0014. 終戦の日の靖国神社公式参拝と天皇陛下のご親拝を

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2025年5月31日掲載、2025年6月1日更新

 我が国の内閣総理大臣が、終戦の日はおろか、総理大臣在任中はそれ以外の日にも靖国神社を参拝しなくなって久しい。一体どうしてこのような異常な事態が長く続くのか??? まったく情けない以外の何物でもない。



 私の母方の祖父は、南太平洋のチモール島で戦死した。国の命令で招集されて危険な戦地に赴き、その途上で命を落としたのである。これ以上の「労働災害」があろうか。日航機の御巣鷹山への墜落事故でも、JR福知山線の脱線事故でも、事故を起こした企業の最高責任者が、その後ずっと、しかるべき日に慰霊を欠かさない。そんなことは、常識中の常識だからだ。母は、私が大学一年生で生まれて初めて上京した際に、「東京に行ったら靖国神社に行って、おじいさんをお参りしてきてちょうだい。」と懇願した。私はその言葉通り、参拝を果たした。この国の現在の繁栄の礎(いしずえ)となり、犠牲となった先人の霊を靖国神社で慰めることは、日本人として当然の行為だと、信じて疑わない。

 昔は、このような状態ではなかった。私の認識では、昭和60年(西暦1985年)の終戦の日、すなわち8月15日に、当時の中曾根康弘総理大臣が公式参拝を行い、中国が猛反発し、韓国もそれに追随したことから流れが変わった。翌昭和61年の8月14日に、当時の後藤田正晴内閣官房長官が談話を発表し、「近隣諸国の国民感情」なるものに配慮して、参拝を取りやめることとなった。

 こう書けば、いかにも靖国神社を参拝することは、中国と韓国を傷つけて申し訳ない、失礼なことのようになってしまうが、政治家の靖国神社参拝に関する問題に対して鋭い論評を発し続けるジャーナリストの櫻井よしこ氏らによると、靖国神社のA級戦犯合祀が報じられた昭和54年(1979年)以降、大平正芳、鈴木善幸、中曾根康弘ら各総理大臣は、合計21回の公式参拝を行ったが、当時の中国からは一切反応がなかったとの事である。大平総理が1979年の12月に訪中したときには、中国は熱烈に歓迎したそうだ。つまり、「靖国神社への参拝が、近隣諸国の国民感情を傷つける」というのは、全くのでたらめであり、参拝に反対するための、根拠のないこじつけなのだ。では、なぜ中国や韓国が反発するようになったのか。

 櫻井氏によると、「それは日本のマスメディアが作った問題」である、ということだ。



 上述したように、靖国神社に祀られている戦没者は、国家の命令で命を落とした人たちである。私の両親は戦前の生まれで、その親世代が、主に靖国神社に祀られている方々の世代に重なる。親の話では、「みんな、『死んだら靖国で会おう』と誓いあって出征していった」とのことだ。日本武道館や千鳥ヶ淵戦没者墓苑ではなく、靖国神社が日本人の心にある、戦没者追悼の中心施設なのは、このことからも明らかだ。日本武道館も千鳥ヶ淵戦没者墓苑も戦後にできたもので、兵士が出征したときにはなかった。戦没者の遺族も子孫も、「戦死した者は靖国神社に祀られている」と、固く信じているのである。これは、日本人の心の問題であり、まったく日本国内の問題である。外交問題とはまったく次元の違う話であり、「近隣諸国の国民感情」に配慮して参拝を控えるべき、というのは、まったく理由になっていない。

 国家の命令で、すなわち公式に、強制的に、兵隊にとられて、その結果命を落としたのである。国家の代表者が、しかるべき日、この問題では終戦の日に毎年公式に慰霊する、すなわち靖国神社を公式参拝することは、国家として最低限の礼儀であり、マナーではないのか。それをしないという、現在の政治家たちの態度こそ、「自国民の感情」に配慮を欠くものであり、サボタージュ(職務怠慢)だ。民間企業が不祥事を起こすと、所管官庁の大臣が企業経営者を厳しく咎めることがしばしば見られるが、終戦の日に靖国神社への参拝すら行わない国務大臣に、そのように他人を責める資格があるのか? 自民党は「保守政党」と公言しているようだが、そこから出てきた石破茂・岸田文雄・菅義偉・安倍晋三など、「総理大臣在任中には靖国神社参拝を行わない」という姿勢を取ってきたこれらの人たちをその行動から評価すれば、はっきり言って腰抜けの左翼そのものだ。政府の代表者がやるべきことの大切な一つを、マスメディアの批判を恐れるあまりやらないで、何が日本国の内閣総理大臣か?

 また、当時は大日本帝国憲法の施政下で、天皇は「国家の元首」と、明確に規定されていた。現代の天皇陛下がご親拝にならないのは、内閣総理大臣が参拝しないという国内の情勢を考慮されての、総合的判断と推察するが、私は、この状況を覆すためにも、総理大臣はじめ全閣僚が、天皇陛下が安心してご親拝になれる道筋をつけていく、ということが必須と考える。さらに当時は、戦死が名誉とされ、「天皇陛下万歳」と言って死ぬことがたたえられた。日露戦争の当時には、歌人の与謝野晶子は出征した弟を思い、「すめらみことは戦いに 御自らは出でまさね」と歌った。これらのことと現在の状況を、陛下はどうお考えなのか。A級戦犯合祀であるとか国民感情など、もし外国からの抗議があっても、上述の通り「日本人の心の問題であり、国内の問題である。外交問題には当たらない」と、軽くかわせばよい。公費を使って公務として、毎年粛々と、終戦の日に公式参拝を続け、天皇陛下のご親拝へと道をつけてもらいたい。一時的には、首相官邸前で大々的に反対のシュプレヒコールなどが予想されるが、安保条約改正のときの騒ぎも集団的自衛権の限定的行使容認のときの騒ぎも、吉川英治の小説「宮本武蔵」の末尾にある、「百尺下の水の心を知らぬ雑魚(ざこ)」の所業に見事に重なるさまは、誠に滑稽である。

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 櫻井よしこ氏が、大変分かりやすい理屈で、参拝の必要性を説いている。氏の次の言葉を、日本の政治家の諸氏は、毎朝起床時に揚々と暗唱すべきである。

「わが国の総理大臣もいろんな方々も、アメリカに行って(戦没者慰霊施設の)アーリントン(国立墓地)に行きます、行きますよね。天皇陛下もいらっしゃったし、野党の皆さん方も何回もいらっしゃった。でもこの方たちが日本に帰ったら、日本に殉じた人々の魂を慰め尊敬の念を払うために靖国に行かない。外国では行く、外国の戦士のために行く。日本では行かない。これ、すごく異常なことです。」


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