国債に頼り、歳出の2割をその返済に充てる自転車操業の国家予算であるため、社会保障費の抑制が政策目的になっている.

昭和55年度と平成14年度の国民医療費を比較すると、国庫負担は30%から25%へと減少しており、差額は1兆800億円になる.地方負担は5%から8%に増加しているが、三位一体改革の影響で財政難にある地方自治体からの支出は、今後は減少することが予測される.また、不況の影響で事業主負担が24%から22%へと下がり、患者負担は40%から45%の5%増となった.加えて、政府は診療報酬を減額している.小泉純一郎首相は「三方一両損」という言葉を使ったが、医療費抑制政策によって得をしたのは政府だけで、患者さんと医療機関は負担が増してしまった.
(2) 実は少ない国民医療費(2) 
 高齢者の増加や医学の進歩によって国民医療費が増加することを「医療費の自然増」という.平成12年度から3年連続して国民医療費はほぼ横ばい状態であったが、平成9年に厚生省(当時)は「平成12年度は38兆円、22年度は68兆円、37年度には141兆円になる」と喧伝し、マスコミが「医療亡国論」などと騒いだ.実際には平成12年度の国民医療費は30兆4,000億円に留まったが、「平成22年度は68兆円」の予測値はいまだに訂正されず、国民の不安を煽っている.

 医療費30兆円というと莫大な金額だが、パチンコ産業は同じく30兆円産業である.日本の土地・家屋代などの有形資産は3,114兆円、個人保険総額1,400兆円、銀行預金などの個人金融資産1,200兆円、建設投資費(公共事業費)85兆円、そして、大きな問題となっている公的年金は40兆円である.年金より10兆円安い国民医療費が社会問題にならないのは、国に年金を支払う能力のないことは国民に露呈したが、医療費にまつわる多くの問題は政府が故意に隠しているからである.

ついでながら、葬式産業は国民医療費の半分の15兆円で、葬式代の平均は東京都で450万円、日本全国では350万円である.「医療費が高い」といいながら、亡くなった後には大盤振る舞いをする.日本の不思議な国民性がここに表れている.
(3) 日本だけが薄利多売方式(1)
 公共事業大国であるわが国は、日本以外のサミット6カ国(1995年当時)の公共事業費の合計を遥かに超える額を支出している(★).公共事業費を欧米並みに抑え、それを医療費に充てれば、すべての問題は解消できる.実は、公共事業よりも医療の方が経済・雇用効果は高く、1兆円の投資で6兆6,000億円の経済効果、73万人の雇用効果があるとされ、不況対策には公共事業より有効なのである.

1996年の医療費を国際比較すると、日本は国民1人当たり28万円で世界7位、トップはスイスの45万円、2位はアメリカで42万円.対国内総生産(GDP)比の1位はアメリカで14%、2位がドイツ10.5%.日本は7.2%で19位だが、皆保険制度の恩恵により患者数が多いため、「患者1人当たりの対GDP比」として計算すると、堂々の世界最下位となる.

国民1人当たりの年間平均受診回数は、日本21回、欧米5回前後.受診1回当たりの医療費(保険含む)は、日本7,000円、アメリカ6万2,000円、スウェーデン8万9,000円.欧米の医療は値段が高いために受診回数が少なく、日本は薄利多売方式で何とかやりくりしている.収益を費用で割った医業収支率は、日本の公的病院の平均が約93%で、100円稼ぐのに106円かかっている.私立病院も平均すれば赤字であり、わが国の病院経営の難しさがうかがえる.
★公共事業費(1995年、土地代を除く)
  日本以外合計 2,682
  イギリス       199
  イタリア       245
  ドイツ        418
  フランス       482
  アメリカ      1,209
  カナダ       129
  日本       3,279 (単位:億ドル)
(4) 日本だけが薄利多売方式(2)
 100床当たりの医師・看護師数も日本は突出して少なく、アメリカは日本の5倍の看護師、5.6倍の医師を擁している(★).医療事故が起きると、医療従事者の資質の問題にすり替えられてしまうが、根本的な原因は、最も大切なマンパワーの不足にある.「日本はベッド数が多いから医師不足なのでは」といわれるが、人口10万人当たりの医師数を調べても、日本の184人に対して、ドイツ336人、アメリカ253人.イギリスは156人と日本より少ないが、1日の診察患者数は10〜20人程度で、「日本の医師は1日50〜60人診察している」というと、イギリスの医師は「クレージー」と驚いてしまう.日本で診察の待ち時間が長いのは、当然の結果なのである.

★100床当たりの医師・看護師数(単位:人)
  アメリカ  医師 71.6 看護師 221
  イギリス 医師 40.7 看護師 120
  ドイツ  医師 37.6 看護師   99.8
  フランス 医師 35.2 看護師   69.7
  日本  医師 12.5 看護師    43.5
(5) 日本だけが薄利多売方式(3)
 盲腸手術入院費を都市別に比較すると、日本は1週間で38万円、ロンドンは5日間で114万円、ニューヨークではたった1日で244万円もかかる(★).また、救急車が無料なのは日本のみで(イギリス、イタリア、韓国などは緊急時のみ無料)、テレビで格好良く映るアメリカの救急車は、1回の出動で1万5,000〜4万円ほど徴収されてしまう.「生命は大切である」というのは世界共通の認識である.日本は「生命は大切だからタダにしよう」という考えだが、世界標準は「生命は大切だからお金をかけよう」であり、このように大きな違いがある.
★盲腸手術入院の都市別費用(AIU保険会社2000年調べ)
 1.ニューヨーク 243.9(1) 
 2.ロサンゼルス 193.9(1)  
 3.香港     152.6(4) 
 4.ロンドン   114.2(5) 
 5.台北      64.2(5) 
 6.マドリード   57.3(3) 
 7.バンクーバー  54.6(2)   
 8.グアム     54.6(4)
 9.ジュネーブ   52.1(4) 
 10.ソウル     51.2(7) 
 11.シンガポール  50.9(3)    
 12.北京      47.8(4)
 13.パリ      47.7(2)
 14.ローマ     46.4(2)
 15.フランクフルト 42.5(7)
 16.日本      37.8(7)
 17. ホーチミン   32.8(4)
 18.バリ      27.8(4)
 19.ホノルル    27.3(1)
 20.上海      23.4(4)
 21.サイパン    21.2(2)
 22.バンコク    20.7(3)
※単位は、万円.( )内の数字は、入院日数.
(6) データを巧みに利用する政府 
 政府とマスコミは、「国民医療費に占める老人医療費は現在3割だが、将来は6割になる」と盛んに喧伝し、高齢者に肩身の狭い思いをさせている.しかし、高齢者と若年者の1日当たりの医療費に大差はなく、病気になるリスクの高い高齢者が増えるから老人医療費が多くなるだけのことである.高齢者が多いことは社会が健全である証拠だが、政府は逆の宣伝に利用している.

ある民間人が描いた「お神輿をかつぐ人の割合」というイラストがある.これによると、昭和25年当時は9.4人が1人の高齢者を支えていたが、平成12年は3.7人、37年には2人で支えなければならない.この数値で国民の不安を煽り、政府はふたつの政策を成功させた.まず、年金の支給開始を60歳から65歳に引き上げた.年金受給額は月平均17万円なので、5年間で1人につき1,000万円程の違いが出ることになる.加えて、老人医療の対象が70歳以上から75歳以上に変更され、800万人が負担増になった.このふたつの政策が反対も暴動もなく成立したのは、国民全体がこの数値にだまされたからである.

実は、「お神輿をかつぐ人」は労働者ではなく、単に20〜64歳の人口を表しているに過ぎない.今は昔と違い、65歳以上の就業人口が増加し、女性の労働力も高まっているので、労働者1人当たりの扶養人数はこの100年間ほぼ変わっていない.この正確なデータを厚生労働省が作成したが、政府は公表していない.今、生活が苦しいと感じるのは、少子高齢化のせいではなく不況だからで
あるが、若者が多かった50年前よりは今のほうが生活水準は高い.日本の将来は暗いなどという政府の情報操作にだまされてはいけない.
(7) 国民皆保険制度の恩恵と限界
 厚労省と財務省は財政再建に反する国民医療費の増加を認めず、保険組合も医療費の支出を減らしたいと考えている。また、政府は国民に3割以上の負担をかけるのは無理と考えている。そのため、医療機関は診療報酬を下げられ、唯一削減できる人件費にしわ寄せがきており、医療従事者は過重労働状態にある。

この窮地に陥った原因を、国民皆保険制度が限界に近づいてきたからだとして、その理由に、(1)かつては感染症がほとんどであった疾病構造が変化し、がんなどの治療が増加した、(2)以前は治療法のなかった慢性疾患に膨大な治療費がかかる、(3)病気のリスクの高い高齢者が増加した、(4)治療の限界を家族も医師も了承しない(いわゆる終末期医療の問題)―などを挙げている。しかし、これらは医学の進歩が導いた当然の結果である。

国民は、日本の医療は値段が高く世界最低と思っているが、実際はまったく逆である。また、昭和39年に執筆された『白い巨塔』が何度もテレビで放映され、医師は権威主義かつ金権主義だとまだ思い込んでいる。健康への関心は高いが、数々の医療事故により医療不信が生じ、医師よりも健康番組の司会者の言葉を信じてしまう。加えて、生命に関わる値段は無料だと思っている。

マスコミは第4の権力といわれるように、国民への影響が大きいが、売れれば良いという資本主義の欠点を持っており、国民の受けばかりを狙っている。また、厚労省からもらった情報をそのまま記事にしているので厚労省に頭が上がらず、政府の間違いを正す社会の木鐸の役目を果たしていない。それらを棚に上げ、「弱者の味方」という仮面を被り、医療費の議論を医療機関の儲け話に、医療事故を医師・看護師の資質の問題にすり替え、魔女狩り的な医療バッシングの先頭に立っている。

 世界保健機関(WHO)が、平均寿命の長さ、乳児死亡率の低さ、安い医療費による高度な医療の提供、公平性とフリーアクセスが保たれていることから、日本の医療を世界第1位であると評価した(2000年)。しかし、肝心なことが抜けている。それは、日本の医療が世界最高なのは国民にとってであり、ひとえに医師・看護師などの努力のもとに成り立っているということである。手術をした日も徹夜で働いて、翌日また外来で診療するといった医師の現状を、国民にきちんと認識してもらいたい。
(8) 悪いところだけアメリカを手本に
 アメリカと日本の歳出を比較してみよう(★1)。日本の社会保障費は23%、その6割(全体の14%)が医療費である。アメリカは、社会保障、公的医療保険(高齢者・障害者用のメディケア、低所得者用のメディケイド)、その他の医療・福祉を合計すると55%になる。また、イラクへ侵攻したアメリカの軍事費は18%、それに対して平和憲法の日本が防衛費に6%使っている。アメリカは軍事大国と見なされているが、歳出の割合を見ると、むしろ福祉国家といえるだろう。日本政府はアメリカの医療をモデルに、株式会社による医業経営・混合診療などを取り入れようとしているが、福祉国家としての歳出については見習おうとしない。

このような日本の医療費抑制政策では、(1)医療の質や安全性が確保できない、(2)患者さんの自己負担が増えれば低所得の国民が、病院が廃院になれば周辺の住民が困る(すでに10年間で8%の病院が廃院あるいは外来のみに変わっている)、(3)病院が不採算部門(救急、小児科、産婦人科)を切り捨て、利潤だけを追求すれば、医療難民が生じてしまう、(4)医師・看護師は過重労働状態にあるが、書類作成など日々の業務は増える一方で、やる気が低下してしまう―といった医療の荒廃を招くことになる(★2)。

医療に対する患者満足度は、世界一すばらしい医療を提供しているとWHOに評価された日本では32%なのに対して、世界37位のアメリカでは72%と患者満足度が高い。世界最高の医療を安い値段で提供しているのに、日本の医療従事者は一生懸命働いているのに、「なぜ!?」ということになる。
★1日米の歳出比較
   アメリカ(1.8兆ドル)
    社会保障 20%、メディケア 10%、メディケイド 6%、
    その他の医療・福祉 19%、軍事費 18%、その他 9%、
    国債 12%、州政府支払金 6% 
    日本(81.8兆円)
    社会保障 23%、公共事業 10%、文教・科学 8%、
    防衛 6%、その他 11%、国債 21%、地方交付税 21%
★2 医療費抑制政策は医療の荒廃を招く
   ・医療の質、安全性が確保できない
   ・患者負担が増えれば、特に低所得の国民が困る
   ・病院が廃院になれば、周辺の住民が困る
   ・病院が不採算部門を切り離し、儲けを追求すれば、医療難民が生じて
    しまう
   ・医師、看護師などの医療関係者のやる気が消失する
(9) 医療は内なる生活を守る安全保障

  医療はなぜかサービス業に分類されている。サービスという側面は確かに大切だが、ホテルの快適性が値段に比例するように、質の高いサービスにはお金がかかる。しかし、医療従事者のボランティア精神によって何とか支えられているのが、医療現場の現状である。

自衛隊には27万人の隊員がいる。平時、国内では訓練しかしていないが、国防や災害時などの安全保障のために必要な存在である。自衛隊が本来の活動をしていないことは、日本が平穏無事であることの証といえる。警察官26万人、消防士15万人についても、彼らが働かずにすむ社会が理想的だが、国民の生活を守るためには不可欠だと、だれもが思っている。

同様に、健康・生命を守る医師25万人、看護師100万人も、国民の内なる生活、身体を守る安全保障として考えるべきである。犯罪の増加により警察官が増員されたように、医療の質の向上と安全の確保を求めるならば、それ相応の費用をかけるのが当然である。

医療を安全保障の一部と考えるなら、経済と連動して議論してはならない。「今は不景気だから医療費を抑える」という考えは間違っている。私たちの健康と生命を守る医療・福祉への支出を惜しまず、より良い社会をつくり上げるべきである。