0019. やはり偏った「サンデーモーニング」のコメンテーター陣

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2025年6月8日掲載

 本日放映された、TBSテレビの情報番組「サンデーモーニング」。司会が関口宏氏から膳場貴子氏に代わって少しはましになったと思っていたが、相変わらずコメンテーター陣はみんな「右へならえ」と言わんばかりに、互いの意見を、まるで傷をなめあうかのようにうなずくばかりで、誰も異を唱えない姿勢に胸糞が悪い気がして最近はまじめに見ることも少なくなっていたが、張本勲さんが出ると言うので、最初から最後まで通して視聴した。

 「やはりそうか」と、改めてその姿勢を再確認した。



 選択的夫婦別姓に関する論議で、三輪記子(ふさこ)弁護士が吠えた。氏は延々と、女性の立場から、制度が認められないと女性の不便さが解消されないことを「理路整然」と訴えた。反対する人は誤解していて、選択的な制度だから、「選択肢が増える」という、利便性が向上することはあっても不都合はなく、素晴らしいことだそうだ。

 この人は分かっていない。そんなことは百も承知だ。

 この手の論理は、親の立場、もしくは、子を持たない人の立場にしか立っていない。問題は、「選択的夫婦別姓」という美名の元に、その子らにとっては、「強制的親子別姓」となる、ということだ。自分のことしか考えない、もしくは、結婚しても子を持たないという前提に立った主張である。反対するのは、社会全体に与える影響を危惧するからだ。

 何度でも言うが、

「他人に迷惑を掛けるな」。

 司法試験の勉強中に、そして、司法修習生の期間、その後の弁護士としての実務を通じて、この人は何を学んできたのか。典型的な「人権派弁護士」だ。自らの経験に重ねて主張を続けるのを聞いたが、自分のことしか考えていない、身勝手で視野の狭い、偏った論理だ。何かにつけ「多様性尊重」を唱えるこの番組の実態は、よく観察すると、こういうところにある視点がすっぽりと抜け落ちた論調が見られ、見ていて「あなたたちに言われたくない」という気分にさせられる。

 そして、私がこの番組を問題だと感じるのは、隣にいた元村有希子氏、松原耕二氏、寺島実郎氏、そして司会の膳場貴子氏ら、同じ場にいる人がうなずくばかりで、誰一人異を唱える人がいないという雰囲気だ。何とも言えず異様で、不自然だ。元村氏は、別の日本学術会議の論議で、映像で紹介されたある大臣の発言に対して「馬脚を現した」と、さも勝ち誇ったかのようにコメントしていたが、この人達にそれを言う資格があるのか。笑止千万とはこのことだ。「多様性尊重」という観点で見ても、この番組は、「羊頭をかかげて狗肉(くにく)を売る」、非常に問題のある情報番組だ。私の記憶では、確か平成16年(西暦2004年)か17年(同2005年)頃に、「バカの壁」の養老孟司氏が出演したことがあるが、その後二度とこの番組で見かけることはなくなった。私の推測だが、何を言い出すか分からない養老氏は、この番組のお偉いさんに嫌われたのではないか。口では「多様性」だの「民主主義」だのと正義の味方を装い、その実態はこういう裏表の見え隠れする、私の最も嫌う偽善者たちだ。悪いことをするのにも、確信犯ならば、百歩譲ってその信念は理解できよう。しかし、偽善者というのは、「悪いことをしつつ、良い人を装う」という、一番始末の悪い人種だ。人として最も卑劣で非難されるべき態度である。



 上で述べたように、今日の放映分は、長嶋茂雄氏の追悼的な内容で、張本勲氏が、在りし日の思い出話などを語っていらっしゃったが、そこにもこういう場面があった。

 張本氏は、「男心(おとこごころ)に男が惚れた」、「日本男児」などと言ってたたえる発言を行ったが、映っていた出演者は、皆笑顔で喜んでいるようであった。「多様性」、「民主主義」がお好きなコメンテーターの方々は、これを「男尊女卑だ」、「ジェンダー不平等だ」、「差別だ」、「偏見だ」と言わないのか? あれだけ政治家の忖度(そんたく)を、いろいろ皮肉を交えたりして批判していたこの番組で、これこそ忖度そのものではないのか。どの口がそういう事を言うのか、自分の事を棚に上げて他人を批判する、まったく開いた口がふさがらない。



 長嶋茂雄氏の話が出たのでもう一つ。この局にとどまらず、他局でも軒並み氏のことを「ミスタープロ野球」とたたえているが、他球団のファンとしては、持ち上げすぎで、「アンチ長嶋」、「アンチ巨人」の人の意向を無視するような気がして、少し違和感を覚える。「ミスタージャイアンツ」にとどめてほしい。「誰からも愛された」というと美談であるが、野村克也氏のファンもいれば、「天覧ホームラン」を死ぬまで「あれはファウルだ」と言って譲らなかった村山実氏の熱烈なファンもいるのだ。皆が「右へならえ」というこの報道姿勢も、へそ曲がりの私から見れば「大本営発表」と同質の、マスメディアの批判精神のなさを感じさせる。私の経験則で、ほぼ例外なく当たっているのは、「他人に厳しい人間ほど自分に甘い」というものだ。他人を批判する前に、まず自らの襟を正すべきだ。

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 こう書くと、やれ「表現の自由だ」だの、自由を錦の御旗(にしきのみはた)のように振りかざしてくださるが、「自由のはき違え」を絵に描いたようなこの番組、案外、その荒唐無稽さ見たさに視聴率を稼いでいるのかもしれない、と思ってしまう。こう言われて悔しければ、一度竹中平蔵氏とか竹田恒泰氏などに同席してもらって、いつも勇ましい常連のコメンテーターの方々に、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論というものをお目に掛けさせてもらいたい。


選択的夫婦別姓
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