0009. 続・杉田水脈氏の寄稿文について

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2024年3月8日執筆

 以前の「0006」で、杉田水脈氏の「『生産性』がない」という寄稿文について述べたが、この文章は、実にさまざまな論点を取り上げている。「生産性がない」という表現に目くじらを立てて、それ以外の叙述を切り捨てるのは、あまりにもったいない問題提起の文章だと、私は考える。前回、原文を掲載して終わりにしたが、もう少しこの文章を分析してみたいと思う。



 寄稿文で挙げられた論点は、おおよそ以下にまとめられると思う。
  1. 海外のキリスト教社会やイスラム教社会での同性愛の迫害の歴史に対し、それらに寛容であった日本社会との社会構造が違うという指摘。

  2. LGBTの人たちの親による不理解の問題の方が、社会全体による差別より深刻であるという指摘。

  3. 「そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものであり、それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的である」という主張。

  4. 子供を作らないLGBTへの公的支援の方向性への疑問の投げかけ。

  5. 「LGBとTを一緒にするな」という主張。

  6. 杉田氏が、自身の女子校での生活で、一過性の同性愛を身近に見聞きし、その人たちも卒業後には男女間で恋愛・結婚する方向へと変化していったことの体験談。

  7. マスメディアが性の多様性を肯定的に報道することによって、男女間の恋愛・結婚に悪影響を及ぼすことへの懸念。

  8. 思春期の不安定な時期にある学徒への調査の信頼性への疑問の投げかけ。

  9. 自分の好きな性別のトイレや更衣室の使用を公的に認めることが大混乱を招くことへの警鐘。

  10. LGBTに加えて、Q(クエスチョニング)、I(インターセクシャル)、P(パンセクシャル)なども続いて認知されてきており、さらにオーストラリアやニュージーランド、ドイツ、デンマークなどでは、パスポートの性別欄を「X」とすることができること、タイの18種類の性別の例、フェイスブック・アメリカ版の58種類の性別の例の紹介と、世界の現実の荒唐無稽さへの驚きの表明。

  11. 性の多様性を一旦認めると、同性婚の容認だけにとどまらず、兄弟婚・親子婚・ペット婚・機械との結婚などの願望への対応が不可能になることへの懸念と、歯止めが効かなくなることへの警鐘。

  12. 社会の常識や秩序の重要さへの訴え。


 どれも重要で、説得力のある鋭い問題提起ではなかろうか。

 杉田水脈氏は、「生産性」という言葉を用いて猛反対に会い、特に報道において、この文章の趣旨が世の中に広く伝わる機会を逸してしまった。私はこのことを至極残念に思う。



 「生産性」という言葉を使わなくても、言いたいことは伝えられたのではないか?



 私は、この文章の主題は、タイトルの通り、「行政による支援の度が過ぎる」という、行政への批判だと思う。

 特に補足すべきと思うのは、上の4と5のところである。

 5は、「LGBとTを一緒にするな」であるが、Tすなわちトランスジェンダーは生理学上の問題である一方、LGBは、個人の生き方の問題ではないのか。

 LGBT容認派の人たちは、性別という「規制」を緩和せよ、と言っているに等しい。

 杉田氏は文章の中で、性転換手術への保険の適用など、Tに対する支援の具体例を提言している。

 しかし、LGBという個人の生き方への支援となると、ある種政教分離の話に通じるものがあるのではないだろうか。「何を信じるか」ということも、個人の生き方の一つであると考えるからだ。

 宗教に関して言えば、現行憲法は「信教の自由」として、個人が自分の意思で選択できる自由を認めている。「政教分離」の本旨は、政治や行政自体と宗教観を切り離しているのである。どんな宗教観を個人が持とうが個人の自由だが、それは同時に、その選んだ個人が責任を負うことを意味する。行政自体が特定の宗教観を持たないことはいうまでもなく、行政が個人に特定の宗教を奨励するたぐいのものではない。生き方についても同様に、選んだ個人が責任を負うべきであって、行政がLGBという生き方を奨励する、というのは、行政による個人への過干渉であり、越権行為である。国や自治体が同性パートナーシップの権利を拡充する政策などは、そういう生き方を奨励しているに等しい。

 さらに、この性別の問題については、更衣室やトイレの例のように、個人への自由を認めると問題が起きる点が、宗教の場合と大きく違っている。杉田氏の言うように、社会全体の秩序を揺るがしかねない事態にも発展しうる。また、杉田氏は「生産性」という言葉を使ったが、少子化対策という政策にも逆行し、政策の方向性という点でも矛盾を抱えている。これらの理由から、行政による性の多様性への関与は、政教分離の話よりもさらに厳しく規制し、慎重にならなければならない問題である、と言える。

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 杉田氏は、こういう観点から、「支援の度が過ぎる」という行政、それをあおるマスメディア、および迎合する政治家などの態度に絞って話を進め、「みだりに性の多様性を緩和することの危うさ」と、「行政・政治とマスメディアへの批判」を前面に押し出して主張を行えば、もっと意見を聞いてもらえたのではないか、と思う。


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