0006. 杉田水脈氏「『生産性』がない」の寄稿文について思うこと
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2023年10月7日執筆
杉田水脈(すぎた・みお)という国会議員がいる。その発言がいろいろ物議をかもしているが、そのすべてについて、彼女の真意は私には分かりかねる。ただ一つ、標題の寄稿文について思うことを述べる。
2018年7月、「新潮45」2018年8月号が発売されると、そこに寄稿された、杉田氏の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という文章に注目が集まり、批判が殺到した。
私がまず思ったのは、「全文を読みたい」ということだった。そして幸運にも、ネット記事で全文の書き起こしに当たり、その後自分で「新潮45」を取り寄せて確認した。この記事の最後部に杉田氏の寄稿文の全文を添付する。
全文を読み終えて思ったのは、至極まっとうなことを言っているな、ということだった。そして次に、批判する人たちは全文を読んでいるのか、と思った。
批判の的になっていたのは、「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。」というくだりだが、何のためにかっこ(『』)がついているのか? 言うまでもなく、「子供を作らない」という意味に限定して、「生産性」という言葉を使っているためだ。杉田氏を批判する人は、このかっこをはずして読んでいるのではないかと思ってしまう。「子供を作らない」ことは事実である。人間は有性生殖を行う生物であり、クローン人間でない限り、誰もが父親と母親から生まれている。杉田氏は端的にその事実を述べたまでだ。事実を言って批判されるのならば、事実を言うことができなくなってしまう。
この「生産性」のところだけを切り取って批判している人は知らないかもしれないが、寄稿文の最後の方で、杉田氏は大事なことを言っている。
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多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません。現実に海外では、そういう人たちが出てきています。どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。
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杉田氏の寄稿文を「けしからん」と怒る人に問いたい。
兄弟婚は? 親子婚は? 一夫多妻は? ペットとの結婚は? 機械との結婚は? SM(サディズムとマゾヒズム)は? どれも、「性的指向」と言えるのではないか?
「多様性」の名の下にすべて合法化するのが「一人も取り残さない社会」なのか? それはよいことか? 「差別はいけない」と言われるかもしれないが、皆、日常的に差別を行っている。
鳥インフルエンザや豚熱が出たら、「殺処分」するではないか。人に対して動物を差別している。公共料金は、大人と子供で違うではないか。年齢による差別をしている。トイレや銭湯で男女を分けるのは? 外国籍の人に参政権を与えないのは? 社会生活そのものが、差別の塊ではないのか? 「差別ではない、区別だ」とかいうのをよく聞くが、一度、辞書を引いてもらいたい。「不当な差別はいけない」という文言に対して、「正当な差別はあるのか」と問う記者がいるが、私なら、「あなた自身の胸に聞いてみなさい」と答えたい。しいていうなら、「自分の妻を他の女性に対して優遇するのが正当な差別だ」と言えば、理解してもらえるかもしれない。ずいぶん脱線した。
インターネット上に、以下のようなものを見つけた。
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「人間以外のありえないものと結婚しちゃった人達」
(NAVERまとめ、2014年12月1日更新、rainshineさん)
https://matome.naver.jp/
odai/2141715663545777101
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・木と結婚した男性
・橋と結婚した女性
・犬と結婚した女性
・犬と結婚した男性
・猫と結婚した男性
・ワニと結婚した市長
・抱き枕と結婚した男性
・エッフェル塔と結婚した女性
・ベルリンの壁と結婚した女性
・自分と結婚した女性
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「結婚」という言葉の定義を揺るがしかねない世界だ。
弁護士でタレントの橋下徹氏は、「日本で一番生産性がないのはお前だ。アホか!」と、杉田氏に対して口を極めて厳しく非難した。私には、大きな疑問が湧き起こった。仮に、彼の子供が彼のところに、「このワニと結婚したい」と言ってワニを連れてきたら、親として彼はどう反応するつもりだろうか。
結婚に反対するのならばとんでもない偽善者だし、賛成するのならば、ただちにコメンテーターも弁護士もやめて入院してもらわねばならない。論理的な破綻だ。物事の上っ面しか見ないとこうなる。
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2018年8月3日のNHK「ニュースウォッチ9(ナイン)」で、杉田氏を2016年7月の津久井やまゆり園の障害者殺傷事件の犯人と同列視し、
「ひと一人一人の価値を数字で計るような考え方、受け入れる事はできません。」
と言った有馬嘉男氏、
「浅はかとも言える言葉に反発や嫌悪感を覚えた人は少なくないのではないでしょうか。」
と言った桑子真帆氏、あなたたちは神か仏か、裁判官か?
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■杉田水脈氏の寄稿文の全文■
「『LGBT』支援の度が過ぎる」、杉田水脈、新潮45・2018年8月号。
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この1年間で「LGBT」(L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー)がどれだけ報道されてきたのか。新聞検索で調べてみますと、朝日新聞が260件、読売新聞が159件、毎日新聞が300件、産経新聞が73件ありました(7月8日現在)。キーワード検索ですから、その全てがLGBTの詳しい報道ではないにしても、おおよその傾向が分かるではないでしょうか。
朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。発行部数から言ったら、朝日新聞の影響の大きさは否めないでしょう。
最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。
しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わるようなこともありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。
どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。
LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。
リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。
例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。
LGBとTを一緒にするな
ここまで私もLGBTという表現を使ってきましたが、そもそもLGBTと一括りにすることが自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と、自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させて行くのか、それは政治家としても考えていいことなのかもしれません。
一方、LGBは性的嗜好の話です。以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。
朝日新聞の記事で「高校生、1割が性的少数者」という記事がありました(3月17日付、大阪朝刊)。三重県の男女共同参画センターが高校生1万人を調査したところ、LGBTは281人で、自分は男女いずれでもないと感じているXジェンダーが508人。Q(クエスチョニング=性的指向の定まっていない人)が214人いて、合わせて1003人の性的少数者がいたというものです。それこそ世の中やメディアがLGBTと騒ぐから、「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。調査の対象は思春期の不安定な時期ですから、社会の枠組みへの抵抗もあるでしょう。
最近の報道でよく目にするのは、学校の制服問題です。例えば、「多様性、選べる制服」(3月25日付、大阪朝刊)。多様な性に対応するために、LGBT向けに自由に制服が選択できるというものです。女子向けのスラックスを採用している学校もあるようです。こうした試みも「自分が認識した性に合った制服を着るのはいいこと」として報道されています。では、トイレはどうなるのでしょうか。自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことになるのでしょうか。
実際にオバマ政権下では2016年に、「公立学校においてトランスジェンダーの子供や児童が〝心の性〟に応じてトイレや更衣室を使えるようにする」という通達を出しました。先ほども触れたように、トランスジェンダーは障害ですが、保守的なアメリカでは大混乱になりました。
トランプ政権になって、この通達は撤回されています。しかし、保守派とリベラル派の間で激しい論争が続いているようです。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。
最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。
オーストラリアやニュージーランド、ドイツ、デンマークなどでは、パスポートの性別欄を男性でも女性でもない「X」とすることができます。LGBT先進国のタイでは18種類の性別があると言いますし、SNSのフェイスブック・アメリカ版では58種類の性別が用意されています。もう冗談のようなことが本当に起きているのです。
多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません。現実に海外では、そういう人たちが出てきています。どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。
「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ冷静に批判してしかるべきではないかと思います。「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。
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