今回は吸血鬼に関する話を。
ちなみに「ストリゴイ」というのは「ストリガ(魔物)」の複数称、
日本の「百鬼夜行」のようなものです。
万聖節の前夜には(10月31日)ストリゴイが世にあふれる為に
家の戸口にニンニクなどを下げて自衛したそうです。
吸血鬼が「吸血鬼」として独立した存在になったのは
おそらく17〜18世紀ごろだと思われます。
西欧諸国の中では吸血鬼と言うのはそれほど有名ではなかったようで、
社会現象を起こした狼男などに比べると、
相当マイナーな存在だったようです。
ただ、東欧では黒死病の流行などに平行して
吸血鬼の存在が何度か騒がれています。
この辺に関しては有名すぎるくらい有名なのですが、
誤診で死亡診断された人間が棺から出てきて・・・
というアレです。
大抵は遺族や村人の手で再度殺されたそうですが。
吸血鬼がメジャーな存在になったのは物語の中の事でした。
吸血鬼らしい吸血鬼の第1号なのですが、
こういった「悪」としての吸血鬼の登場する前、
詩や歌の中などでは、むしろ吸血鬼は悲劇的な対象として扱われています。
吸血鬼物で最も有名な著作が1897にブラム・ストーカーによって書かれた
東欧の吸血鬼伝承などや実在の人物などをベースとして書かれている為、
最も吸血鬼らしい吸血鬼が登場していると言えます。
ツェペシュの父ブラド公はヨーロッパを度々イスラムの脅威から救った英雄で、
ドラクル=龍の称号を与えられた人物です。
が、ブラド公ドラクルは度重なるイスラムの侵攻に耐え切れず、
とうとうイスラム側に寝返ってしまいます。
この後、ブラド・ツェペシュは人質としてイスラムに渡ったりと
多難な日々を送りますが、父の死によって再びトランシルヴァニアへと帰ります。
家臣の忠誠心の低下が問題視されていたこの時代、
彼は大規模な構造改革(今風に言えば)を行います。
就任直後、彼は家臣全員を城の広場に集め
3人以上に仕えた経験のある家臣をその場で殺してしまいます。
この後も、自身の意にそわない人間を粛清しながらも内政に勤め、
民衆からは名君と称えられていました。
就任8年ほどで戦死してしまうのですが。
ユダヤ人迫害と言うと、ほとんどの人はドイツを連想するかと思われますが、
この時代、大量のユダヤ人移民がポーランド等を経由して
西欧諸国へと流れ込んで行きます。
多くの国は最初移民を受け入れていたのですが、
やがて大勢の移民を受け入れてしまったための雇用問題や住宅問題、
治安上の問題などが起こり、
余談ですが、この時期最後までユダヤ人移民に寛容だったのはドイツで、
結果的にフランスやイギリスからはじき出されてしまったユダヤ人移民を
大量に抱え込んでしまいます。
20世紀、ナチ党が政策としてユダヤ人問題を取り上げ、
(ある歴史家によれば、ナチ党は単に民衆受けしそうな政策を打ち出そうとしただけで、
特に他意は無かったそうです。)
政権奪取後、政策として打ち出していた関係上とりあえずこの問題に取り組むのですが、
国内のユダヤ人が想定外に多かったために(ポーランド併合後の話)
次々に収容所は定員を超えていき、
最終的にホロコーストへの道を進まざるを得なかったそうで。
無茶な説かも知れませんが、
当時のヨーロッパは、実際こんな時代だったということで・・・。
最後にまた余談ですが、
ドラキュラ伯爵と言えば、みなさんタキシード姿の紳士を想像すると思います。
原作を知らない人にはドラキュラ伯爵の容姿が
「はげ頭・とがった耳・猫背・くぼんだ目」
と言ってもピンと来ないかも知れません。
どうしてタキシード姿の紳士になってしまったのでしょう?
原因は映画です。
確かに、ムルナウ監督やヘルツォーク監督の映画「ノスフェラトウ」では
「はげ頭・とがった耳・猫背・くぼんだ目」のドラキュラが出ています。
問題の映画はトッド・ブラウニングという監督が撮った
「魔人ドラキュラ」で、主演のベラ・ルゴシの意向によって
こんなになっちゃいました。
このベラ・ルゴシという人はこの映画で一躍有名になったのですが、
ヒット映画はコレだけで
この後は「アボット&コステロの凸凹フランケンシュタイン」とか
なんかパッとしない映画に出つつ、
遺作はエド・ウッドの「プラン9 フロム アウタースペース」。
あれ?映画の話になってる。
・・・この話はひとまずこれで終わりです。