medical expenditure

皆保険制度と医療費の仕組み

医療費はどうやって決められているのか?保険を使えない時は、保険使用時とどのくらいの違いがあるのか?医療費が払えない時はどうなるのか?医療費に関する疑問は、やまほどあるはずです.本邦は国民皆保険制度が実施されているので、健康保険診療により医療の報酬が決められており、それに対応して医療費が決められています。これを診療報酬体系と呼ぶが、事の良し悪しはおいてもこの制度により、医療レベルはなにかしらの制限を受けることが欠点である.診療報酬体系は後述の如く、長い歴史の上に成り立って来たのですが、医療が進歩すればするほど追従できないことが多くなります.
皆保険制度の主体は5000を超える健保組合であるが、組合自体には医療費の根源とも言える診療報酬を決定する権限がありません.担当しているのは、行政の担当となる厚生労働省の諮問機関である中央社会保険医療協議会(中医協)です.事務局は厚生労働省保険局医療課にある.中医協では診療側、支払側の各8名と公益側4名の計20名の委員で医療政策の是非を答申し、これを受けて厚生労働大臣は医療政策を決定しているのです.
中医協での人数のバランスは大変微妙です.診療側で発言力の大きい日本医師会と支払側で優位な政府管掌健康保険(政管健保)つまり厚生省の力比べになるが、近年は厚生省が優勢である.日本医師会の団結力は低下して実力行使に及ばないことも有りますが、中医協が決烈してもより高い政治次元に交渉の場が移り、つまりは政治的決着という妥協が為されるからです.元々政策は国会が作り、国の予算に負うているのですから「首相の決断」が切り札なることもないではない.従って、中医協自体は暗黙の了解に成立っていると疑われる部分があるのは歪めない.
政策の最終決定は国の最高責任者の決定である.その決定に如何に影響を与えられるかというべき過程を中間段階という.例えば中医協が決裂した際には、政策の利害に係わる省庁、局、専門的にかかわっている議員(族議員)、関連利益団体等の意見や圧力が介在してくる.たぶんに政治的かけひきではあるが、現自民党内閣では、厚生省と対立する日本医師会が自民党に資金と票を提供し、有力な?支援者になっていたり、医師会を基盤母体とする議員も存在することである.その為、党内での対立が生まれれば、この構図は日本医師会と厚生省の対立のように受け取られる.
さて保険診療による医療費についてである.下図のように医療費は2構成である.
種別 医療費
保険診療 自己負担金 保険給付金
自費診療 自己負担金
保険診療による自己負担の率は保険者により異なるが、医療費自体は診療報酬体系により決定されているので概要について考える.
医療(予防を含める)は、個人の存続に関係する問題なので、日進月歩で進歩している医療レベルの極を求めればそれなりの費用を伴う.そして医療に付随する環境をも求めれば費用は相加する.自由診療であれば、治療に用した全費用を求められる.つまり手数料を含めた実費である.健康な人にとって、医療は必ずしも必要な存在ではないのでリスクに応じた関与が介在する余地がある.それが医療保険の本質であるが、そう自由な発想は米国で一部成り立っているだけである.


本邦は、リスクを度外視した皆保険制度を採用してきた歴史がある.保険側は、リスクを問わない代わりに施された医療について診療報酬体系を持って是非を問う.この体系は100%事後処理となるのが特徴である.診療報酬体系は医科の場合、厚生省の編集する「医科点数表」の中に、3000以上の診療行為が適用条件と共に点数化され記載されてる.同時に使用される薬に関しては「薬価基準」という本が別に編集されており、15000以上の薬品がその容量、剤形別で価格が決められている.
診療報酬体系は保険者側の金科玉条である.ある医療が行われる際に、各々の医療行為の料金を保険点数の形で定めるが、併せて定められている点数を適用する条件をも規定して、これを公定料金とする体系である.従って先ず医療料金が決められ、更にその医療料金が適切か否かを診療側に求めた上、事後処理として是非を決めるので、診療体系が医療レベルを決定してしまうことさえ起こり得る.この際、医療レベルの質の低下については言及しないが、質の高い医療は過剰医療とみなされる事態も起こっている.この過剰な部分は医療上必要なものであれば保険外で認めるべきものであるが(混合診療)、皆保険の原則に馴染まないという理由で、診療報酬体系の中に封じ込めらる.これは医療費の抑制にはなるが医療の質、レベルを低下させる要因になる.