0003. 若い頃はコミカルな役もこなした高倉健

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2022年10月14日執筆

2014年に亡くなった、日本映画界のトップスター、高倉健。あこがれていた。

昭和の末期、私が高校生くらいのまだインターネットもなかった頃、年末年始の深夜には、テレビで、「高倉健・任侠ナイト」、「藤純子ナイト」などと銘打って、東映の任侠映画がまとめて放映されていた。私は、小学生の時には王貞治にあこがれ、中学生でアントニオ猪木、そして高校生の頃にはこの高倉健にあこがれていて、「…任侠ナイト」も録画して見ていた。

高倉健と言えば、後年には、「不器用ですから」のせりふに象徴されるように、寡黙でひたむきな男というのがはまり役になったが、若い頃にはせりふも多く、コミカルな役もこなしていた。私が見た限りで言えば、美空ひばりと共演した「三百六十五夜」、内田吐夢監督・中村錦之助(のちの萬屋錦之介)主演の「宮本武蔵」五部作での佐々木小次郎役、同じく内田吐夢監督・三國連太郎主演の「飢餓海峡」での舞鶴の警察署で三國連太郎演じる主人公を問い詰める味村刑事役など、せりふ回しもしっかりしていた。

これら昭和30年代の映画への出演の後、高倉をトップスターにのし上げたのが、「東映任侠路線」と言われたシリーズ映画だった。最後に池部良と二人で殴り込みに向かうのが定番だった「昭和残侠伝」シリーズ、「日本侠客伝」シリーズ、「網走番外地」シリーズ、「新網走番外地」シリーズなどの作品が量産された。



「新網走番外地」シリーズの最終作となった、「新網走番外地・嵐呼ぶダンプ仁義」の中で、忘れられない貴重なシーンがある。舞台は北海道の山道、ダンプカーの運転手として働いていた高倉健演じる主人公の運転するダンプカーが、細い橋にさしかかる。橋の真ん中まで来たところで、向こう側からも同じくダンプカーがやって来て、すれ違うことができずにダンプカー同士が鼻を突き合わせたまま停車し、両方の運転手が降りてくる。一方は高倉健、もう一方は、「ボインやで~」のフレーズで一世を風靡した、月亭可朝である。橋の真ん中で、互いに譲らず、掛け合いが始まる。それがまた、両者が大真面目なので笑いを誘ってしまう。

可朝「伊達や酔狂でワレ、モーテルのカーテンかぶってんのちゃうでワレ。」
高倉「なんだこの野郎、漫画みたいな顔しやがって。」
可朝「マンガあ?」

今でも思い出すとクスッと吹き出してしまうが、当時は腹を抱えて笑っていた。それほどおかしかった。



私の大好きな、高倉健主演の「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」の中で、北海道の帯広の駐車場で、たこ八郎演じるやくざから殴る蹴るの暴行を受けた高倉健が発するせりふ、

「兄さん、車傷つけられたらそんなに悔しいんか。」

と発したときの怒りの表情、昔一世を風靡した任侠映画の面影を見た気がした。

高倉健は2014年に、月亭可朝は2018年に、共に逝ってしまった。もう一度、あの東京弁と大阪弁の凸凹漫才のような掛け合いを見てみたくなった。


ダンプ仁義
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