京都守護職屋敷と京都御所



【モデルコース】
京都駅→(市営地下鉄・烏丸線、烏丸御池駅で東西線に乗り換え)→二条城前駅…徒歩7分…
「京都守護職屋敷正門」…二条城前→(市営地下鉄・東西線、烏丸御池駅で烏丸線に乗り換え)→丸太町駅…徒歩12分…京都府庁正門「京都守護職屋敷跡碑」…徒歩10分…京都御苑「蛤御門」ほか散策→丸太町駅…徒歩2分…烏丸丸太町(バス停)→(市バス204番、銀閣寺行き)→岡崎道(バス停)…徒歩5分…「金戒光明寺(黒谷)」…徒歩15分…平安神宮隣「京都守護職屋敷門」→京都会館美術館前(バス停)→(市バス5番、京都駅行き)→京都駅



■二条城・京都御所周辺


地下鉄・二条城前駅から堀川通りを北に向かうと、右手に京都全日空ホテルと京都国際ホテルが見えます。京都国際ホテルの裏手、駐車場のところに、京都守護職屋敷正門が移築されています。保存状態はかなり良いです。
もし余裕があるなら、二条城の北側にある「京都所司代屋敷跡碑」「京都所司代上屋敷跡碑」もチェックしてみて下さいね。いずれも竹屋町通りと丸太町通りの間、幼稚園の周囲にあります。「京都所司代屋敷跡碑」は、壁の中に埋もれているので、注意して探してみて下さい。




京都国際ホテルに移築された「京都守護職屋敷正門」。




■京都府庁〜京都御苑


地下鉄・丸太町駅から烏丸通りを京都御苑の壁に沿って北上し、左手に聖アグネス教会(平安女学院の建物で、赤煉瓦造り)が見えたら其処を左に曲がります。そのまま延々真直ぐ進むと、右手に京都府庁があります。正門を入ってすぐの東側(右手)の植え込みのところに、「京都守護職屋敷跡碑」が建っています。


 


京都御所の蛤御門へは、元来た道を引き返し、烏丸通りに出たら左に曲がります。護王神社の北側、京都ガーデンパレスホテルの真向かいにある門が、有名な蛤御門。「禁門の変」での鉄砲跡が数多く残されています。また、何故この門が「蛤御門」と呼ばれるようになったかの由来を書いた案内板もあります。

蛤御門(写真左)と清水谷家の椋(写真右)。この辺りが会薩連合軍と長州軍との激戦の地。少し見難いですが、写真右の御所の壁、人が歩いている辺りが唐門です。椋の木の左方向が蛤御門。




(写真左) 建礼門。内側から撮影(普段は非公開)。
(写真右) 建礼門を入ったところの承明門から紫宸殿を望むと、こんな感じ。此処も普段は非公開です。



普段は非公開の御池庭。眺めることしか出来ませんが、よく手入れされた美しい回遊式庭園です。




■京都守護職本陣・金戒光明寺(黒谷)

地下鉄丸太町駅近くのバス停、烏丸丸太町からバス(204番、銀閣寺行き)に乗り、岡崎道で下車。バスは頻繁に出ています。丸太町通りを岡崎方面に行くバスなら、204番でなくてもOKです。また、三条・四条方面から京阪電車で行く場合は丸太町駅下車、歩いて20分ほどです。


  

岡崎道を北へ向かうと、こんな案内があります。「くろたに」の「に」が変体かなになっています。そして見えて来るのが「くろ谷」の碑と「会津殉難者墓所」の碑が立つ寺門です。



 

写真左は、時代劇のロケでよく使われている山門。此処を抜けて階段を上がると、御影堂があります(朱印、お土産は此方で)。境内はとても広く、小さなお寺やお堂が沢山!
写真右は、大方丈の中庭(特別公開時に撮影)。大方丈には松平容保公が政務を執った「謁見の間」があります。その奥に容保公の遺墨が展示されているのですが、普段は非公開。
在京の会津藩士が家族を呼び寄せ、此方が手狭になった為、翌年には現在の京都府庁がある辺りに広大な「京都守護職屋敷」を新たに建設したそうです。


会津墓地への案内に従って進むと、途中に西雲院に出ます。此処に会津小鉄のお墓があります。其処から東門を抜けて、更に北へ向かうと、右手に広い会津藩墓地があります。入ってすぐ左側に、「慶應之役伏見鳥羽淀会藩戦死者之碑」(高さ2メートルほどで、鳥羽伏見の戦における会津藩戦死者115人の名が刻まれている慰霊碑)が建っています。正面から右側、更にその奥に、主に文久年間から元治年間に亡くなった会津藩士(禁門の変での戦死者が多いです)とその子孫の方々のお墓があります。





黒谷を出て、丸太町通りに戻り、平安神宮の西側の京都市武道センターの向かい側、冷泉通りに面した処にも、
京都守護職屋敷門(上記の写真)が移築されています。

京都駅へ戻る場合は、京都会館・美術館前または動物園前バス停から5番のバスで。三条・四条方面へも、このバスで行けます。



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