| ポジション | 氏名 | 越智先生のコメント |
| 投手 | (1985年度) 大谷 範仁 |
東京随一の投手。春季大会で支部大会から7戦を一人で投げぬき、 チームを優勝に導いた。キャプテンも勤める。 |
| 捕手 | (1999年度) 野田 宏和 |
相手バッターの癖をよく読み、投手をよくリードした。 強肩、長打力。 |
| 一塁手 | (2000年度) 堀口 勝裕 |
東京随一の一塁手。中途からエースとしても活躍。 |
| 二塁手 | (1997年度) 川瀬 功次郎 |
堅実な守備が光る。 |
| 三塁手 | (1979年度) 高橋 剛 |
鉄壁の3塁手。送球はいつも山なりであったが、 正確かつ確実にランナーをアウトにした。キャプテン。1982年度監督。 |
| 遊撃手 | (1985年度) 大石 直 |
100m11秒の俊足と華麗かつ堅実な守備で右に出るもの無し。 貧打のチームの中で打撃力もあり。 |
| 左翼手 | (1996年度) 吉田 紘二 |
強肩。打撃力もあり、当打のバランスのとれた選手。投手としても活躍。 |
| 中堅手 | (1980年度) 花田 修一 |
強肩。俊足を生かした広い守備範囲を誇る。 |
| 右翼手 | (1994年度) 星野 友彰 |
強肩。投打のバランスのとれた選手。 |
| ポジション | 氏名 | 越智先生のコメント |
| 優秀打者 | (1999年度) 浅井 眞吾 |
強肩、長打力。打撃への執念強く研究熱心。 キャプテンも勤める。 |
| 優秀代打 | (2001年度) 田中 隼平 |
夏季大会準々決勝 対日大三高戦でさよならヒット。 |
| 優秀 救援投手 |
(2000年度) 有賀 英明 |
一塁から投手に回った堀口を助けて救援の役割をきっちり果たした。 |
| 優秀監督 | (1982年度) 佐々木 春光 |
野球のセンス抜群。三塁手、捕手いずれのポジションもこなすキャプテン。 1985年度春季大会都優勝チームの監督。 |
| 優秀 キャプテン |
(1976年度) 楡井 裕充 |
軟式野球部が正式に大会登録を許された最初のキャプテン。 同好会になったばかりで、校内での部の評価が不安定な時期によくチームをまとめ、他部員と協力して部発展の基礎を作った。 三塁手。1978年度監督。 |
| 優秀 マネージャー |
(2001年度) 渡辺 広樹 |
監督の意図を読み取って先に先に手を打ち行動する名マネージャー |
| 順位 | 氏名 | 越智先生のコメント |
| 第1位 | (1978年度) 岡安 伸浩 |
軟式野球部発足以来初めての本格マネージャー。 マネージャーの役割を明確にし、その役割に徹してチームを支えた。 科学技術学園のグラウンドで彼が主審を務めていた時、バックネットの後ろから役員の一人が何かの注意を指示したのを試合中の両チームに正確に伝えたことで、その場にいた数人の役員に感心されていた。 |
| 第2位 | (1984年度) 野本 大輔 |
確実な守備と打撃力。 当時絶好調の大谷投手から5割の打率を挙げている。 夏季大会での活躍が期待されたが、チームが開会式出席を忘れ、大会不出場になった為、その活躍も幻に終わった。 |
| 第3位 | (1987年度) 藤田 航平 |
野球が好きであるのに上級生との折り合いが悪く一度退部した。 その後再入部を希望してきたが許可しなかった。しかし、それからも再三入部を希望し、最後は涙ながらに申し出てきたので、ついに特例で再入部を許可した。それからはチームのムードメーカーとなって部を盛り上げた。卒業後も合宿等練習に積極的に参加し、部員達に良い刺激を与えてくれた。 |
| 順位 | 試合 | 越智先生のコメント |
| 第1位 | (1974年度) 春季大会 1回戦 対 瑞穂農林 |
校内の手続き上のミスで間違って大会登録。初めて公式試合に出る。 支部大会 対 瑞穂農林戦 22-21 で初戦勝利 (2回戦はボロボロに負けて試合にならず) |
| 第2位 | (1985年) 春季大会 準決勝 対 江北戦 |
優勝した年の都大会準決勝。初回、ヒット、盗塁、送りバントでランナー3塁。 3番バッターにセンターフライを打たれ、タッチアップで1点先制点を許す。 その後6回・7回に1点を取り、2-1の逆転勝ち。関東大会出場を決める。 |
| 第3位 | (2001年度) 夏季大会 準々決勝 対 日大三高 |
準々決勝 対 日大三高戦(2002年7月29日 稲城市民球場) 両チーム初回に1点ずつとり、その後0行進。 9回2アウト3塁で代打。ライトオーバーのヒットでサヨナラ勝利。この年都3位。 |
| 項目 | 回答 |
| 誕生日 | 1940年10月18日 |
| 血液型 | A型 |
| 出身地 | 愛媛県 |
| 顧問暦 | 【年はやや曖昧との事】 1969年〜1970年 レスリング部 1971年〜1973年 速記部 1974年〜2006年 軟式野球部部 |
| この度は私のために退職記念祝賀会を開いてくれてありがとう。 30数年前に四面楚歌の中で部を立ち上げたものの、あとは野球の指導を歴代OBの諸君に任せきりで、特に20年前に篠先生がみえてからは、文字通り「丸投げ」して随分楽をさせてもらい、その分先生を始めOBの諸君にも負担を掛けてしまったと反省している。それにもかかわらずこの度の「会」を企画してもらって、年度末の多忙な折に貴重な時間を割いて準備に当たってくれた幹事の諸君に心からお礼を言いたい。 昨年は、軟式野球連盟創立50周年記念にあたって篠先生とともに私も連盟から表彰され、始めは何となくおこがましいような申し訳ない様な気持ちでいたが、今は開き直ってまるで野球殿堂入り(?)でもした様な気分になっている。これも偏に歴代OBの諸君がわが部を支え続けてきてくれた賜物と感謝している。これからも出来るだけ活動の邪魔にならない様気をつけながら部を応援していきたいと思っている。 言うまでもないことだが、篠先生には本当に感謝している。言葉では言い尽くせない。余計なことをいう様だが、特に学生OBの諸君は先生から声が掛かるまでもなく、可能な限り時間を作って積極的に練習に参加し、先生を手助けして下さい。 定年後は、一年の半分は東京で半分は田舎で農作業に勤しむ、そんな生活になるかなと漠然と考えている次第。 実家は「しまなみ海道」に近いところにあり、比較的便利のよいところなので自分の田舎のつもりで遊びにきて下さい。歓迎します。 |

