グリム童話考:コルベスさん


一時期、グリム童話がブームになりましたね。

「本当は怖い〜」とか、「〜の残酷な話」とか。

 

民間伝承って、基本的に怖いんですよ。

 

グリム兄弟は民族学やってた人だし、あれは日本で言う

遠野物語にあたるものだと認識してたから、僕にとっては

「今更そんなこと言われてもなぁ」と思ってしまうのですが・・・。

 

当時は全く売れなかったんだけど、挿絵をのせたら子供に売れるようになったそうです。

そこから子供を対象にするようになったんですよ。グリム兄弟も生活かかってるし。

初版とそれ以降で内容に差異があるのは、その為でしょう。

後世の人々も、どんどん子供向けにアレンジを繰り返したしね。

 

「赤ずきん」も、原点のペローの童話集では狼に食われて終わりだし、

白雪姫も、本当は最後に継母に復讐を果たすんだけど、カットされてるし。

 

話は変わりますが、日本にグリム童話起源の昔話があるって知ってました?

「遠野物語」の中にも、グリム童話が起源という話があるそうです。

じゃあ、どうやって遠いドイツの童話が日本に伝わったのでしょうか?

遠い昔に大陸から他の文化といっしょに伝わったのでしょうか。

それとも、漂着した外国人がつたえたのでしょうか?

ロマンがあって、いいじゃないですか。

 

と、思っていたら、実はこれらの話、伝わったのは明治以降だそうです。

 

「何でそれで日本の昔話になるの?」と思うでしょう。

が、理由は意外に単純なのです。

 

「グリム童話」が文明開化以降の西洋文化と共に日本に渡り、

幾つかの日本語訳が出版されました。

これが、当時の日本人の意識に合わせた翻訳になったため、

と言うより、翻訳者が勝手に都合よく話を変えてしまったため、

話の内容が日本人的なものに変化します。

たとえば、シンデレラ。

国中の美女を集めた舞踏会が、日本版では国中の家柄の良い娘を集めた舞踏会になってたり。

しかも、当時ではこれらの出版物はあまりに高価で、

よほどの金持ちでないかぎり、グリム童話なんか聞いた事もないという状態。

 

ところが、これらの話が意外に早く地方に普及しはじめます。

あるときは物語師が商売として、あるいは帰省した人が子供たちに話したりという事も

あったかも知れません。

日本人的にアレンジされた物語が、口伝で伝えられていく。

この伝播のプロセスがくせもので、この流れの中で

「これは外国の話」という肝心な部分が抜け落ちたのだろう、と言う事です。

 

そんなバカな話があるかい、という人は考えてみてください。

数人でやる「伝言ゲーム」、あれがどうしてゲームとして成り立つと思います?

ましてや、人数も話の長さもケタ違い、どうなるかは想像つきませんか?

 

グリム起源の日本の昔話に、個人的に思い当たるものがあるので紹介してみましょう。

「コルベスさん」という話はご存知ですか?こんな話です。

グリム童話:コルベスさま<KHM41>より要約して抜粋

 

夫婦のニワトリが、ネズミに車を引かせて旅をしていました。

そこへネコがやってきて、「どちらへお出かけ?」と聞くので、ニワトリが答えます。

「村のはずれの、コルベスさまのお屋敷へ」

「じゃあ、一緒に行きましょう」

と、ネコも車に乗りました。

同じように、卵、鴨、留め針、縫い針、石臼もやってきて、

みんなで「コルベスさま」のお屋敷へ向かいました。

お屋敷につくと、コルベスさまは留守だったので、

ネズミは車を納屋へ入れました。

ニワトリは梁の上に登りました。

ネコは、ストーブの中へ丸くなりました。

鴨は水桶のなかへ入りました。

卵は、手ぬぐいにくるまりました。

留め針は、座布団へささりました。

縫い針は、枕へささりました。

石臼は、戸口の上に寝転びました。

そこへコルベスさまが帰ってきました。

コルベスさまがストーブに火を入れようとすると、

ネコが灰を思い切りコルベスさまの顔にひっかけました。

あわてて水桶に向かったコルベスさまに、今度は鴨が水をひっかけます。

コルベスさまは手ぬぐいで顔を洗おうとすると卵が顔にべったりと張り付き、

落ち着こうとして椅子に座ると留め針おしりにがちくり、

ふてくされて寝ようとすると縫い針が頭にちくりとさしました。

コルベスさまはもう大慌てで家を飛び出しましたが、

そこへ石臼が、どしん、と飛び降りてきたので、コルベスさまは死んでしまいました。

「サルカニ合戦」に良く似てると思いません?

それにしても、この惨劇を見下ろしていたニワトリの存在がなんか怖いですね。

 

この話はこれで終わりです。


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