0017. 元祖「記憶に残る男」

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2025年6月4日掲載

 「王・長嶋がヒマワリなら、ワシは月見草。」

 「月見草」の野村克也氏は、令和2年(西暦2020年)に亡くなった。今また、二輪の「ヒマワリ」の一つが、旅立たれた。



 私は阪神ファンだし、長嶋選手の現役時代は知らない。ちょうどもう一輪の「ヒマワリ」である王貞治選手が756号のホームランを放ったとき(昭和52年、西暦1977年)が小学校二年生で、プロ野球というものも、その頃から認識していた。そのときは長嶋「監督」だった。題名は失念したが、毎月楽しみに読んでいた漫画雑誌「小学一年生」だか「小学二年生」だかに、小学生男子がプロ野球の読売巨人軍の選手として活躍する、という漫画を、記憶している。一つ覚えているのが、その少年が、監督の指示を無視して、打ちごろの球をホームランにして、ベースランニングをしてホームに返ってきた後、長嶋監督に近寄っていくと、監督から強烈なびんたを食らわされ、

「必要なときにはワンちゃん(王選手)にもバントを命じることはある。」

と叱られ、「チームプレーを大事にしろ」というような事を長嶋監督から説教されて教わる、といった話だった。あとは、テレビで繰り返し放送される、「サヨナラ天覧ホームラン」を打った、ということくらいだった。幼かった私は、父親に、

「なんで長嶋は監督になったん? サヨナラホームランを打ったから?」

と尋ねたりしていた。その程度の認識だった。



 後年、プロ野球の意味が徐々に分かってきてから、繰り返し長嶋選手・監督の功績がたたえられるのを見聞きして、無意識に反発を抱いていた。まるで「長嶋茂雄を中心に、野球界は回っている」と言わんばかりの喧騒に、正直、うんざりしていた。

 しかし、悔しいが認めざるを得ないのは、

「偉大だった」

ということだ。



 「チャンスに強い」、言葉で言えばその一言だが、それをずっと続けるというのは、なかなかできるものではない。そしてそれは、私のような、それこそ「上っ面」しか見ていなかった者には見ることのなかった、見えないところでのたゆまぬ努力・節制のたまものにほかならなかった。今改めて、チャラチャラしているようで、若い頃から本当に「プロ意識」を持ち続けた人だったのだと、脱帽する思いである。私の父は、それこそ藤村富美男・小山正明・吉田義男の頃からの阪神ファンだったが、王選手・長嶋選手の立派さを、ライバルの阪神の江夏豊投手・田淵幸一選手らが、現役末期には腹が出てみっともない姿だったのを引き合いに、「彼らはすごく節制している」と、ずっと認めていた。プロの世界でずっと一流だった故人に、改めて敬意を表したい。



 選手・監督として立派だったのは言うまでもないが、王選手とは対極にある、どことなくユーモラスなところが、また愛された大きな理由と思う。私はくだらないことばかり覚えているが、二つどうしても語っておきたいことが。

 一つは、関根勤さんの、長嶋さんのものまね。

「ホームランの秘訣? いいですね、教えましょう。だから、球がこう、来るでしょ? それを打てばいいんですよ。誰でもできることです。」

あの人にそう言われると、本当に打てそうな気がする。



 もう一つは、かつての「さんまのからくりテレビ」の中の、「ご長寿早押しクイズ」で、司会の鈴木史朗アナウンサーが、別の番組で、なぜ解答者であるご老人の方々が、例えば、

問題
「シンデレラを眠りから覚ましたのは?」
解答
「北島三郎」

とか、

問題
「(山本リンダ・『どうにもとまらない』の歌詞から)『ああ今夜だけ ああ今夜だけ』、さて、その後、何と続くでしょうか。」
解答
「おかずを二品(ふたしな)にしてください。」

などという、とんちんかんな解答を連発するのかを尋ねられて、ご老人方が極度の緊張で、頭の中で情報が錯綜した結果だ、と答えられた後、次のとっておきの問答を紹介された。


鈴木アナウンサーからの問
「問題です。巨人軍の長嶋茂雄選手の、引退セレモニーでの名言は、何と言ったでしょうか。」

(解答なし)

鈴木アナウンサー
「ヒントです。『我が巨人軍は永久に〇〇です。』の『〇〇』のところを答えてください。」

(解答なし)

鈴木アナウンサー
「さらにヒントです。『清潔』の反対は、何ですか?」

解答
「不潔」

鈴木アナウンサー
「そうです。では、『大安』の反対は、何ですか?」

解答
「仏滅」

鈴木アナウンサー
「そうです。その『不潔』と『仏滅』を合わせたら、それが答えです。『我が巨人軍は永久に』の後に、続けて言ってみてください。」

解答
「我が巨人軍は永久に不潔で仏滅です。」

(鈴木アナウンサー、絶句)

こういうくだらないことばかり、思い出してしまう。

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 私は柔道をしていたので、ライバルとして競い合い、また、日本柔道界をけん引した、山下泰裕選手と斉藤仁選手の関係にも似ているな、と思うことがある。一方の山下選手は、全日本選手権9連覇、世界選手権95キロ超級3連覇、公式戦203連勝、外国選手には無敗の記録を誇ったのに対し、もう一方の斉藤選手は、全日本選手権優勝1回、世界選手権無差別級優勝1回と及ばなかったが、日本人柔道選手初のオリンピック95キロ超級連覇や、「0001」でも述べた、ソウルオリンピックでの日本柔道陣の「最後のとりで」を守った、など、「記録の山下、記憶の斉藤」ともいうべき関係だった。

 私の知る限り、NHKのトップニュースとなった人物は、美空ひばりとこの人だけだった。石原裕次郎でも高倉健でも、そうはならなかった。あちらの世界でも、野球に情熱を注ぎ続けていただきたい。


長嶋茂雄
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