子捨・姥捨の話


今回は久しぶりに話をもどそうかと思います。

 

先日、日光へ行ってきました。

その際、諸事情で「たくみの里」とかいう所へ行ったのですが、

自分としては何もすることが無かったので

周囲の寺社をさまよってました。

で、何とかと言う神社に立ち寄ったのですが、

そこで面白い(不謹慎)ものを見つけました。

 

と言っても、ただの小さい祠で、

そこには淡路大明神という神サマが祭られていました。

何が面白いかと言うとその祠の建立の由来で、

「屯中有信者浄財之建」

ようするに村中で金を出し合って建てたという訳。

女性や子供にご利益があって、

水子の供養にも一役かっているようです。

 

こういうのは、大抵「口減らし」の風習の名残りです。

 

「口減らし」というのは、

家族が多すぎると食べていけなくなるので

家族の人数を抑制しようというもので、

要するに新生児や年寄りを殺してしまう

というものです。

 

どうにも残酷な風習ですが、どうも昔はごく一般的だったようです。

 

子殺しの方法としては、

出産の時に水をはったタライを用意して生まれた子をそこに沈めたり、

またはそのまま川に沈めたり、というのが一般的だったようです。

民俗学的には、これがカッパの由来だそうです。

カッパを「河童」、河の童と書くのはその為だそうです。

個人的には「水子」という言葉の由来もそうじゃないかと思ってますが。

 

老人殺しの方はと言うと、

別にこちらはダイレクトに実力行使に出る訳ではなく、

働けなくなった老人を山野に「捨てる」そうです。

昔「姥捨山」という映画があったような気がしますが、

要するにアレです。

こちらは「山姥(ヤマンバ)」や山人の由来だそうです。

「安達が原の鬼女」の起源もこれかな、と思います。

こちらはあまり供養されたりと言うケースが無く、

伝承として残っているのが多いようです。

 

こうして見ると、子供のほうはどちらかというと供養の対象なのに対し、

(河童寺とかもあるし)

老人のほうはむしろ避けようとしているような気がするのですが・・・。

(立ち入りを禁じたりとか)

 

やはり「新生児殺し」と「親殺し」との

罪の意識の違いなんでしょうか?

 

 

この話はひとまずこれで終わりです。


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