珍説・奇説に関する諸々


今も昔も、古代の超科学や超文明に関する説や本がイロイロでています。

同様に、それを批判する本もイロイロ出ているようですが。

 

今回は、そういった諸々に関して、

自分なりの考えを書いてみようか、などと思っとります。

 

そもそも、諸説を提唱する本も、

それを批判する本(俗にいうトンデモ本の類)に関しても、

同じ様な理由であまり好きではありません。

(反証本の中には、マトモなものもあるのですが・・・)

 

1.迫害される少数派 vs 多数派の真理

珍説を提唱する側も、それを批判するトンデモ本の類も、

ある一点に関して似たようなスタンスを持っているように思えます。

 

珍説を提唱する側は、おおむね自分たちが少数派であることを認識しています。

そして、自分たちが定説やパラダイム(考えるまでもなくジョーシキ、という意味)に迫害される被害者で、

執拗に定説に固執し、新しい説を受け入れない学会や教授たち迫害する側には、

自分たちの説は正しくても理解できる訳がない。

ガリレロ(地動説)やウェゲナー(大陸移動説)のように、かつて多数派に押しつぶされながらも

今では定説になっているのもたくさんあるじゃないか。

というのが珍説提唱者の理論です。

 

反する、「トンデモ本」に代表される一部の反証側は、

大抵の場合、暗に多数派を自称しています。

つまり、定説やパラダイムの側から、

そんな事ある訳ないだろ、

というのが一部反証側の理論です。

 

ポイントは、お互いが多数派/少数派である事を意識していて、

どちらもそれを売りにしているという点でしょうか。

少数派=正しいことをいう人は、常に迫害を受ける

多数派=多数が認める理論という事は、それが正しいから

と、互いに自分の理論の位置づけをしているのですが、

これは互いに正反対の事を言っているようで、

その実、同じような事です。

別に、理論や説が正しいかどうかは

多数決で決める訳でもないのに、

互いに多数派/少数派を意識する必要はないと思うのですが・・・。

(巨人vsアンチ巨人みたい・・・)

 

これ以降では、珍説提唱側を「珍説派」、

対する、一部反証派を「定説派」と定義したいと思います。

書くの楽だし。

 

2.そもそも、定説って?

大辞林によれば、「正しいと認められている説」との事。

そう書いてしまえばそれまでなのですが、

この「定説」というものに関しては、珍説派も定説派も、

この点では同じスタンスな様です。

 

双方「定説=普遍の説」と考えている点でも、同じスタンスです。

 

珍説派と定説派は、一見、

「定説を打ち崩そうとする側 vs 定説を擁護する側」

の対立の様にも見えますが、

本当に「定説=普遍の説」なのでしょうか?

 

結論から言うと、「定説=普遍の説」という図式が出来てしまったのは

「学校の教科書」の責任であって、

我々が定説と思っている事の多くは、

常に反証/淘汰の荒波の中で変化しているのが実情です。

 

学会というのは、

常に「自分がその分野のオーソリティになろうとしている人たち」の戦いの場なので、

隙あらば(定説となっている)他人の説を切り崩して自説を認めさせようとする人々が

常にしのぎを削っているのが実情なのですが、

どうも定説派も珍説派も、この点は知らないのか、もしくは無視しているようです。

 

好例と思えるのが、恐竜にかんする定説の変化でしょうか?

幾つか例を挙げると・・・。

 

かつては恐竜は「巨大なトカゲ=冷血動物」だったのに対し、

今では「巨大な動物=温血動物」

だというのが定説になっています。

(かつて冷血動物説がそう言われていた様に)温血動物説は、

おそらく崩れることはないと思います。

余談ですが、この様に定説(常識)が変化する事をかっこよく言うと、

パラダイム・シフトと言います。

 

ティラノサウルス等は、

かつては尻尾を地面につけてノコノコ歩いていたというのが定説でしたが、

今では尻尾でバランスを取りながらダチョウの様に走っていたというのが定説になっています。

(東宝版ゴジラとハリウッド版ゴジラ)

 

今現在でも、定説を覆そうと、

1.ティラノサウルス等の肉食竜の主食は、実は死肉

2.ティラノサウルス等の肉食竜は、ライオンの様に群れで狩をしていた

等の説が、学会で騒がれています。

 

ここでポイントとして押さえてほしいのは、

定説というのは

「誰かが主張した説を、別の誰かが認める」

という単純なプロセスで出来上がるのではなく、

「理論の主張者が、第三者にも提示できる資料(史料)や、

第三者にも再現可能な実験データ等を提示し、

他の学者や研究者にその是非を問う」

というプロセスを経て、定説と呼ばれる説となっているのが実際のところです。

「大陸移動説」などが珍説でありながらも無視されなかったのも、

ウェゲナーが地学的、生物学的分布などで多くの資料を用意出来たからです。

 

多くの珍説が学会から無視されている、

「珍説派」は学会から無視される宿命にある、

というのは、実のところ

珍説提唱者が学会を無視して、いきなり本を出版して

一般の人間に自説を主張している点に問題があるのではと思うのですが、

どうでしょうか?

 

3.珍説・奇説に関する諸々

出版されている珍説に関する本の多くが、

「一般の人は何も知らんだろう」

という核心の下に持論を展開している気配があります。

 

イースター島のモアイは当時の技術では切り出せない

モアイは石で出来ています。

その石を、従来の説では石オノ等で加工していたというが、

石で石が切り出せるわけが無い。

だから、もっと高度な文明が関与していたに違いない。

・・・という説を提唱している珍説があります。

が、石にも硬度があります。

やわらかい石もあれば、硬い石もあるのですが、

その辺りには、どの珍説提唱者も何故か全く触れようともしていません。

知らないはずは無いのですが・・・。

(余談ですが、記録に残っている当時の方法でモアイを作成する実験が行われ

実際に完成したそうです)

 

 

世界の文化的相似

家や神殿の軒部分等に描かれるデザインは、世界的によく似ている。

文化的交流の無かった筈のエジプトや南米にピラミッドがある。

等々、世界の文化に共通点が多い。

これは、世界の文化的中心になった超古代文明があったに違いない!

 

・・・と、いう説がありますが、

デザイン等を考えるのは同じ人間なわけで、

似通ったものが出来上がってもそんなに不思議ではないし、

エジプトのピラミッドと南米のピラミッドは、

成立年代に数百年近い開きがあります。

しかも、呼び方は同じでも、その用途や建築方法は全く別です。

エジプトのピラミッドは主に墳墓であり、

南米のピラミッドは主に神殿な訳ですし。

(南米のピラミッドには、墳墓として兼用されていたものも一部ありますが)

そもそも、世界の文化的相似を唱えるどの説も、

もっと生活に密着した部分での文化的な違いには全く触れていません。

南米には「車輪」がありませんでしたし、

もっと根本的な、農耕/牧畜/狩猟といった各地の文化の違い、

さらに衣食住に関する文化に関しては、世界中で多種多様です。

言語に関しても、英語などの「表音文字」と漢字等の「表意文字」は全く別系統です。

(文字で発音を表すのが表音文字、文字で意味を表すのが表意文字)

・・・似てる部分だけ引っ張りだして、「似てる」というのは簡単です。

 

 

私だけが知っている

ムー大陸、アトランティス大陸、宇宙人来訪ナドナドでよく自説の証拠として挙げられるのが、

自分だけが持っているマル秘史料です。

ナーカルの石版、ポセイドン王の名の入った壷、謎の地底洞窟とか。

これらの多くは、自分だけが持っている史料を自分で解読し、

これを自説の証拠として挙げているのですが、

現物を一般に公開しないのは何故でしょう?

僧などの「伝承者」に、特別に見せてもらったとか言ってますが・・・。

「証拠は見せられないけど、ホントなんだってば」

って、事でしょうか。

 

 

どうせ誰も知らないだろ

16世紀の地図には南極大陸が!

未発見のハズだったのに・・・。

海岸線も、氷の下にある本物の海岸線とそっくりだ。

しかも、他の大陸も正確に書かれている。

古い地図ほど正確なのは何故だろう?

これは地図製作者が超古代文明の史料(航空写真)を使ったに違いない!

 

・・・なんてぇ話も多いでやんす。

『神々の指紋』とか。

確かに、この時代の地図には、南極に大陸が描かれています。

「ピリ・レイスの地図」やメルカトールやオロンテウスが製作した地図には、

確かに南極の場所に大陸が書かれています。

大きさはマチマチですが・・・。

世界地図も、一見「正確」と言われれば正確そうな気もしてくる様なデザインなのですが、

正確なわりには五大陸のひとつ「オーストラリア」が、どの地図にも記載されていません。

未発見だったし。

そして、(ピリ・レイス地図を除く)南極大陸を記載しているという地図の

肝心の南極大陸の箇所には、なにやら

「テラ・オーストラリス・インコグニダ」とか、「マゼラニカ」とかいう文字が・・・。

 

大航海時代と言われた15世紀には、海に関して様々な伝説がありました。

その中の一つに、アフリカの西海岸をどんどん南下すると、

やがて世界の果てに至るというのがありました。

この迷信がアフリカ西海岸探検の障壁の一つになるのですが、

(潮流や逆風も大きな障害でしたが)

1488年、バルトロメ・ディアスなるポルトガル人が

ついにアフリカ最南端『喜望峰』に到達します。

結局、「世界の果て」なんて無かった、という事になると、

「喜望峰より南には、さらに大陸があるに違いない」

という話が出てきます。

これは、当時の地図製作者が地図を製作した際、

北半球は大陸ばかりなのに、

南半球には海ばかりなのでバランス的におかしい、

と、考えていたのが発端らしいですが。

 

追記:この点に関しては調査不測だった事を謝罪します。

”南方大陸”に関してはかなり古い時代から存在が疑われていました。

数々の迷信を払拭できたのは、

喜望峰に到達した事よりも、

パルマス岬を越えた事の功績が大きかったそうです。

 

そんな頃、フェルディナンド=マゼラン率いるマゼラン艦隊が

1520年10月11日にマゼラン海峡を発見、

1522年9月6日、世界周航を終えスペインに帰国します。

(マゼランはポルトガル人だけど、ポルトガルから追放されていた)

 

余談ですが、実際帰国したのは、

艦隊の5隻中1隻(ヴィクトリア号)で、

マゼラン本人もフィリピンで原住民に攻撃を仕掛けた際に

返り討ちにあって殺されています。

船団の1隻、トリニダード号が沈没した理由が

「香辛料を積み過ぎたから」

と言うのもマヌケな話。

 

話をもどしますが、

帰国したヴィクトリア号の船員、

さらにマゼラン海峡で逃亡し、

先に帰国したサン=アントニオ号の船員から

「(南米の最南端)マゼラン海峡より南に島影があった」

という話が伝えられます。

実際には、これはフエゴ島という別の島だったのですが、

当時、これが

「伝説の南方大陸発見か!?」

と、ちょっとした大事件になります。

で、この発見はさっそく地図に反映される事になり、

南極に大陸が書き込まれる事になります。

ただ、確定的な情報ではなかったので、

大陸の名称は、とりあえず「伝説の南方大陸」でした。

ちなみに、「伝説の南方大陸」は、ラテン語で

「テラ・オーストラリス(南方大陸)・インコグニダ(伝説の)」

と、なる訳で・・・。

これは、知る人ぞ知るという知識ではなく、

例えば、オーストラリアの観光案内などを見ると、

「オーストラリア」の語源としてこの話が書かれてたりします。

つー事は、

初めから当時の地図製作者は

この大陸を「伝説の南方大陸」という認識で書いている訳です。

オロンテウスの地図などでは、注釈文に

「最近ポルトガル人によって発見された大陸。

発見者の名をとって『マゼラニカ』とも呼ばれる」

と、いうような注釈文まで書かれています。

 

超古代から伝わる地図(航空写真)を元にしているといいながら、

地図の中に「幻の」とか、「最近」といった言葉がでてくるのはどうでしょうか?

 

余談ですが、17世紀ごろになると、

「真偽がはっきりしない」

という理由で、伝説の南方大陸は地図から消えてしまいます。

17世紀当時の地図にも、この事が明記してあります。

追記:

多くの地図からは消滅しますが、

存在は18世紀まで疑われ続けていました。

 

さらに余談ですが、このテの話でよく出てくるピリ・レイスの地図。

超古代文明が残した地図を参考にしているとか言われてますが、

その問題の地図が、これです。

この地図の右端にちょっと見えるのがアフリカ大陸、

左側が南米大陸、

で、下にあるのが「南極大陸」と言われている箇所ですが、

どー見ても、南米大陸と「南極大陸」が地続きなように見えるのですが・・・。

と、言うより、これは南米大陸の続きとして書かれているように見えてなりません。

ちなみに、「南極大陸」の箇所に書かれている注釈文には、

「灼熱の砂漠地帯で、めったに人もこない場所」

と、書いてあるそうで。

と言うよりなにより、これを見て

「あまりに精密かつ正確」

と評価するのは、ちょっとどうかと思う出来なのですがね。

 

追記:

西インド諸島のあたりに(地図の左上)四角い島があるのが分かるでしょうか?

これ、日本である可能性が高いそうです。

同時代の世界地図に描かれた日本と、

この地図のこの島の形状が酷似しているという研究発表が

近年アメリカでありました。

信長の所持していた地球儀に描かれた日本もこのカタチだとか・・・。

 

 

「炭素14」年代測定法は間違い

放射性物質「C14(炭素14)」を使った年代測定を

珍説派は「間違い」「不正確」とよく非難しています。

が、これは、今まで多くの人が同様の疑問をもって様々な検証を行い、

その結果として「信頼できる」という事になった年代測定法なので、

そうそう間違ってはいないと思うのですが。

(例えば、木の年代を「炭素14」で測定し、

その木の年輪から算出した年代と比較したりとか。

ちなみに、木の年輪から年代を算出する方法を「年輪測定法」といいます)

 

追記:

別章でも述べてますが、この測定法は、

『有機物の遺物』の年代を測定する方法ですので、

無機物に対してこの測定を用いると、

かなり古い年代になってしまいます。

 

 

そろそろ一旦締めようかと思いますが、ポイントは

1.珍説派は、「迫害される少数派」の立場に酔っていて、

定説派は「多数派の正義」に酔ってるのかね。

2.「定説」にこだわっているのは、学者先生達よりも

珍説派・定説派の人たちだね。

3.珍説派の人たちは、あまり調べもせず自説を展開してるの?

もしくは、不都合な事は無視してるの?

 

と、言うことでしょうか。

次は、アトランティス大陸の話とか、

地動説や大陸移動説の話とかしたいなぁ。

 

 

この話はひとまずこれで終わりです。


BACK  HOME