幕末京都懐古録 其の壱

倒幕派志士達の軌跡 〜 丸太町・木屋町界隈から東山

2000年12月9〜10日

レポート : 吉田沙羅

 

師走の晴れた週末、京都で幕末史跡探訪をやりました。
私(吉田)は京都在住、沖田も近県在住なので、史跡の幾つかは既に何度か訪れているのですが、HP開設記念ということもあり、改めて史跡を歩いてみることにしたわけです。

 

初日は、地域の有志の方々が運営する某サークルの『幕末の志士たちの軌跡めぐり』に特別参加させて頂きました。K・中岡氏(仮名)の解説付きのミニ・ツアーです。

スタートは丸太町。御所の南端に近いところです。『日本外史』の著者としても有名な頼山陽が1822年から亡くなるまでの10年間住んでいたという山紫水明処を(現在は他人様の住居内にあるので)外側だけ見学。萩の伊藤博文邸を彷彿とさせる佇まいでした。
それから少し北上して、三本木遊郭跡へ。桂小五郎(木戸孝允)の愛人で、のちに木戸孝允夫人となる名妓・幾松が籍を置いていた吉田屋があったところです。史跡を示す石碑などは残念ながらありませんが、古い町並みが保存されている一画です。
コースは南下を辿り、10分ほどで木戸孝允旧邸に到着。桂さんが明治2年から別邸としてお住まいになっていたそうです。現在は、その名も『松菊園』という旅館になっています。
そこから更に南へ5分ばかり歩くと、高瀬川に運河を開いたことで知られる角倉了以邸跡があります。庭が美しくて有名なのですが、現在は某居酒屋のチェーン店になっている……(苦笑) 池田屋事変で殉難した土佐の望月亀弥太が、この屋敷前で自刃して果てたという説があります。合掌。

高瀬川沿いに木屋町通りを南下すると、御池通りに突き当たるまでの間に、桂小五郎と幾松の寓居跡として名高い『幾松』があります。京都でも有数の格式のある料亭ですが、お昼時には隣の『維新庵』(『幾松』と同じ系列のお店)の方に手頃な値段のお弁当(桂小五郎御膳)などもあるので、お試しあれ。
そして広い御池通りに出ると、重厚な京都市役所の隣に、河原町通りを挟んで対抗するかの如く(?)聳え立つ京都ホテルが見えてきます。そうです、かつて長州藩邸があった場所です。ホテル横の明治天皇の行幸を伝える石碑の近くに、『長州屋敷跡』の石碑が建っています。吉田稔麿が池田屋事変の際に自刃したのは此処の門前でした。それを思うと、何やらやり切れないものが……。思わず絶句。
他の人々に遅れつつ、ホテル正面に移動。こちらには桂小五郎像があります。以前読んだ本に、この桂さんと東京・日野にある土方歳三像とを較べると、どちらが男前だろう?……などと書かれていたのを思い出しましたが、日野の土方さんには未だお会いしていないので、何とも言えません(苦笑)

沖田と一緒に桂さんと記念写真(笑)を撮り、御池通りを越えて再び高瀬川に沿って歩くと、ガソリンスタンドの傍らに、加賀藩邸跡の石碑が。こちらにも、稔麿が藩邸前にて闘死したという説がありましたね。どちらにしても、池田屋とは目と鼻の先なんです。池田屋の二階から飛び降りて、高瀬川を越えて(川幅の狭さに加えて水深はとても浅い)、長州藩邸に注進に向かったのか……などと考えると、またしても溜息が。
そして三条小橋の池田屋なんですが、今はパチンコ店になっていて、見る影もありません。入口の前に『池田屋騒動之址』という石碑がぽつんと建っているだけです。新選組ファンが見ても、感動のカケラもないんじゃないかなぁ……。もっと前は旅館だったんですけどねぇ。(といってもかなり前)

再び木屋町通りに戻って南下を続けると、土佐藩邸跡に出ます。その一画に、『土佐稲荷』(だったかな?)なる小さな神社がありまして、縁結びや厄払いに御利益があるそうです。鳥居をくぐると、坂本龍馬の小さな像があり、お賽銭箱の右上には龍馬さんの写真も。20世紀の厄払いを、というわけで、吉田も沖田と一緒にお参りをして来ました。龍馬および土佐藩に興味のある方にとっては、聖地の一つかもしれませんね。
そのあと三条通りに出て、近江屋跡(坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地。現在は旅行会社になっていますが、龍馬関連の記念グッズなどを販売しているらしい)を経て、今度は北上。龍馬の寓居跡で海援隊の本部があった材木商・酢屋を訪れました。こちらは今も木で作った雑貨などを展示・販売しているお店です。

 

初日はこれで終了。その夜は、伏見の吉田宅で沖田と酒杯を交わしつつ協議・密談(笑)。11月の英国旅行の思い出話とか、このHPの相談とか……。でも、一番盛り上がったのは小説ネタと馬鹿話かな(爆笑)

 

遅くまで騒いでいたにも拘わらず、翌日は午前中から祇園方面へ。お線香と四条河原町の高島屋で買ったお花を持参して、八坂神社の境内〜円山公園を抜けて霊山護国神社に行きました。坂本龍馬・中岡慎太郎の墓所として全国的に有名なところですが、吉田の目的はもちろん稔麿はじめ長州の方々の墓参。お花(名前の判らない綺麗な青い花と小さな白薔薇。菊や百合ってあんまり好きじゃないので)は高かった!ので、稔麿の分しかないけど……。
長州の方々の墓所は、彼らの故郷・山口県内と主な活動拠点となった京都市内に合わせて数ヵ所ありますが、取り敢えず一番近いという理由で、霊山にお参りに来る次第なのです。(萩は来年、再訪予定!)
そんなわけで、稔麿と松介、高杉・来島・久坂・寺島・入江・有吉の諸氏、そして桂さんの墓参を済ませました。

苅菰の乱る世に散る露とても 移らふ風の跡ぞ哀しき (風露)

そのあとは、いつものように(?)霊山歴史館へ。冬の常設展を開催中でした。こちらは所蔵品が多く、館内に全てを一挙に展示できないので、夏と冬の常設展で毎回違う "お宝" にお目にかかれます。春と秋の特別展では、所蔵品だけでなく全国の幕末維新関連の博物館・記念館から借り受けた品々も展示されます。因みに、来年春の特別展は、『木戸孝允展』だそうです! また来なくっちゃ。

Special thanks to Mr. K. Nakaoka

 

今回の『幕末史跡探訪レポ』はこのくらいです。次回は、来年1月か2月に『新選組を歩く』を予定しています。レポは沖田冴月が担当しますので、お楽しみに。

 

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