0025. 冷静かつ客観的な視点を

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2026年2月1日掲載、2026年2月13日更新

 いつも思うことがある。
  1. 「小泉・竹中は日本をだめにした」というのは本当か。
  2. いつまでも進展しない拉致問題。
  3. 「靖国参拝は中韓を刺激する」というのは本当か。
  4. 物価高対策や我が国の巨額の債務の問題と消費減税論の是非。
  5. 日本は核武装すべきなのか。
などなど。

 インターネットやSNSは便利であるが、読んだ後にいつも思うのは、「なんでそう言えるのか」、「それは本当か」、「情報源や根拠は何か」ということだ。よく読んでみると、それらが明らかにされていないものがたくさんある。私は政治・経済の専門家ではなく、平均に比べても持っている、あるいは得られる情報量が多い方ではないと思うが、私にできるかぎりの手段によって、上の私の疑問を一つ一つ検証してみたい。

 まず一つ目。まず「小泉・竹中」とは言うまでもなく、小泉純一郎内閣総理大臣と、その内閣で経済財政政策担当大臣・金融担当大臣・郵政民営化担当大臣・総務大臣を歴任した、経済学者の竹中平蔵氏のことである。これも言うまでもなく、小泉内閣には竹中氏のほかにも閣僚はたくさんいて、法令にのっとって閣議やさまざまな会議等が行われ、必要に応じて国会での審議を経て政策が実行された。今では首相官邸ホームページなどを通じて、議事録を始めかなりの割合で審議に関する資料が公開され、閲覧することが出来る。「小泉氏と竹中氏が二人で決めた」という事実はないのであるが、「小泉・竹中は…」と書かれると、いかにもこの二人が決めて物事を進めた、という印象を与えられる。小泉政権の政策に反対するのならば、政権としての決定事項に賛成した全員に向かって、なぜ糾弾しないのか、怒りをぶつける相手を間違えている。その閣僚は、小泉総理大臣が憲法の規定にしたがって任命したものであり、不服があるのならばなぜ「憲法改正」に動かないのか。

 「小泉・竹中」という字面(じづら)は、私の知る限りでは電車の中刷り広告の、週刊誌の見出しでよく見かけた。統制国家とは違って日本には「言論の自由」があり、相手や社会に損害を与えると認められない限り、なんでも言える社会である。上述した通りこの二人が政策を進めた事実はないわけで、すなわちこの言葉は、マスメディアや出版社による造語、ある種のレッテルであると言える。

 それでは、「小泉改革」とは、改めて何だったのか。代表的なものは、不良債権処理、道路公団民営化、三位一体の改革(「国から地方へ」の改革)、労働者派遣事業の規制緩和、郵政民営化などが挙げられる。一つの政権でこれだけ実行に移されたのも、なかなか見られない。裏を返せば、当時の日本に、それだけの問題が山積していたという事だ。

 私事だが、私は最近歯医者で抜歯した。抜歯と言えば一種の手術に当たる。手術は短時間で終わったが、その後しばらくは、患部には痛みがあり、また腫れや出血もしばらく続いた。食事をするのも一苦労である。虫歯とは言え、それまで自分の体の一部であったものを取り除いたのである。生体である私の体が自然現象として防御反応をしたと見られる。そのような副作用を承知で手術が必要なのは、放置しておけば状況はもっとひどくなり、炎症や痛みの持続・増大、周囲組織への感染の波及、隣接する歯が虫歯になったり歯周病が悪化したりすること、嚙み合わせやあご間接に悪影響を及ぼすことなどが目に見えているからだ。

 それと同じで、小泉政権が発足した平成13年(西暦2001年)の当時、日本は全身に病気をかかえる患者のような状態で、大胆な手術が必要であった。「失われた10年」と呼ばれ、平成2年から3年(1990年から1991年)頃のバブル経済の崩壊に始まり、金融機関は不良債権をかかえ、山一證券や拓銀の破綻なども相次ぎ、公共事業の実施・住専(住宅金融専門会社)への資金注入なども功を奏さず、長く経済が低迷した。小泉総理は所信表明演説で、「今日の痛みに耐え明日をよくしようとする米百俵の精神が必要」と唱え、「聖域なき構造改革」の名のもとに手術に踏み切ったのである。

 結果、小泉改革で最後までやり遂げられたと評価できるのが二つ、不良債権処理と郵政民営化である。金融機関の総融資額に対する不良債権比率は、当初の8.4パーセントから1.9パーセントにまで下がった。下がり続けていた株価は反転して上昇し、市場に信用が回復された。また郵政民営化によって「第二の予算」と呼ばれていた財政投融資の仕組みを断ち切り、巨額の郵便貯金・簡易保険資金が特殊法人等の「官」から民間に流れるようになり、効率化された。民営化されたゆうちょ銀行は銀行法の適用を受ける民間企業となり、国庫に法人税を納める立場となった。利用者にとっては、ゆうちょ銀行と他の民間銀行との間で安全かつ効率的に振り込みが可能になった。大きなメリットが生じたと言える。

 上述の、「小泉・竹中」をやり玉に批判する論調に特徴的なのが、「小泉改革によって労働者派遣事業の規制が緩和されて派遣労働者が増え、正規労働者との間に大きな格差が生じ、日本が格差社会になった」というものである。本当か?

 これには竹中氏が明快に反論している。社会の賃金格差を定量的に評価する、「ジニ係数」というものがある。著書を読めば視覚的に確認できるようにグラフ化されているが、21世紀になってから、世界各国のジニ係数は増加、すなわち格差が増大する方向に変化していて、日本も同様になっている。それを細かく見ると、小泉政権の2001年から2006年頃の間には、係数は増え続けてはいるが、その伸び方、グラフの傾きは、若干緩やかになっている。すなわち、小泉政権で、格差の開き方は小さくなったのである。小泉政権が終わった後の2008年の年末には、いわゆる「年越し派遣村」としてマスメディアに大きく取り上げられ、生活に窮した派遣労働者たちが集う姿がメディアをにぎわしたが、それは東京のある一部を取り上げたにすぎず、全体を正確に反映したものとは言えない。また、そこに集まった人たちが全員雇止めに会った派遣労働者であるという保証もなく、派遣労働とは無縁の人も混じっていたという疑いもある。「派遣村」の騒ぎを見て「日本は格差社会になった」、「これは小泉・竹中のせいだ」というのはあまりにも短絡的である。竹中氏の他の反論としては、「私は厚生労働大臣を務めてはいません」とあり、竹中氏が日本の労働者の構成を変えたという事実もないのである。

 批判をするのも自由である。しかし、それを聞く者に、明快な判断材料を提供するのも、発言者の義務ではないか。竹中氏の主張や反論に特徴的なのが、「その件の当時の予算額が〇〇兆円で…」とか、「そのときの労働人口が〇〇万人で…」とか、とにかく定量的な情報を示し、聞く者が客観的に判断することを可能にしている。対して批判する側の主張は、「派遣労働者が増えた」、「格差が拡大した」と言うだけで、聞く者が検証することができない。どちらが説得力のある意見か、論を待たない。



 二つ目、北朝鮮拉致被害者の問題について。もうこれまで何度も書いたが、拉致が発生してから、何十人の総理大臣が就任したか。政府認定の被害者17人のうち、帰ってきたのは5人のみ。それも、上述の小泉内閣のときだった。私は平成14年(2002年)の当時、「北朝鮮を小泉総理大臣が訪問する」というニュースに、驚いた覚えがある。そして当時の金正日(キム・ジョンイル)総書記と会談し、北朝鮮は拉致問題を認め、謝罪した。さらに驚いたことに、被害者のうち5人が、帰ってきたというのである。

 「すごいニュースを見た」と思った。そして、この上もなくうれしかった。と同時に、ご家族には申し訳ないが、それまで「拉致問題」というものの存在をまったく忘れていた自分に気が付いた。この件においても、私は小泉総理大臣という人を、立派な人だと思う。他の人にはない「突破力」を持った人だ、そう感じた。それまで「タブー」とされていたものにメスを入れる、「パンドラの箱」を開ける、普通の人にはまねのできない芸当をやってのけた。私はその後、続々と拉致被害者が日本に帰ってくるものと思った。

 しかし、その後いっこうに1人も帰って来ないのは、周知のとおりである。異常である。人命問題である。向こうにいるのは分かっているのである。なぜ総理大臣が動かないのか。「拉致問題は政権の最重要課題である」、お題目はもう聞き飽きたので、小泉総理のように、電撃的に動いてほしい。




 三つ目の靖国神社参拝問題。これも何度も書いたが、小泉総理を最後に、日本の総理大臣は、靖国神社を参拝しない。ならば、アメリカを訪れたときにも、アーリントン墓地を訪問しないでほしい。つじつまが合わない。外国に対しては、礼儀を守る。ひるがえって、自国民には、礼儀を守らない。筋が通らず、はなはだ失礼な話である。

 「0014」で述べた通り、「靖国神社には第二次大戦のA級戦犯が合祀されているので、日本の指導者が参拝するのは適切ではない」という中国・韓国の主張には正当性がない。一つは、過去の言動と矛盾していること、そしてそれ以前に、「A級戦犯」というものの意味と、参拝との因果関係の問題があることである。

 繰り返すが、靖国神社のA級戦犯合祀が報じられて以降、大平正芳・鈴木善幸・中曽根康弘総理大臣が合計21回の公式参拝を実施したことに対して中国・韓国は一切反応しなかった。日本のマスメディアが問題視しだして、さかんに訴えを続けた。それを機会に、あるときから中国と韓国の姿勢が変わり、日本に注文をつけるようになった。この態度の豹変ぶりは何か。中国・韓国には、この矛盾を説明してほしい。どこの国が、他国の国内で行われる慰霊行為に苦情を言うのか。内政干渉もはなはだしい。私は、日本と中国・韓国は仲良くすればよいと思うが、この問題に関しては、どの口がそういうことを言うのか、態度を改めてもらいたい。

 そしてA級戦犯の問題。日本国政府は、極東国際軍事裁判の結果であるこの結果を受け入れたという立場であり、その結果日本は国際社会に独立国家として復帰したわけであるが、これはひとえに、日本が戦争に負けた結果のことである。国際法上、戦勝国は敗戦国に対してさまざまな要求をすることができるとされるが、戦勝国が正義で、ルールを決めることができる、というのとは違う。戦争の結果と言うのは軍事力・経済力等の優劣の結果であって、敗戦国の権利も一定程度認められるべきである。さらに「A級戦犯」を規定した「平和に対する罪」というものは、「事後法を遡及して適用する」という大きな問題をもはらんでいる。何より、極東国際軍事裁判というものの形態が、「戦勝国が敗戦国を裁く」という、およそ「裁判」とは言えない正当性を欠く性質のものであることも忘れてはならない。

 さらに、A級戦犯が祀られていることと神社の参拝との因果関係についてであるが、神社の参拝すなわち戦没者の慰霊を禁じる、ということは、神社という存在そのものにかかわる問題で、そこには相当の理由がなければならない。ある行為をしたのちに亡くなった人物を祭神としていることを理由として、その施設への参拝を禁じるということは、できるのか。していいのか。しかも、それが文化も宗教的な考えも異なる外国によってなされる、というのは、「日本の中で行うことについて、他国のルールに従う」ということではないのか。まったく合理性も正当性もない。話にならない。



 四つ目の経済問題。今物価高、生活苦・経営苦を訴える声が大きく、また日本の中央・地方の債務残高がGDPの2倍を超えているという事実など、これも上述したように、大きな手術を要する大問題である。今衆院選真っ只中で、与党も野党も「消費税減税」を声高に訴えているが、これは、手術として適正な手法なのか。

 何より疑問なのが、新たに誕生した中道改革連合の野田佳彦共同代表が、消費税減税を唱えていることだ。彼こそ、総理大臣在任の最後に、「将来世代につけを残さない」と豪語して、消費増税に命をかけた張本人ではないか。どの口がそういうことを言うのか。言うのであれば、その第一声には、「皆様、間違ったことを言って申し訳ございませんでした。発言を撤回させてください。」とこなければならないのではないのか。面の皮が厚い、そして、有権者を愚弄するにもほどがある。

 なぜ消費税が必要なのか。それは、強力な財源としてであろう。では、なぜ財源が不足なのか。家計の見直しをした経験に基づいて言えば、収支を改善するには方法は二つしかなくて、入ってくる金額を増やすことと、出ていく金額を減らすことである。入るお金を増やすのは、将来への借金につながる公債の発行を除いて増税であり、これには大きな合意形成が必要になる。それでは、もう一つの支出の削減を考えてみる。今、日本の国家予算は120兆円を上回る規模である。私の記憶では、「日本の国家予算」というと、80兆円程度だ、というものであった。調べてみると、これは2000年代の話であった。それから40兆円も増えた。比率は、なんと1.5倍である。人口は減り続けているにもかかわらずこの状態である。支出が多すぎる。

 より多かった国民を養うのに、3分の2のお金でやっていけたのである。この増えた40兆円というのは、明らかな無駄ではないか。私の認識では、2008年のリーマンショックによる世界同時不況の頃から予算が無制限に増え始めてきた。予算の決定過程では、各省庁の財務省への概算要求というものがある。各省庁がこぞって要求額を増やしてきた。「財政出動」の美名のもとに、無制限に無駄遣いがなされてきたことを物語っている。徳川吉宗でも松平定信でも、財政を立て直すにはまず倹約である。政府の予算の縮小を真剣に考えるべきではないのか、私はそう思う。

 そして、正しい収入の増大法としては、何といっても経済成長である。イギリスのチャーチルの、「成長はすべての矛盾を覆い隠す」はまさしく正論で、経済成長が進まないことによってさまざまな問題が浮上してくる。それではその成長を起こすために具体的に必要なものは、改革の継続に尽きる。安倍政権で実施されていた国家戦略特区の推進、適正な規制緩和・税制改正など、やれることはいろいろあると思う。各人、抵抗や変化を恐れず、真剣に考えて知恵を出してほしい。



 五つ目の核武装に関する議論。人からどう思われているか知らないが、私は日本の核武装には絶対反対の立場である。広島・長崎の惨劇はいうまでもなく、平成23年(2011年)には、福島県の東京電力福島第一原子力発電所(原発)の大事故を、日本は経験したのである。核兵器が人間に与える被害の甚大さ・深刻さというものは、日本人は何十万人もの命と引き換えに学んだはずである。また、かつて中曽根康弘総理大臣は、
「核兵器というのは、持っていても使えない兵器なのです。」
と語っていた。まさしく正論だと思う。化学兵器・生物兵器と並んで、核兵器というものは、人類の愚かさを形にしたようなものと言える。その愚かさを国際社会に訴えるのに、日本ほど説得力を持って発言できる国はないと考える。昨今、二酸化炭素など温室効果ガスの排出削減を始めとする気候変動に対する世界的な取り組みが声高に叫ばれるが、これは人間の経済活動という必然性の産物である。一方、核兵器の開発というものは、それがなくては人類が存続できないというたぐいのものではない。対立する勢力に対する「抑止力」という固定観念にとらわれ、各国が疑心暗鬼の波に逆らえなくなっている現象であると考える。使い方を一つ間違えれば、全人類の破滅をも招き得る破壊力を持ったものであるとの認識を忘れてはならない。その悪しき流れを変えられるのは、唯一、実際に被害を受けた者、すなわち日本からの情報発信がこの上なく重要で、人類の未来にとって必要と考える。核兵器を作るのは簡単、それを安全に処理するのにはその何倍ものエネルギーと時間を要する。日米同盟は重要だと思うが、私は、今からでも遅くはないので、被爆国としての日本の立場を忘れることなく、地球上から核兵器を廃絶するよう、日本の独自性を発揮して、世界の中でリーダーシップをとって先頭に立つ覚悟を求める。まずは、核兵器禁止条約の批准を切に希望する。


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 以上、冒頭に挙げた五つの問題について述べたが、いろいろ筋の通らないおかしなことだらけである。政治には生活全般のあらゆる知識が必要とされる。今は、その政治の重要事項を決める選挙の時期である。候補者はどう優先順位をつけて政策を訴えるかを判断し、有権者はそれを的確に見定めて投票を行わなければならない。今まで自民党と連立を組んできた公明党が離れた大義名分としては、自民党の政治資金問題を挙げた。本当か。公明党には、一切政治資金問題はないのか。他党も含めて、野党の政治家たちは、自民党の、いわゆる「裏金議員」を非難して支持を集めようとしているのを見かけるが、これまで、野党の議員にも政治資金問題が報じられるのを見てきた。だから、私は野党が言うほど自民党を悪く思えないし、野党の言う事はあまり信用できない。

 日本が経済成長に舵を切り、財政健全化の道筋が見え、拉致被害者・特定失踪者が全員無事に帰還を果たし、天皇陛下と総理大臣は毎年終戦の日に靖国神社に参拝し、現状にそぐわない憲法9条は全面的に改正し、「唯一の核被爆国」として地球上の核兵器廃絶のリーダー的役割を果たし、日本が誇り高く他国から尊敬され、一目置かれる素晴らしい国として国際社会に君臨する、そんな日が来るのを夢見ている。

 筋の通った政治を望む。


小泉純一郎
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©2017 KONISHI, Shoichiro.