日新館の学籍

『會津藩教育考』によるもの

此方は、『會津藩教育考』による学区割です。
著者の小川渉氏は、下記のように分類しています。
( )内は管理人の注釈です。

【東表通】(三礼塾)
一番組は本一之丁本二之丁本三之丁の大町通東側より以東、その二番組は内外小田垣丁小田丁となす。
【東裏通】(毛詩塾)
一番組は本四之丁五之丁残らず、その二番組は天寧寺町徒士町近傍と手明町水主町半兵衛町烏橋通となす。
【西表通】(尚書塾)
一番組は米代一二之丁と花畑丁竪町近傍、その二番組は米代三四之丁と厩町となす。
【西裏通】(二経塾)
一番組は本一之丁本二之丁本三之丁の大町通西側より以西、その二番組は新丁片原町出来新町新丁材木丁となす。

【南学館】
東は天寧寺南側より以南西は手明町より以南残らず。
【北学館】
(南学館)の外残らず。

■南北学館(南北素読所)は、独礼以下(茶色紐以下の寄合、中士)の階級の子弟と、襟制の子弟の優秀な者が入学を許された。


小川渉説によると、山川健次郎や野村駒四郎、井深茂太郎らの学籍は三礼塾一番組になります。尚書塾も少々異なってきます。此方の説では、四塾とも内側が一番組、外側が二番組となっているようです。
現在も地名が残る材木丁(町)は二経塾二番組になりますので、尚書塾の一、二番組とも境界を接する形になり、上の図よりもやや広いかもしれません。毛詩塾二番組も、一番組の外(郭外)もっと広範囲かも。そんなわけで、郊外がちょっといい加減です…すみません。小川説による白虎隊士の学籍を、下記に記してみます。


 
□尚書塾□
  一番組 : 篠田儀三郎、安達藤三郎、津川喜代美
(注)、永瀬雄次、坂井源吾
  二番組 : 伊東悌次郎、池上新太郎
 
□三礼塾□
  一番組 : 間瀬源七郎、野村駒四郎、簗瀬勝三郎、西川勝太郎、井深茂太郎、有賀織之助、簗瀬武治、柴四朗、山川健次郎
  二番組 : 資料が無く、不明
 
□二経塾□
  一番組 : 町野久吉、飯沼貞吉、多賀谷彦四郎、河原勝太郎・勝治兄弟
  二番組 : 林八十治、伊藤俊彦
 
□毛詩塾□
  一番組 : 石山虎之助、(津川喜代美)
  二番組 : 酒井峰治、鈴木源吉、石田和助
  


(注)
津川喜代美(高橋誠八重固の三男)は、津川家に養子入りした年月によって学籍が異なります。高橋家は本四ノ丁上(毛詩塾一番組)、津川家は米代二ノ丁(尚書塾一番組)に屋敷があります。



special thanks to
: 音様



お戻りの際はウィンドウを閉じてくださいm(_ _)m