0002. 痛快だった、鈴木大地選手の金メダル
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2022年6月29日執筆
1988年のソウルオリンピック。私は大学受験の年、勉強に精を出さねばならなかったが、多感な時期の中、勉強そっちのけでテレビにかじりついていた。私が生涯で最も夢中になったオリンピックだった。
数々のドラマがあった。
棒高跳びの「鳥人」セルゲイ・ブブカ、競泳女子7冠のクリスチン・オットー、男子6冠のマット・ビオンディ、シンクロナイズドスイミングの小谷実可子・田中京の銅メダル、陸上男子のベン・ジョンソン対カール・ルイスの「世紀の対決」、陸上女子のフローレンス・ジョイナーの圧倒的な強さ、体操男子個人総合のアルチョーモフ・リューキン・ビロゼルチェフのソ連勢表彰台独占、女子個人総合のシリバス対シュシュノワの対決、大阪清風高校の西川大輔・池谷幸雄の高校生コンビの活躍、柔道男子の最終日・斉藤仁の涙の金メダル、男子マラソン中山・新宅・瀬古の無念の失速、イタリアのボルディンの驚異の粘り、女子マラソンのロサ・モタなどなど。
その大会中盤まで、日本は金メダル数ゼロ。その閉塞感を振り払ったのが、鈴木大地の逆転の金メダルだった。
鈴木大地の金メダルは、私にとってはまことに痛快なものだった。その理由は二つ、「逆転の金メダル」だったこと、そして、「表彰式の痛快さ」。
鈴木の優勝タイムが55秒05と、約1分弱の戦いを、ビデオで録画して何度も見た。NHKの実況放送の言葉を、今でも記憶している。
『チャリョー』(韓国語で『用意』)、『ポッ』(スタート音)、「スタート、得意のスタート。………、潜っています…、………、まだ潜っている、鈴木リードしている、鈴木リード、鈴木リード、潜っている、25メーター、25メーターを超えた、超えた、超えた、バーコフもリードしている、バーコフリード、浮き上がりました、バーコフリード、ショーン・マーフィーはまだ潜っている、…、マーフィー遅れました。50のターンにかかる、バーコフ好調。50のターン、バーコフ先頭、鈴木、大地、大地続いた、鈴木大地現在第2位、リードはバーコフ、バーコフ好調。鈴木ぴったり追っている、後半強いのはポリャンスキーだ。さあプールの中央にかかってきた。75メーター通過、まだ大地2位、鈴木大地現在第2位、あと20メーターにかかった、大地の声援が飛ぶ。あと15メートル、リードしているのはバーコフ。大地出てきた、大地追った、鈴木大地追ってきた、鈴木大地追ってきた、追ってきた、逆転か、逆転か、さあタッチはどうだ、鈴木大地、…。勝った! 鈴木大地金メダル! …、55秒05、55秒05、鈴木大地金メダル! 55秒05、鈴木大地、日本に12年振りの金メダル!」
後半にスタミナが切れる危険を冒してのバサロスタートの距離を伸ばすという作戦による見事な逆転勝利。そしてまた、表彰式が痛快だった。場内のアナウンス。
「ジ・オリンピック・チャンピオン、ゴールド・メダリスト、ダイチ・スズキ、ジャパン!」
表彰台の一番高いところにピョンと飛び乗った鈴木大地の顔から笑顔がこぼれる。観衆に手を振る鈴木大地。
「痛快」というのは、当時1988年は東西冷戦中。金メダルが日本の鈴木大地、銀メダルがアメリカのデービッド・バーコフ、銅メダルがソ連のイーゴリ・ポリャンスキー。当時の世界の二大超大国、アメリカとソ連の国旗を左右に従えて、日本の日の丸が一番高いところにバーン、と掲げられた。そして、
「ザ・ナショナル・アンセム・オブ・ジャパン(日本国歌)!」
「きーみーがーあーよーおーはー、…」のメロディーとともに日の丸が米ソ両国旗を従えて上がっていくさまは、まことに痛快だった。民族の魂を揺さぶられるようであった。
当日の夜7時30分からのNHKのオリンピックダイジェスト、テーマソングの浜田麻里の「Heart and Soul」の軽快なメロディーのあと、司会の宮本隆二アナウンサーの名調子、
「みなさんこんばんは。肺活量6千590、21歳の青年鈴木大地選手が、今大会日本に初の金メダルをもたらしました。」
6千590ccもの肺活量、鈴木選手を含めてオリンピックで戦う選手たちは、まさしく超人の集団だと思った。
画像1:表彰台の鈴木大地選手。
画像2:国旗の配置のイメージ図。
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