久保寮
兵庫県神戸市西区伊川谷町有瀬754番地
078-974-5925(呼出)
A.T.C.〜 Southern Breeze KOBE の昔の本拠地。アパートタイプの普通の学生寮 久保寮の裏にあった庭付き一戸建て。以前は“久保寮別館”とか“neo久保寮”と呼ばれていたらしい。1996年3月に閉鎖され、後に世界遺産に指定された(嘘)
■Gallery3+ でもっと沢山の久保寮の画像(計28カット)を公開しています。
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玄関先
久保寮の玄関先。
昼休みのミーティングが終ると、午後の講義をブッチしてここに集まって、それぞれの愛車を洗車&整備。R428のワインディングや六甲山、林崎の海などへと走りに行った。
CR-X が駐まっているあたりは、主に洗車場として使われてた場所だけど、水を出し過ぎるとぬかるんで、とても洗車どころではなくなってしまう。
手前の RF400R が駐まっているあたりはコンクリートが敷かれていて、主に整備場。ツーリングの前後には、入り切らないぐらいの単車と車が並べられ、それぞれの手で整備されていた。段差があるので、シャコタンは進入不可で、単車は立ちゴケ注意だ。
奥の玄関前の軒下は、偉いもん順で2台限定の特別駐輪場と夜間の整備場。分解した単車が組み上がらないと、薄暗い電球の光で夜遅くまで頑張った。
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庭???
誰かの GSX-R1100 のフレーム&エンジン。
一行さんの ZEPHYR400 のエンジン&折れた足廻り。三原さんのフォークの折れた FZR。大道さんか安芸さんの GSX400 のカウル。たぶん、私が知るよりずっと昔の先輩の 初期型 GSX750R のアッパーカウル。朝顔のつるが巻きついてしまった古いスクーター・・・
裏にはかつて日下部さんの愛車だったと聞いている CBX400R と、皆の何年分だかわからない使用済みエンジンオイルが入った大型トラックの100リッター燃料タンク。
カストロールの廃油を吸って沢山の実をつけるキウイフルーツの木が生え、どこを掘ってもネジが出てくる不思議な庭。
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ピンクの電話
台所の前に置かれていたピンクの電話機。携帯電話なんて誰も持ってなかった時代だったから、通信手段はこれしかなかった。困った事に小銭が一杯になると掛からない。そんな時には裏技があって・・・逆さにして振り回すんだ。
手前にあるのは、誰が盗んで来たのかわからない“明石ステーションデパート”のオレンジ色のプラスチックの椅子。確か表にはR2垂水の海沿いのレストラン“Weather Report”に置かれていたと思われる Sometime Lights の白と緑のパラソルとか、明らかに公共の場所から持って来たと思われる Smokin'Clean の背の高いスタンド灰皿なんてのもあった。
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伝説の冷蔵庫
台所に置かれていた伝説の冷蔵庫。
歴代の持ち主(安部さん&日下部さん)の名前が連ねられ、
“神の五ヶ条”
■いつも新鮮
■無断で開けるな
■ざけんじゃねー
■中身の軽量化
■乳製品は禁止
※ゲリピーのもと
などとマジックで書き殴られていた。ちなみに“神”は神様の“神”ではなく、神崎さんの“神”らしい。
私の知る限りでは、まともに食べられるものが入っていた事は滅多になく、ほとんど全て賞味期限切れ。数年前のバーベキューに使ったきり放置されて、熟成され尽くした焼肉のたれとか、1年ぐらい放置されてしわしわになった林檎など、とんでもない物が発見される。
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歴代OBの名刺
台所の柱に錆びた画鋲で留められてた、歴代のOBの名刺。
卒業してから久保寮に最初に立ち寄った時に、画鋲で留めるのが慣わし。古い先輩ほど、紙がやけて色褪せていく。
ロンツーの前夜などには、仕事帰りのスーツ姿のままの先輩達が駆けつけたりして、そのまま飲みに行って夜中まで騒ぐんだ。
そうやって、自分の名刺を画鋲で留め、卒業してから入った顔を知らない後輩を引き連れて、羽振りよく飲みに行く日を夢見ていた。
追い出しコンパの2次会で行ったスナックの、おねえさまのキスマーク付き名刺もさりげに混じってたりする。
※これらの名刺は、現在もコルクボードに画鋲で止めた状態で私の自宅にある。
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名刺の他にも、卒業した先輩方の結婚式のポストカードとか、誰が描いたのかわからない茶色のクレヨンで描かれた日下部さんや吉田さんの肖像とか、80年代のレーサーとか映画のポスターなど、いろいろ貼られていた。
いつの間にか色褪せたり、無くなったりしていたけれど。
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2階
玄関の真上、2階に上がる階段脇には寮というには不似合いな吹き抜けがあった。
1階には和室が2つ、2階には和室3つと洋室が1つあり、私の住んでいたのは階段を上がったところにある6畳の洋室。元は魚崎さんが住んでいらっしゃった部屋だ。
シングルベッドと留守番電話、カーテンレールに吊るしたスーツとジャケットがカーテン代わり。
夜になると後藤や松原・森脇達の代がよく遊びに来ていた。とん平で食事して、部屋で一服して、神戸港などに走りに行って、また一服。そうやって夜明け前になると帰っていく。
東向きと南向きの窓があり、夏場は日が昇るとめちゃくちゃ暑く、徹夜で走った次の朝はベッドの影で眠っていた。逆に、階下が開けっ放しの玄関でさらに床がフローリングだったから、冬場はとても寒く、コタツが布団代わりだった。
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灰皿と空き缶
大勢で集まると、部屋は煙で真っ白になり、吸殻と空き缶の山が出来た。時々、どれが灰皿代わりで、どれが飲みかけのコーヒーかわからなくなる事がある。
当然、煙草入りのコーヒーを飲んでしまった事は数知れず。
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家賃金領収之通
久保寮の家賃領収通帳。
現金とこれを持って隣に住む大家さんに納めに行く。
銀行振込不可。数ヶ月忘れていると(忘れたフリをしていると)大家さんから催促が入る。
今、考えると極めてアナログで、便利なんだか不便なんだかよく判らないが、支払日の記録を見る限り、常に3ヶ月遅れぐらいで払ってた様なので、あの頃の僕らにとっては、たぶんその方が都合が良かったんだろう。ちなみに当時、苦労せずには払えなかった家賃は¥12,000〜¥18,000。
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