大田・絵堂戦役諸隊本陣跡

 

 

 

 

大田・絵堂は、元治元年12月に高杉晋作が下関長府の功山寺で決起し、下級武士や農民などを主体にした諸隊が保守派の藩政府と闘おうと萩を目指す途中、政府軍(いわゆる俗論派)と衝突したところです(慶応元年、正月)。ここの金麗社で、高杉晋作、山県有朋、伊藤博文らが作戦会議を開き、戦勝祈願を行なったと言われています。

この「大田・絵堂の戦い」での激戦に諸隊が勝利し、後に藩論を倒幕に一変させ、明治維新への道を歩み始めるきっかけになったことから、維新発祥の地と言われるようになりました。

 

 

 

 

招魂塚(左)と、奇兵隊戦勝祈願記念燈篭(右)

 

この燈篭(小倉戦争に勝利した際、小倉延命寺から分捕ってきたもの)は一対で、もうひとつ同じものがあります。大変見難いのですが、燈篭には「元治四年」の年号が彫られています。慶応三年に当たる年ですが、『時の幕府将軍徳川慶喜の "慶応" に応じないという、長州志士の心意気がうかがわれる』と、美東町教育委員会が立てられた案内板に書かれています。

 

 

戻る