オーパーツ?な品々


超古代文明ネタが割とイイ感じで進んでいます。

今回は、オカルトファンの間で

「オーパーツ(場違いな遺物)」と呼ばれている物の中から、

そうでなさそうな物や、確実にそうでない物を集めてみました。

 

 

黄金シャトル

コロンビア、シヌー遺跡で発見されたアレです。

500〜800年前の物だそうです。

 

これのモデルについてよく言われる特徴は

現存する、どの鳥やコウモリにも似ていない

動物よりも、航空機によく似ている

コクピットらしきものがある

航空力学的に正しい形をしている(ただしプロペラでは推力不足)

てな感じで、こいつは

「コロンビアの黄金シャトル」

と呼ばれるようになりました。

人によっては、

「これでナスカの地上絵の説明がついた!」

と、言う人もおりますが。

 

実際、こいつに関しては根拠のよく分からない妙な説が飛び交っています。

 

例えば、

プロペラでは推力が足りない?じゃあジェット機だ!

ジェット機にしては機首が丸い?じゃあ変形するんだ!

ほら、こんな感じ。

(このまま合体して巨大ロボにでもなればカッコイイのですが・・・)

 

他にも、

実は水中も進める飛行機説

実はスペースシャトル説

実は宇宙人の乗り物説

ナドナド。

 

別の説として、「実は魚」説があります。

 

魚?全然似てないよ・・・。

と、思うかも知れませんが(自分も思ったけど)

南米のナマズは、実際こんな感じです。

「プレコ」と呼ばれるナマズ達で、種類は結構いるそうです。

種類によって形も様々です。

熱帯魚屋で普通に売ってます。

 

「飛行機」と考えるよりも自然だと思いますが。

 

余談ですが、俗に「コクピット」と呼ばれる部分ですが、

アクセサリーとしては、ここに紐を結べばイイ感じなのではないでしょうか?

 

 

ナスカの地上絵

オーパーツとは少々関係ないのですが、

黄金シャトルで触れたので。

 

描かれたのは紀元前200年〜紀元後600年ごろと言われています。

地上絵に関しては諸説あり、

天文観測に使われた説

古代飛行場説

宇宙人のイタズラ書き説

などがありますが・・・。

 

「イタズラ書き説」は、とりあえず触れません。

 

古代飛行場説というのがありまして、

要するに、ナスカの地上絵によくある「直線の地上絵」が、

飛行場だという説です。

この説を唱える人は、たいてい「黄金シャトル」を

自説の根拠にしているのが特徴です。

が、この「直線の地上絵」、

実際に地上で見てみると、

丘を越え谷を越えで、

とても飛行場として使える類のモノではないそうです。

 

かつて宇宙人来訪説の根拠とされていた「付近のコゲ跡」ですが、

最近では、熱気球の発着所として、だいぶ定着してきたようです。

当時のナスカ文化で生産されていたものだけで気球を作る事は可能で、

実際、そういった実験が過去に行われて成功しています。

ちなみに、モンゴルフィエ兄弟が気球を発明したとされるのは1783年です。

この件に関して気になるのは、よく超古代文明支持者が、

この「気球」や前述の「航空機」を、「超古代文明の産物」として扱っている点です。

根拠は、

「気球が発明されたのは1783年だから」

なのだそうですが、

絶対に「モンゴルフィエ兄弟が最初」でなければならない理由は

どこにあるのでしょう?

 

前に紹介した「アンティキシラの歯車機械」のように、

情報伝達の未熟さや、

当時の水準では応用できなかったが為に消えてしまった、

そんなテクノロジーがあったと考える方が自然だと思うのですが。

 

ちなみに、「地上絵」のような巨大な絵を書くのに、

上空からの指示は不要です。

多くの地上絵のそばに、

2メートル四方の「ひな型」と言える絵が描いてあるのが発見されているそうです。

その絵に格子をあて、

それよりも大きな格子を紐などで作ります。

で、小さい格子のそれぞれのマス目に描かれた線を、

大きい格子の対応する箇所に引いていくと、

大きい地上絵が描けるそうです。

 

さて、「天文観測に使われていた」説ですが、

じつは、これもまだ確証がないのだそうです。

ストーンヘンジの謎を解き明かした

ジェラルド・ホーキング博士が調査した事もあるのですが、

「地上絵が意味のある方向を向いているケースは少ない」

のだそうです。

 

「ナスカの地上絵」は、いまだ謎の多い遺物なようです。

 

 

アカンバロの恐竜土偶

1945年、メキシコのアカンバロと呼ばれる場所で発見された土偶で、

もう見たまんま、「恐竜土偶」と呼ばれるシロモノです。

 

これに関しては、『神々の指紋』南極大陸の話の元ネタを考えた

チャールズ・ハブグット教授が色々調査し、

「これこそ人間と恐竜が同時代に生きていた根拠だ!」

と言った物です。

 

サンプルの年代測定結果が紀元前4530〜紀元前1110年

大量に、しかもほとんど完成品で発見されたのは、スペイン人の略奪から守る為

土偶のデザインがどの文明/文化とも一致しないのは、それらの文化を先行する「原始文化」の産物だから

土中塩分など、埋まっていた場所の土中成分が土偶に認められないのは、水はけのよい場所だから

温暖で水も豊富な環境であったので、この時代まで恐竜が生存していても不思議はない

これは、ハブグット教授が反論説を否定するために述べた説なのですが、

逆にツッコミ所も多い妙な理論です。

年代測定は炭素14や熱ルミネッセンス法が用いられたそうですが・・・。

追記:別章にて詳細は述べていますが、この測定法は”有機物向けの”測定法な為、

無機物に対して測定を行うと、測定値はかなり古い年代になってしまいます。

 

個人的意見としては、

一箇所から大量に発見された割には、他の場所では一体も発見されない事。

デザインがどの文化とも一致しないのは「原始文化」の産物だからと言っても、

スペイン人侵略の時まで残っていたなら、

デザインや作風が他に影響を全く与えなかったのは逆に不自然だという事。

水はけが良ければ埋蔵物が土中成分の影響を受けないという話は妙だという事。

など。

 

そんな難しいことを考えなくても言える事が一点あります。

前出の恐竜土偶の写真、とくに肉食竜と思われる物に関してですが、

尾で体重を支えて二本の足で立つ日本版ゴジラの様なスタイルは、

発見された当時(1945年)にイメージされていた恐竜の姿そのものです。

現在では、

「体重を支えるには尾の骨格が華奢すぎる」

「モモの骨格構造や、骨格から推測される筋構造は三点支持で歩くには不向き」

「逆に、モモの骨格構造や筋構造は、鳥(ダチョウ等)のように二足で歩くのに適している」

などの理由から、ハリウッド版ゴジラの様な歩き方をしていたと考えられています。

 

長々と何が言いたいのかというと、

「捏造でしょ?」

と言う事です。

日本でも、いたしね。

 

 

マヤの水晶ドクロ

渋谷か原宿の銀モノ屋で売ってそうな感じですが、

マヤの遺跡で現在3つほど発見されている

「マヤの水晶ドクロ」です。

記念すべき最初の1個が発見されたのは、

1927年、ベリーズ(当時は英領ホンデュラス)にある

ルバアントゥム遺跡から発見されました。

年代測定では3600年前とか・・・。

追記:これも炭素14による年代測定だそうで、信頼できる測定結果ではありません。

下から光を当てると目が光るとか、

太陽の光を当てると七色に光るとか、

色々言われていますが・・・。

 

水晶ドクロで、製作の困難さがよく取り沙汰されます。

水晶(石英)のモース硬度は7で、

これは、自然界の中では比較的高い数値です。

ちなみに、一般的なナイフの硬度は5.5、

ガラスの硬度は5だそうです。

現代では、ダイヤモンド歯の工具でガリガリやれば、

さくっと作れるのだそうですが、

(1日2日で作れる事はないそうですが)

当時の技術、たとえば水晶粉などで削っていったとすると、

100年〜150年ほどかかるそうです。

 

これが、水晶ドクロがオーパーツと言われる根拠なのですが、

150年かかっちゃいけないのでしょうか?

「150年かかる=作れない」

という考え方は妥当ではない気がします。

数人構成の工房で交代で削り続けたと考えるほうが妥当な気がします。

 

ただ、個人的には、

どうもベリーズで発見されたドクロには、少々胡散臭いものを感じています。

 

まず一つ、ベリーズ版発見の経緯ですが、

探検家フレデリック・ミッチェルヘジスがルバアントゥム遺跡を調査中に、

当時17歳になる養女アンナが倒壊した壁の中から発見したそうです。

発見当時、アゴの部分は無かったそうですが、

3ヶ月後、再びアンナがその遺跡のなかで発見します。

(ちなみにベリーズ版水晶ドクロは、現在も彼女が所有しています)

 

1927年、ジャングルの中へはとてもハイキング気分で行ける場所では無いはずですが、

本当に17歳の女の子を連れて行ったのでしょうか?

17歳の女の子が割りとあっさり見つけてしまうようなものが、

(現地に住む人を含め)長年未発見だったのは何故でしょう?

 

もう一つ、これがドクロであるという点です。

マヤやアステカ、インカと言うと、

どうも生贄やドクロ等、暗いイメージが付きまといますが、

マヤで人間を使った生贄や、

神殿のレリーフ等にドクロなどがモチーフとして使われる様になったのは、

西暦1000年頃からだと記憶しています。

俗に言う「後古典期マヤ」と言われる時代で、

ドクロのモチーフ等は、

この時代既に放棄されていたマヤの都市に流入してきた

戦闘的なトルテカ族の文化だそうです。

太陽の神や雨の神を祭っていた古典期マヤの文化とドクロは、

どうも相容れない存在な気がします。

(年代測定3600年が正しいのであれば、ですが)

 

余談ですが、

石のモース硬度では硬度10のダイヤモンドが一番硬いと思われがちですが、

割れやすさなどを考慮に入れると、

(割れやすさと硬度は別なんだそうです)

実はルビー、サファイヤ、ヒスイが最も硬い部類に入るそうです。

ちなみにコランダムと言われる鉱石の

赤いものがルビー、青いものがサファイアと呼ばれるそうです。

本当に余談ですね。

 

 

アルミニウムの帯留め

1956年、中国紅蘇(こうそ)省の西晋墓から出土したものです。

発見当初、「世界最古のアルミニウム製品」と言われたものです。

 

実はこれ、オカルトファンの間でいまだにオーパーツとして扱われていながら、

確実にオーパーツでは無い物です。

 

「発見当初」と前述していますが、実は、この話はすぐに訂正されていて、

「盗掘時の混入物で、実は銀製品」

と、公式に発表されています。

 

にもかかわらず、何故かオーパーツ扱いになっている変な品です。

 

 

ニューデリーの錆びない鉄柱

インド、ニューデリーにある、

文字通り「錆びない鉄柱」です。

 

これに関して、オカルトファンの間では未知の金属とか、

宇宙人の何たらとか、超古代文明の何たらとか言われていますが・・・。

実際、下調べでオカルト関係のHPを幾つか見てみて思ったのですが、

不思議と素材に関しては一貫性が無いのが現状な様です。

 

ただ、実際のところはもうハッキリしているのです。

 

鉄柱自体は純度の高い鉄製である事。

高純度の鉄は、空気に触れていると表面に酸化皮膜が形成されるのが特徴で、

要は表面の薄いサビが内部を腐食から守るのだそうです。

 

そして、これを最初にオーパーツとして紹介した

エーリッヒ・フォン・デニケン自身が、

これはオーパーツでない事を既に認めています。

 

 追記:有機リンの含有率が高いと言う話も。

双方の説が入り混じってまして、どちらが正しいのか分からずじまい・・・。

どちらも、酸化皮膜が腐食を抑止するのは同じですが。

 

 

パレンケ、碑銘の神殿のレリーフ

ロケットに乗る宇宙飛行士だと言われているアレです。

1955年、アルベルト・ルス博士によって碑銘の神殿の地下から発見されました。

レリーフ、と言うよりはパカル王の棺の蓋なのですが・・・。

自称「宇宙考古学者」デニケンや、

『神々の指紋』のハンコックが、

「ロケットに乗る宇宙飛行士のレリーフ」と呼んでいるものです。

 

たしかに、そう言われればそう見えます。

 

突然ですが、パレンケ遺跡とはどんな所かご存知?

今は公園になっているそうです。

テオティワカン等と違って無料で入れるようですが。

ここには大小様々な神殿、天体観測塔があります。

天体観測塔と碑銘の神殿以外は、

自由に入ったり登ったりできるそうです。

神殿は、碑銘の神殿を筆頭に、

頭蓋骨の神殿

宮殿

太陽の神殿

十字架の神殿

葉の十字架の神殿

等があります。

 

別に観光案内がしたかった訳ではなく、

「十字架の神殿」「葉の十字架の神殿」がこの話のポイントになるので・・・。

 

この2つの神殿の名前は、この神殿にあるレリーフが由来になっています。

 

これが「葉の十字架の神殿」のレリーフ(写真は土産物だけど)

 

これが「十字架の神殿」のレリーフ

 

「碑銘の神殿」のレリーフと同じ図案が使われている事に気づいたでしょうか?

あの「ロケット」と言われているデザインは、

パカル王の墓石だけでなく、

パレンケの幾つかのレリーフでも割と使われているものです。

 

ここから先は考古学の話になります。

「碑銘の神殿」のレリーフで、

俗に「ロケットのエンジン」と言われている部分、

要は人が腰掛けている部分ですが、

他のレリーフでも十字架の下に存在しているのが分かるでしょうか?

これは「地の怪物」と呼ばれる図案で、

地面を様式化したものです。

同様に「ロケットの機体部分」と呼ばれる十字架のような図案が、

他のレリーフでも見て取れます。

特に「十字架の神殿」のレリーフは、

「碑銘の神殿」のそれと良く似ています。

これは、元は「生命の木」と呼ばれていましたが、

現在では「主食のトウモロコシ」を様式化したものだという説が一般的です。

そして、機体上部の「ロケットの飾り」と言われている鳥ですが、

(何故ロケットに飾りがあるのかはともかく)

これも、他のレリーフに見て取れます。

これは、ケツァルという鳥で、

神の使いとして、しばしば描かれるのだそうです。

 

そういった事実関係も踏まえて、

「生命の木と地の怪物の間にいる人=死者」

「単に木の下に腰掛けて空を見ている人」

と言った見解もあります。

 

結局のところ、絵ですから

どう解釈するかはその人次第と言われればそれまでの話。

 

 

バグダットの電池

1937年、バグダット博物館の地下室で発見された「電池」です。

2000年前のものだそうです。

パルティア人の遺跡から発掘された当初は、花瓶か何かだと思われてたそうです。

手前の筒が銅製、その奥の棒が鉄製で、

その2つを中に入れ、壷を電解液で満たせば

あっという間に電池の出来上がり。

ここで言う電解液とは、硝酸、酢酸、クエン酸、硫酸銅溶液などなど。

一般的には、メッキ加工を行う際に使っていたとか言われています。

 

起電力は0.5〜2.0Vと、諸説ありますが、

個人的には0.5V説を推します。

(0.5Vでも、メッキ加工をするには十分な電圧です)

 

と言うのは、この「電池」、

一見ご大層なものに見えますが、

原理的にはレモンやオレンジに銅版と鉄板を刺して、

豆電球に明かりをつけるのと同じです。

小学校の実験でやりませんでした?

「学研」でキットも売ってるんだよ。

 

一般的にこのタイプの電池の理論は、

1800年にアレッサンドロ・ヴォルタが、

論文「異種の導体の単なる接触により起こる電気」

の中で示したのが最初と言われています。

 

それ以前に「電池」を作ることは可能でしょうか?

 

個人的には可能だったと思います。

「電気」の性質を知らなければ作れない類のものではないからです。

(むしろ、同時代にギリシャで発見された蒸気機関や火力エンジンの様に、

一種のアイデア商品として考える事も無茶ではないと思うのですが・・・)

銅に銀メッキをしようとする過程の中で、

経験的に発見されたと見るのが自然な気がします。

(銅は「電池」のパーツとしても使われていますし)

この「電池」が、ほかの事には全く応用されていない事が、

この説を裏付けているように思えます。

 

前述のアレッサンドロ・ヴォルタも、

論文発表の後、「ガルヴァーニ電池」を作るのですが、

彼とて、電気の性質を理解していた訳ではありません。

でも、電池は作れました。

 

色々考える所は多いのですが、

オカルトファンの間で言われるような

「宇宙人が伝えた技術」でも、

「超古代文明の産物」でもない事だけは確かです。

超のつく技術が関与しなければ不可能な発明、ではない事はたしかですし。

 

余談ですが、

バグダットでは現在も「電解液槽」をつかって起電する方法での

メッキ加工が職人の間で行われているそうです。

これ自体はかなり古くから行われているという話ですが、

1800年より遡るかどうかは分からない、との事。

 

 

 

今回はこんなところでしょうか。

機会があれば、オーパーツらしいオーパーツも扱おうかと。

 

 

 

この話はひとまずこれで終わりです。


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