清流寺不動堂



喜多方市岩月町入田付沼尻にある清流寺不動堂(正式名称 : 紫雲山来迎院清流寺)は、飯盛山で自刃後唯一人蘇生した飯沼貞吉が最後に匿われていた場所です。



 

山門(写真左)を通り抜けると、小さな祠があり、その左側に「蘇生白虎隊士 飯沼貞吉ゆかりの地」碑(写真右)があります。



 

(写真左)ご子孫の方が建立された「ゆかりの地」碑。

【碑裏面の説明文】
會津藩士飯沼貞吉(十六歳)白虎隊士中二番隊の一員として戊辰戦争に出陣するも西軍に敗れ、慶應四年(一八六八年)八月二十三日藩校日新館の教えに従い飯盛山にて藩友十九名と共に自刃す。しかし人々の厚い介護により奇しくも蘇生。塩川、喜多方を経て当地の不動堂に至り、暫し匿伏し傷を癒す。後に上京して貞雄と改名。逓信省にて日本全国の電信電話架設に尽力す。父方の叔母に「なよ竹の」を詠みし西郷千恵子、母方の従兄妹に山川浩、健次郎、大山捨松あり。
 昭和六年(一九三一年)二月仙台に没す。

(写真右)山間の谷に、ひっそりと佇んでいる不動堂の全景。その名の示す通り、大聖不動明王を祀ったお堂だそうです。



 

(写真左)不動堂の裏側。
(写真右)不動堂の正面から向かって右側にある清冽な滝。



 

(写真左)不動堂に飾られている会津大津絵と、その説明。絵はかなり消えてしまっています…(泣)
(写真右)不動堂の木造の階段に座って見た風景。療養中の貞吉も、此処で考え事をしたり物思いに耽っていたのかなぁ、と…。自然のままに残された場所なので、彼が眺めた風景は今もさほど変わらないのではないかと思います。



【清流寺不動堂へのアクセス】
車で行かれる場合は、会津若松方面から国道121号線(米沢街道)を北上、喜多方方面へ。カーナビは「喜多方市岩月町入田付沼尻主要部」に設定すれば判りやすいです。入田付小学校の手前にある郵便局の前に右折可能な細い道があり、「無行沼→」の小さな案内板を目印にその道を右折。農地の中を道なりに進むと、沼尻集落が見えて来ます。其処から右へ300メートル程行くと山間に出ます。此処まで来ると、少し先に清流寺の山門があるのが判ります。
車以外での行き方は、喜多方市の観光課に問い合わせされるのがよいかと思います。郵便局の前まではバスで行けるようです(バス停があったので)。バスの本数は不明ですが…。



戻る