吸血鬼考


今回は吸血鬼に関する話を。

 

吸血鬼の初出と言うのは不鮮明なのですが、

かなり古い時代、東欧の「ストリゴイ」と呼ばれる存在の中にいた

血を吸う魔物がその起源だと言われています。

ちなみに「ストリゴイ」というのは「ストリガ(魔物)」の複数称、

日本の「百鬼夜行」のようなものです。

万聖節の前夜には(10月31日)ストリゴイが世にあふれる為に

家の戸口にニンニクなどを下げて自衛したそうです。

 

吸血鬼が「吸血鬼」として独立した存在になったのは

おそらく17〜18世紀ごろだと思われます。

18世紀にはヴァチカンが吸血鬼を公式に魔物として認知しています。

 

西欧諸国の中では吸血鬼と言うのはそれほど有名ではなかったようで、

社会現象を起こした狼男などに比べると、

相当マイナーな存在だったようです。

 

ただ、東欧では黒死病の流行などに平行して

吸血鬼の存在が何度か騒がれています。

この辺に関しては有名すぎるくらい有名なのですが、

誤診で死亡診断された人間が棺から出てきて・・・

というアレです。

大抵は遺族や村人の手で再度殺されたそうですが。

 

吸血鬼がメジャーな存在になったのは物語の中の事でした。

1847年「吸血鬼ヴァーニイ」という吸血鬼を主人公にした悪漢小説が

吸血鬼らしい吸血鬼の第1号なのですが、

こういった「悪」としての吸血鬼の登場する前、

詩や歌の中などでは、むしろ吸血鬼は悲劇的な対象として扱われています。

ゲーテの「コリントの花嫁」

ボードレールの「吸血鬼」とか。

 

吸血鬼物で最も有名な著作が1897にブラム・ストーカーによって書かれた

「ドラキュラ」でしょう。

東欧の吸血鬼伝承などや実在の人物などをベースとして書かれている為、

最も吸血鬼らしい吸血鬼が登場していると言えます。

 

ドラキュラ伯爵のモデルになった人物は、

トランシルヴァニア領主「串刺公」ブラド・ツェペシュなのは有名な話。

しかし、ドラキュラの名前の由来となったのは彼の父「ブラド・ドラクル」では?

ツェペシュの父ブラド公はヨーロッパを度々イスラムの脅威から救った英雄で、

ドラクル=龍の称号を与えられた人物です。

が、ブラド公ドラクルは度重なるイスラムの侵攻に耐え切れず、

とうとうイスラム側に寝返ってしまいます。

この後、ブラド・ツェペシュは人質としてイスラムに渡ったりと

多難な日々を送りますが、父の死によって再びトランシルヴァニアへと帰ります。

家臣の忠誠心の低下が問題視されていたこの時代、

彼は大規模な構造改革(今風に言えば)を行います。

就任直後、彼は家臣全員を城の広場に集め

3人以上に仕えた経験のある家臣をその場で殺してしまいます。

この後も、自身の意にそわない人間を粛清しながらも内政に勤め、

民衆からは名君と称えられていました。

就任8年ほどで戦死してしまうのですが。

 

ここからは社会学の領域になるのですが、

ドラキュラのモデルにはもう一つ説があります。

「反セム主義」という言葉をご存知でしょうか?

簡単に言ってしまえばユダヤ人迫害なのですが。

 

ユダヤ人迫害と言うと、ほとんどの人はドイツを連想するかと思われますが、

19世紀のヨーロッパで「反セム主義」が吹き荒れていたのは、

ポーランドやフランス、そしてイギリスでした。

 

この時代、大量のユダヤ人移民がポーランド等を経由して

西欧諸国へと流れ込んで行きます。

多くの国は最初移民を受け入れていたのですが、

やがて大勢の移民を受け入れてしまったための雇用問題や住宅問題、

治安上の問題などが起こり、

最終的にはユダヤ人による世界侵略説が出たり、

河川の異臭(産業革命による公害)もユダヤ人のせいになりました。

特にフランスやイギリスではユダヤ人はまるで害毒のように扱われ、

イギリス政府は公的にユダヤ人移民をシャットアウトし、

一部のユダヤ人の人々を国外退去させたりします。

 

余談ですが、この時期最後までユダヤ人移民に寛容だったのはドイツで、

結果的にフランスやイギリスからはじき出されてしまったユダヤ人移民を

大量に抱え込んでしまいます。

20世紀、ナチ党が政策としてユダヤ人問題を取り上げ、

(ある歴史家によれば、ナチ党は単に民衆受けしそうな政策を打ち出そうとしただけで、

特に他意は無かったそうです。)

政権奪取後、政策として打ち出していた関係上とりあえずこの問題に取り組むのですが、

国内のユダヤ人が想定外に多かったために(ポーランド併合後の話)

次々に収容所は定員を超えていき、

最終的にホロコーストへの道を進まざるを得なかったそうで。

 

ブラム・ストーカーが「ドラキュラ」を発表した19世紀はこんな時代で、

「ドラキュラ」は「反セム主義」の影響をかなり受けているそうです。

と、言うよりブラム・ストーカー自体が反ユダヤ主義者だったのかも知れませんが。

 

ドラキュラ伯爵の容姿「はげ頭・とがった耳・猫背・くぼんだ目」というのは

当時のユダヤ人のイメージそのままだそうです。

ドラキュラ伯爵がトランシルヴァニアからイギリスへ渡るルートも、

当時のユダヤ人移民者がイギリスへ向かうルートであるそうです。

ドラキュラ伯爵の行動自体が、当時のユダヤ人侵略説そのままの行動だそうです。

 

無茶な説かも知れませんが、

当時のヨーロッパは、実際こんな時代だったということで・・・。

 

最後にまた余談ですが、

ドラキュラ伯爵と言えば、みなさんタキシード姿の紳士を想像すると思います。

原作を知らない人にはドラキュラ伯爵の容姿が

「はげ頭・とがった耳・猫背・くぼんだ目」

と言ってもピンと来ないかも知れません。

どうしてタキシード姿の紳士になってしまったのでしょう?

 

原因は映画です。

 

確かに、ムルナウ監督やヘルツォーク監督の映画「ノスフェラトウ」では

「はげ頭・とがった耳・猫背・くぼんだ目」のドラキュラが出ています。

問題の映画はトッド・ブラウニングという監督が撮った

「魔人ドラキュラ」で、主演のベラ・ルゴシの意向によって

こんなになっちゃいました。

 

このベラ・ルゴシという人はこの映画で一躍有名になったのですが、

ヒット映画はコレだけで

この後は「アボット&コステロの凸凹フランケンシュタイン」とか

なんかパッとしない映画に出つつ、

遺作はエド・ウッドの「プラン9 フロム アウタースペース」。

 

あれ?映画の話になってる。

 

・・・この話はひとまずこれで終わりです。


BACK  HOME