ポーランド・ドイツ旅行
仕事でヨーロッパへ出張。合間をぬって少し出かけました。夕方行動が多いので
画像も暗いものが多いですが、クリスマス近くだったので行く先々で
クリスマス祭りでにぎわっていました。
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ポーランドのヴロツワフに到着。 |
ポーランド第4位の大きさの街だとか。
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夜遅く到着したのでこの日はホテルに
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チェックイン。窓の外をのぞくと雰囲気は |
十分。学生の街らしく土曜の夜だったので |
多くの若者達が繰り出していました。 |
早朝、ヴロツワフの街を散策。
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ホテルから少し出るとそこは広場。
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おぉ!ヨーロピアンな街並み。
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石畳の広場。早朝なので、というか日曜の
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午前中はミサがあるのでほとんど人気は
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ないとのこと。なんか香水の香りが漂う。
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これが旧庁舎らしい。荘厳。
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広場はこういった庁舎や教会を中心に
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設けられるのが定番らしい。
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到着したのは11月末。クリスマスまで
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1ヶ月。ここからクリスマス祭らしい。
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ヨーロッパの出店はこういった木造の |
小屋みたいな感じ。後から行ったドイツも |
まったく同じ形だった。まだ午前中なので |
出店も開いてはいない。 |
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路面電車が走っているので、一日券を
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購入し、ヴロツワフの街を散策です。
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これは世界遺産の百周年記念ホール。
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前日のコンサートの会場撤去のため入れず。
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由来は聞いたけど忘れた・・・。
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また路面電車で足早に移動。 |
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これがヴロツワフにある大聖堂。 |
観光の名所らしく他の国からの観光客の |
一団もいた。ここも入れず。 |
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ポーランドといえば第2次世界大戦の |
ドイツによる電撃作戦が思い浮かびますが
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街は戦乱に巻き込まれなかったのかと
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思っていると、こんなフレームがありました。
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年号をみると終戦時。相当街は破壊された
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様子が映されています。 |
さらに旧駅舎を利用したのみ市へ。 |
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露天でいろいろ売られています。共産圏から |
独立して20数年。こういったところに東の |
臭いが残っているとのこと。 |
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街を散策し終わり、軽く飲むために |
レストランに入りました。なかなか |
雰囲気のあるお店です。 |
スラブ系だからでしょうか。女性はみんな |
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美人さんです。華奢で小顔でモデルのよう。 |
ちょっと写真の枠に入った2人組。左は |
リアルによくていい感じです。 |
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夕方、といっても3時か4時か。 |
クリスマス屋台に人が集まりはじめました。 |
始まってからはじめての週末らしく、 |
みんな楽しそうです。 |
まだ夕方と言うには速いですが |
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緯度が高いため斜陽です。それでも珍しく |
晴天でした。 |
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豚肉の煮込みがポーランド料理の定番らしい。 |
ひとついただきましたが、旨い! |
日本人の味覚にも合います。豚足だったか? |
こっちに来て初めてホットワインというものを |
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知りました。このマグは記念にもらっても |
いいし、店先に返せば返金されます。 |
このマグと持ち帰りシステムはドイツにも |
ありました。非常に温まります。 |
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小腹を満たした頃、そろそろ灯りが |
点き始めました。夕食を食べに移動です。 |
これは大学のようです。ここは学生の街。 |
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この建物が見えるリバーサイドの |
レストランでシーフードをいただきました。 |
安い白のテーブルワインに悪酔いです。 |
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食事をしてホテルに帰る頃、出店も |
最後の賑わいでしょうか。9時で終了のよう。 |
食べ物のほかに、クリスマスグッツや |
お土産、おもちゃなどたくさん出ています。 |
続いて仕事の後に寄ってもらった |
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ポーランド第3位の城、クションシュ城。 |
まずは離れの展望台から眺めます。 |
もう薄暮でしたが、逆になかなか趣が |
感じられます。 |
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この展望台の崖の向こうにも |
木立に隠れた、建造物が見えます。 |
廃墟のようですが歴史を感じさせます。 |
こんな冬枯れの木立の中を |
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歩いて展望台へ。もう数週間早ければ |
紅葉が見れたようです。ただし日本と違って |
黄色一色のようです。 |
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展望台からお城へ向かいます。内部の |
見学は3時で終了とのこと。それでも |
ゲートはくぐることができた。 |
振り返るとこれがゲート。レストランや |
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ホテルが並びます。雰囲気のよさそうな |
レストラン。ポーランドは物価が安かったので |
リーズナブルにリッチな宿泊ができるかも |
知れません。 |
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冬枯れの木立。城のシルエットに |
白銀の三日月が浮かびます。 |
これはこれでこの上ないシチュエーション。 |
さらにホテルへ帰る途中には |
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さらなる世界遺産が。木造の教会。 |
当然遅すぎて入れない。平和教会だったか? |
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名残惜しい麗しのポーランドを離れ、 |
ドイツへ。眼下に広がるドイツの街並み。 |
一見トラディショナルな街並みが続きます。 |
フランクフルトへ到着です。空港を出て |
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感じたことは、臭い!ポーランドが |
なんとなくいい香りだったので。 |
クルマも多いからだろうか。ちょっと |
危険そうな人たちもちらほら。 |
金融が発達しているらしく高層ビルも。 |
自称、マンハッタンだそうです。 |
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とはいっても、アーバンな建物と |
荘厳な教会が混在していたりします。 |
教会などは新築されないんでしょうか。 |
アーバンな教会とかはさすがになかった。 |
フランクフルトはゲーテの生家があり、 |
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街の広場にはゲーテ像がありました。 |
これは夜で、しかも背面からの撮影なので |
何がなんだかわかりませんが。 |
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これは二日目の夜散策で見つけた |
広場です!やはりクリスマス祭りです。 |
規模はポーランドの比ではありません。 |
どこまでも続きます。すごい人出です。 |
ホットワインに、ビールに、 |
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ソーセージに。最高のつまみです。 |
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やはり広場には教会か大聖堂がありました。 |
ここは中にも入れます。なにか音響機器の |
セッティングをしていました。絵画や、像、 |
そういったものがたくさんあります。 |
さらにフランクフルトからアウトバーンを |
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通ってハイデルベルク城へ向かいます。 |
さすがのアウトバーンも渋滞です。 |
中世来の城は、城主、戦乱の歴史を抜け、 |
増改築を繰り返し、様相も構造も同じ城内でも |
多様です。 |
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有名らしい大きなワインの樽です。 |
英語で話すガイドの内容を掴めません。 |
曲解した和訳は、すさまじい光景です。 |
重労働をした、14、5歳の少女たちが |
当時シャワーなどないので体臭を消すために |
ワインを浴びた!?まさか、なんて |
酒池肉林でウェット&メッシーなんでしょう。 |
語学力がないほうが、妄想の世界へ |
導いてくれるのかもしれません。いつか |
真相を調べます。 |
ハイデルベルクの街は大戦中も |
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爆撃を免れ、今日にその姿をとどめている |
とのこと。ここはちゃんと聴けたので |
間違いないでしょう。 |
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城壁から街ではなく城側をみます。 |
こちらのほうが中世の城っぽいです。 |
よく熊が城内に侵入したらしいです。 |
兵士たちが撃退したとか。 |
さまざまな時代、地方からの |
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石が使われているとのこと。 |
二人で石を運んだそうです。どこでも |
封建社会っていうのはそういうことを |
させるのですね。 |
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川を挟んだ山の頂上には |
狼煙を上げるたもの物見の塔があります。 |
形はスーパーマリオの城のような?塔です。 |
ふもとの街から城を眺めます。 |
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ここの広場でもクリスマスの出店が |
広がっていました。 |
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この街は完全に観光化されているように |
感じました。あと、大学があり寮など、 |
学生の息吹も感じます。 |
川辺に建つ豪華な戸立ては |
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みんな日本円で億を超えるようです。 |
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これは別の日のゲーテ像。 |
前から撮影していますが、夕方で逆光。 |
しかもここから携帯の劣悪画像です。 |
ゲーテハウス。いきなり街中の |
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路上にあります。 |
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ここは厨房です。 |
この基本構造。今のコンロと変わりません。 |
こんな豪華な部屋が。シャンデリアも。 |
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裕福な家庭だったんでしょう。でないと |
文学とか目指さないと思います。 |
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ここは父親の書斎とか言っていました。 |
背表紙とかみるとそれなりに古そうな |
書物です。 |
ここがゲーテが執筆した机です。 |
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携帯、夕方なのにフラッシュ禁止なので |
こんな粒子の粗さに。 |
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併設する資料館はたくさんの絵画が。 |
これが有名なゲーテの肖像と言っていました。 |
足の長さが違うんです。 |
晩年の最後のゲーテの肖像画だそうです。 |
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日本語も少し話せる身なりのよいおじさんが |
つかず離れず説明してくれましたが、 |
ご先祖がどうの、とか言ってました。 |
絵師の子孫なのか、ゲーテの子孫なのか? |
なんとなくゲーテにも似ていたような? |
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1week vacation! 生命の洗濯してますか?
