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 このページの「言葉」は、いくつかの例外を除き、基本的に自分が感じたことを、極力自分の言葉で書いています。

 小さい頃から、なんだかよくわからない抽象的な言葉、どうとでも受け取れる、短い言葉が頭を掠めることがありました。

 原因は、親がやっている俳句を模倣してやっていたせいかもしれないし、本を読むことが昔から好きだったせいかもしれないし、小さい頃から自分の師となった人が比較的言葉というものを大切にしていた人が多かったせいかもしれません。

 まぁ、この際原因はどうでもいいでしょう。

 問題は、その頃頭をかすめた言葉は、ただ掠めただけでした。つまり、数分後にはそのほとんどを忘れ、次の日に自分が目覚めるときにはその言葉の全部と言っていいくらいのものが、頭の中にその欠片ですら残っていませんでした。

 もったいないなと考え始めたのは、その忘却の網をくぐり抜けてきた数少ない言葉が、少なくとも自分にとっては意味のあるものだったからです。
 もしかしたら、その言葉が生まれた当初はそのような解釈を望まれたわけではないのかもしれませんし、また逆にそのような意味のある言葉だから残ったとも、考えることも出来ます。

 ただ、意味のある言葉であっても、

「そのときの自分」

「その時から比較的近い時間の枠にいる自分」

にとって意味のある、いわゆる「タイミング」の良かった言葉である可能性が高い様な気がします。

 つまり、今この瞬間に生まれた言葉が40年後に役に立つ言葉である場合、恐らくその言葉は意識的に残す努力をしない限り、その存在の残骸ですら見つけることも不可能でしょう。

 また、もったいないと思い始めたもう一つの理由は、そのような言葉が目に見えて減ってきたからです。原因は…止めましょう、原因など問題ではないのですから。



 「健康のありがたみは、失ってからわかる。」



 英作文でよくあった一文ですが、やはり真実だと思います。これは、健康に限った話ではなく、当たり前のものが実は当たり前ではないという極々あたりまえの事を語っているんですね。


 噛みしめて、噛みしめて、踏みしめて、踏みしめて。


 逃げ出す自分を全否定せず、戻ってこれる余地を残し。





 なんてことを、最近感じております。










P.S.本日「合格」の栄冠を得た方々、「おめでとう」



2001/04/26 原点