「16世紀の精密な地図」たち


前項で南極大陸の話が出ました。

ので、今回は補講ということで・・・。

 

今回、ちょっとページが重いです。

海外の古地図コレクターのHP等から無断転用しまくりました。

海外から、という点に小心者っぽさが出ていますが。

 

今回は、「超古代文明」支持者たちの言う

16世紀に製作された『正確、かつ精密』な地図たちを紹介したいと思います。

 

さあ、まずはこの地図から!

オカルト雑誌などでよく紹介される「オロンテウス・フィナエウス」の地図(部分)です。

1532年作成です。

左にあるのがオロンテウス地図の南極。

右下は現在の南極。

右上は地震波観測によって確認された氷の下の南極です。

「氷の下の南極大陸の地図が16世紀に既に書かれていた!」

と言われれば、おお!と思うくらい似ています。

 

ですが・・・。

 

 

これが「オロンテウス・フィナエウス」の地図、全図です。

左が北半球、右が南半球。

左にアジア大陸、中央ちょっと下にアフリカ大陸。

で、右にあるデカイ島が南極です。

でかすぎます。アフリカ大陸よりデカイです。

中央が赤道とすると、南極の最北端は氷が張るどころではないと思いますが。

こちらの地図を見せられて、

「氷の下の南極大陸の地図が16世紀に既に書かれていた!」

と言われても、何のこっちゃという気がしますが。・・・ねえ?

追記:オロンテウス地図での”南方大陸”の巨大さは、

当時の地理学者達の中に”太平洋”の存在を疑う人が多かった事が一因となっています。

と、言うよりも、オロンテウス自身がその一人だったのかも知れません。

 

ちなみに、米国のとあるHPで見つけた

「オロンテウス地図の南極」と「実際の南極」、同縮尺での比較図です。

最初の図と比べ、実際の南極の向きが違うことに注意してください。

最初の図は、似てるように見せるために故意に回転させてあります。

 

前項で書いた、

「似てるところだけ出して、似てると言う」

というのは、つまり、こういう事です。

 

ちなみに、南極の大陸に、ちゃんと

「テラ・オーストラリス」

って、書いてあるでしょ。

ちなみに、この文を訳すと

最近、見つけられるが、完全に知られているというわけではない南方大陸」

 

 

で、ほぼ同時期に書かれた

「フィリップ・ピアッシュの南極大陸」が、これです。

真ん中で切れてます。

『神々の指紋』の著者、グラハム・ハンコックが、

「南極に氷が張る前の、海の水位が高かったころの南極」

と言っていたやつでやんす。

 

さて、この「ピアッシュ南極」、ポイントが2つあります。

一つは、もちろん「テラ・オーストラリス」ですが、

(地図の右上に「テラ・オーストラリスのチャート(海図)と明記してあります)

もう一点、

「南極大陸」の上、左端、下の一部に、

ちょっと赤く塗られて、他よりも海岸線が正確に書いてある箇所があるのに気づいたでしょうか。

実は、フィリップ・ピアッシュが航海者から得た情報は、

この3箇所だけなのです。

後は本人の想像で書いている訳です。

実際には、フエゴ島やオーストラリアの海岸線だと思うのですが・・・。

 

 

どんどんいきましょう。

次は、「ヨハン・スコーナーの地図」。

中央右にある三角形の大陸が南米大陸です。

で、その下が「南極大陸」

これに至っては、南極がすごい南米寄りになってます。

っつーか、南極点は海です。

北極大陸が書かれている点もポイントです。

南極大陸の箇所に「1520」と、発見年が記載されてるのも大きなポイント。

 

「ジョージ・ハートマン」の地図にも、南極大陸、北極大陸が書いてあります。1535年作です。

 

 

結局南極(死語)、

16世紀に書かれた南極というのは、実際の南極には程遠い、

部分的な情報を補完しただけのものや、

想像で描かれたものばかりという事です。

 

実際、この時代には、ここで紹介できないくらい実に多くの地図が製作されているので、

「南極地図」支持者(自称)の人たちが、そこから都合のいい地図だけ探すのは簡単です。

だまされないように気をつけましょう。という事で・・・。

 

 

最後になりましたが、1663年作成の「メルセデス・セベノ」の製作した、

「テラ・オーストラリス地図」です。

ああ、オーストラリアだね。こりゃ。

 

なが〜い追記:

メルセデス地図ですが、引用元の記載により『1663年作成の地図』と書きましたが、

どうも本当は違うのではないかと思いまして・・・。

で、この地図を追跡調査してみました。

まず、上の地図を見るとオーストラリアとニューギニアが地続きになっているのは分かります。

あと、地図の下にはタスマニア島らしきものが記載されています。

で、右下の海岸線ですが、ニュージーランドでしょうか?そう仮定してみます。

あと、右に”南方大陸(TERRE AVSTRALE)”とありますが、

左、オーストラリアらしき地形の上には、

”HOLLANDIA NOVA”とあります。

これを踏まえて・・・。

 

まず、ニューギニアを最初に発見したのはオランダのウイレム・ヤンスゾーン。

1605年です。

彼はニューギニアを”南方大陸”と信じた為、

ニューギニア南海岸を探索した際、

オーストラリア大陸すらニューギニアの一部と誤認しています。

彼は、それと知らずにオーストラリアの北部から西部を探索し、

雇い主の東インド会社に報告しています。

この地図には”ヤンスゾーン報告”の影響が現れているようです。

 

本来は、彼が最初のオーストラリア発見者なのでしょうが、

彼は”南方大陸”として報告してしまい、

加えて、彼の航海記録があいまいで、

その大陸が太平洋のどの辺にあったのかが不明瞭というありさま。

結果、”不確定情報”として扱われてしまいました。

オーストラリア発見者が

ウイレム・ヤンスゾーン説、ウイリアム・ダンピア説等色々あるのは、

この辺が関係しているのでしょうか?

(最初に上陸したのはダンピア)

 

で、東インド会社は再調査を実施します。

同じオランダ人、アベル・タスマンがタスマニア島、

およびニュージーランドを発見したのが1642年です。

ちなみにタスマン君。

”ヤンスゾーンの再調査”として彼の航路をたどったハズなのに、

オーストラリア大陸を発見するどころか、

オーストラリアの下を大きく抜けて

タスマニア島に行き着いてしまいました。

”ヤンスゾーンの報告”と”タスマンの航海術”、

おそまつだったのは、どちらなのでしょうかね。

 

さて、タスマニア島は良いのですが、

先ほどニュージーランドと仮定した海岸線はどうでしょう?

ニュージーランドに関しタスマンが具体的に発見した場所は、

ニュージーランド南島の最北端、今の”アベル・タスマン国立公園”辺りです。

分かりやすい地名だこと。

実際の地図と見比べると、どうもこの海岸線とは合致しません。

どうも違ったようです。

それを踏まえて再度地図を見直してみると、

他の場所の海岸線では湾や岬の地名が細かく記載されているのに対し、

ずいぶん雑なようです。

未確定の海岸線をあえて書き込んだ可能性はありますが、

あくまで推測です。

結局、それ以上は分からずじまい。

 

しかし、ここまでで、接点が一つ見つかりました。

この地図には、2人オランダ人航海者の報告が反映されているという点です。

それを踏まえてオランダ語を調べてみました。

”HOLLANDIA NOVA”

思ったとおりオランダ語でした。

意味は『ニューオランダ』。

オーストラリアの観光案内等を調べると、

最初に発見したオランダが領有を宣言した際、

勝手にその名前をつけたそうです。

 

それを踏まえて再考すると、

あれ?1663年って、つじつまが合うのか・・・。

杞憂でした。ええ。

 

ちなみにもう一つ分かった事があります。余談として。

この地図の欠落部分、

つまりオーストラリア東海岸、

ニュージーランドとオーストラリアが地続きでない事、

これを最初に発見したのはイギリス人ジェイムス・クックです。

彼も彼で最初の発見者は自分だと思い、

この大陸に『ニューサウスウェールズ』と命名したそうです。

何故クックはオランダが先に発見した事を知らなかったのか。

これは、オーストラリアを発見したのが

オランダという国家ではなく東インド会社という企業だった事が原因です。

企業としての貿易独占を狙っていた東インド会社は、

地図を”機密扱い”して外部には公表していませんでした。

国家としてのオランダも、この発見を知らなかった可能性があります。

このような事による”行き違い”は、当時の発見ではよくある事だそうです。

 

上記の点、全てを総合すると、この地図は

東インド会社所有の地図

という事です。

だから何?という話ですけれど。

 

やれやれ。

長々と何が言いたかったのかというと、

普段私は

”こうやって思いついて”

”こうやって調べてる”

という事です。

だから何?という話ですけれど。

 

 

 

この話はひとまずこれで終わりです。


BACK  HOME